怪盗は二度盗む

 王都を揺るがした電波ジャックと王権の放棄から、いくどもの朝と夜が流れた。
 街にはまだあの朝の余熱が残っていたが、新政府はようやく表向きの落ち着きを取り戻しはじめている。
 新聞は新しい選挙制度と資産移管の話題で持ちきりで、王政復古派の名は少しずつ熱を失っていった。

 エリーゼが身を寄せていた小さな宿に、一通の手紙が届いたのは、そんな頃だった。

 古い名家の格式を感じさせる、重厚な封蝋。
 静かに便せんを開く。差出人は法律事務所の弁護士で、先祖の代から一族の法務を担ってきた人物だという。
 記されていたのは、遠い異国にある古城についてだった。
 エリーゼがいずれ相続することになっていた城――通称、グリフォンの城。
 その所有に関する手続きが完了し、今後の維持と管理のため、一度現地を訪れてほしいという知らせだった。

 古い城。
 地図の上でたどれば、深い森と険しい山並みと広い海に抱かれた場所にあるらしい。

 王女という肩書を捨て、ただの一人として生きると決めた自分にとって、それは不思議な知らせだった。
 過去の残滓のようでもあり、同時に、まだ見ぬ新しい人生の入口のようでもある。

 旅支度を始めながら、エリーゼはふと、遠く離れたハーロウ邸のことを思い出した。
 老いた卿の、あたたかな眼差し。
 身寄りのない自分をかくまい、父親のように愛してくれた温もり。あの場所にとどまっていれば、きっと穏やかで、守られた日々を送ることもできただろう。
 それはもう選ばない道だった。
 自分の足で立つと決めたのだ。

「……大きなお城なんて、一人じゃ広すぎて寂しそうね」

 ぽつりとつぶやいたあと、エリーゼはクスリと小さく笑った。

「ううん、大丈夫。きっと、気難しくて頑固で……でも、あたたかい人たちがいるわ」

 どこか自分を安心させるようにそう言い聞かせ、旅支度をととのえる。彼女は小さな木製の引き出しを開けた。
 そこには、あの夜も大切に抱えていた木箱があった。
 ふたを開けると、古い絵本。両親から贈られた色あせたバースデーカード。リボンや、かつての思い出の品々が静かに眠っている。
 その一番上にカードが置かれていた。
 パリッとした上質な紙に、力強く、けれどどこか優雅な筆跡で書かれた一枚のカード。

『あなたの一番大切なものをいただきます。怪盗3X』

 初めてその予告状を見たときは、ただただ厄介だと思っていた。

 けれど、あの怪盗は本当に盗んでいったのだ。

 エリーゼの心を長くむしばんできた孤独を。
 王女という名に絡みついて離れなかった呪いを。
 そして代わりに、選ぶ自由と、生きるための未来を置いていった。

 エリーゼはそっとそのカードに触れる。
 紙の向こうから、あの低い笑い声や、夜風の匂いがよみがえるような気がした。

「……本当、泥棒よ」

 呆れたように、けれどどうしようもなく愛おしそうに呟いて、エリーゼはそのカードを大切に箱の底へとしまい込んだ。

 もう振り返る必要はない。
 手紙を手に取り、彼女は部屋の扉を開ける。
 獅鷲の城へ続く道は、まだ知らない遠い場所。
 足取りは軽やかだった。
 名前のない明日でかまわない。
 盗まれたあとに残ったこの人生こそ、はじめて自分で選び取ったものなのだから。

 それぞれの道は分かれた。
 けれど、分かれたからこそ続く道もある。

 獅鷲の城へ。

 そうして彼女は、白くひらける新しい朝の中へ、迷いなく歩き出した。