怪盗は二度盗む

 白み始めた空の下、王都の目覚めはいつもと違っていた。
 大通りに面した巨大な広告塔。駅舎の電光掲示板。酒場の隅にある旧式の映像モニター。
 街中のあらゆる画面に、突如として激しいノイズが走る。

 『――3、2、1……』

 続く、無機質なカウントダウン。

 通勤を急ぐ労働者、路地裏で店を開く商人、窓を開ける主婦たち。
 人々が動きを止め、画面を見つめた。

 それこそが、怪盗3Xの大仕掛け。
 街の全情報網すべてが支配下に置かれた、前代未聞の電波ジャックだった。

 ノイズが晴れ、画面に映し出されたのは、豪奢な王宮でも、冷たい議事堂でもない。
 どこかの高い屋根の上――朝日に照らされ、凛と立つ一人の女性の姿だった。

 エリーゼだった。

 彼女は風に揺れる栗色の髪をそのままにして、まっすぐカメラを見据えていた。

『国民の皆様、おはようございます』

 その声は、街中のスピーカーからクリアに響き渡った。

『私は、亡国の王女エリーゼと呼ばれてきました』

 ハーロウ邸の居間には、映像に気づいた使用人たちが集まっている。
 ハーロウ卿は老いた目をうるませながら

「エリーゼ……!」

と画面に向かって手を伸ばしていた。

 画面の中のエリーゼは、おびえの色など微塵もなく、どこまでも澄んだ声で語りかける。

『新政府の者たちは私を脅威とし、復古派の者たちは私を旗印にしようとした。
 本当に苦しんでいるのは誰でしょうか。王位や権力を争う者たちの足元で、日々の生活にあえぎ、犠牲になっているのは、いつでも我々国民です』

 スラム街の古い酒場。
 すすけた壁にかけられたボロボロの小さなテレビ画面を、身なりも整わない労働者たちが固唾を飲んで見守っていた。
 彼女の言葉一言一言が、彼らの胸に染み込んでいく。

『私は、この不毛な争いを終わらせます』

 街のあちこちでざわめきが漏れる。

 新政府の議員たちはテレビの前で地団駄を踏む。冷や汗を流しながら
「切れ!回線を切れ!」
と怒鳴り散らしている者もいる。

『国民の皆様が真にどのような未来を望んでいるのか。
​ その選択はすべて、あなた方の『一票』にゆだねます。
 その選挙の資金として、すべての王家の資産は、すでに新政府に全額明け渡しました』

「なっ……!?」

 王政復古派の屋敷では、元貴族は悔しげに拳を握り締めながら、歯噛みしていた。

「戴冠式の準備が台無しじゃないか!」

 画面の向こうで、エリーゼはさらに続ける。

『私は王権を継承しません。新しい象徴にもなりません。
 今日この時より、ただの一人の国民として生きていきます』

 彼女の手元が大きく映し出された。
 彼女が持っていたのは、王位継承権や旧王家の血筋を証明する、あの出生証明書だった。

 ディオンが差し出したライターの小さな炎が、その紙のはしに触れる。
 パチパチ音を立てて、歴史の重みを背負ってきたはずの証明書が、あっけなく赤く燃え上がった。
 王権のシンボルが灰になっていく。
 自分を縛り続けてきた過去が、炎に溶けて消えていく。

 それを目の当たりにして、街の労働者の一人が、思わず声を上げた。

「すげえ……!あのお姫様、王冠を捨てやがった……!」

​「えっ、私たちこれからどうなるの」

「誰の血も流させないために、彼女はすべて捨てた……。行くぞ、私たちも彼女の作った道に続くぞ!」

 別の男は涙をぬぐい、やがて街のあちこちから、割れそうな歓声と拍手が巻き起こった。それは瞬く間に広がり、王都全体を揺るがすほどのうねりとなっていく。

 電波ジャックの映像がプツリと途切れ、元の朝のニュース画面に戻った。

 街の熱気は収まらなかった。

 屋根の上。
 パチパチと燃えかすの灰が朝風に舞う中、ディオンは腕を組み、燃え盛る紙の隣にある、別の束を見下ろした。
 新政府の闇を暴く、あの「政変の報告書と名簿」だ。

「なぁ、エリーゼ」

 ディオンは低く、どこか探るような声で尋ねる。

「……そっちも燃やすのかい?
 両親の死の真実も、あいつらの悪事も、全部あの束の中だぜ」

 証明書を燃やし終え、静かに息を整えたエリーゼは、その名簿の束に視線を落とした。
 そして、まっすぐに前を向いたまま、迷いのない瞳で答えた。

「どんな真実でも、もう誰かの武器にはさせないわ」

「そっか。ま、お疲れさま!」

 それだけ言って、ディオンは肩をすくめた。
 彼らしい信頼だった。

 朝日が屋根の端を白く染めていく。
 街のざわめきはまだ遠くで続いている。けれど、もうその声は、誰かを王座に押し上げるための熱ではなかった。

 風が吹く。
 灰が舞う。
 紙の束がどうなったのかを、知る者は二人しかいない。

 後ろを振り返る者は、もう誰もいなかった。