水色に混ざる夏 2

 すっかり日が落ちて、夜の匂いがし始めた街をふたりで歩き、わたしたちは再び夏井商店へ戻ってきた。

 中庭は、すっかり静まり返ってるけど、お店は閉まってなかった。
 いつものベンチに座って、透くんだけ日向夏シロップのかき氷を食べた。

 爽やかな柑橘の香りが鼻を擽ると、あの味を思い出す。
 これが、透くんを1996年に帰してしまう鍵。

 ……あっちの世界に戻れば、透くんの姿は消える。
 去年の夏、わたしがひとり取り残されたみたいに。

「ごちそうさま。……美味かった」

 透くんが、空になった紙コップをベンチの端に置いた。
 それは、別れの合図だった。

 立ち上がった透くんが、ゆっくりとわたしの方を向く。

「……じゃあな、凛花。短かったけど、すっごく楽しかった」

「うん……わたしも」

 声が震えないように、必死で笑顔を作った。

 本当は、言いたい言葉があった。「好きだよ」って。
 去年の夏、勇気がなくて言えなかった言葉。
 展望台で透くんの気持ちを聞いた今なら、きっと言える。

 でも——言えない。

 だって、目の前にいる透くんは、わたしの知っている透くんとはちがう。
 もしここで想いを告げても、それは「去年の透くん」に向けた感情を押し付けるだけになってしまう。
 そんなの、この透くんにとって迷惑でしかない。ただの、わたしのわがままだ。

「……気をつけて、帰ってね」

 だからわたしは、その言葉だけを絞り出して、くるりと背を向けた。
 透くんが消える瞬間を、見たくなかったから。

 ——さようなら、透くん。

 ぎゅっと目を閉じた。
 生ぬるい夜風が吹き抜けていく。

 『カラン……』

 どこからともなく、あの透き通った風鈴の音が鳴った。

 去年の夏、わたしがひとりぼっちで残されたときに聞いた、切ない音。
 今回もこれで、わたしはひとりになる。

 そう思って、目を開けようとした瞬間だった。

「——凛花」

 背後から、不意に名前を呼ばれた。
 幻聴かと思って、息が止まる。

 恐る恐る振り返ると——そこには、帰ったはずの透くんが、消えずに立っていた。


[挿絵G:消えなかった透]

「……とっ、透くん……? なんで……帰ってないの……?」

 混乱するわたしに、透くんはどこか懐かしそうな、優しすぎる眼差しを向けて、ふっと笑った。

「かき氷、やっぱり去年と同じ味だったな」

「……え?」

 去年と、同じ味。
 なんで、そんなこと——

「海水浴も、また同じ南渚海岸(ミナミナ)に行こう。今年は凜花が好きな物を食べよう」

「っ……」

 心臓が、どくんと大きく跳ねた。
 96年の透くんは、去年のシロップの味を知らないはず。
 それに、去年の夏、一緒に海に行ったように話してる。
 ——しかも去年は透くんの好きなもの(焼きそばとラムネ)ばっかりだったのに、今度はわたしの好きなもの……?

 戸惑うわたしをよそに、透くんはさらに言葉を続ける。

「やっぱり、夏祭りは……隣町のに行くのでいいよな?」

「あ……」

 頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、音を立ててはまっていく。
 今日の記憶。去年の記憶。

 ——え、なんで。
 なんで、知ってるの。
 タイムリープできなくなったら、隣町の夏祭りに行こうって話、今日はしてない。

「透、くん……?」

 声が震えた。
 透くんは、呆然とするわたしに一歩近づいて、あの時言えなかった言葉の続きのように、はっきりと言った。

「……全部、覚えてるよ。今日のことも、去年のことも。待たせてごめん」

 ——その瞬間。
 わたしの中で張り詰めていた何かが、一気に弾けた。

「……っ、透くんっ!!」

 嬉しさが大爆発して、わたしは勢いよく透くんの胸に飛び込んでいた。

「大好き……っ!!」

 両手で背中をぎゅっと抱きしめて、顔を押しつける。
 全部知ってる、大好きなわたしの透くんが、帰ってきた。
 嬉しくて、涙が止まらなくて、子供みたいに叫んでいた。

「わっ……と……」

 透くんが少しだけよろけて、それから、優しくわたしの背中に腕を回してくれた。

 ——数秒後。
 透くんの体温と、力強い心音を感じて……我に返った。

(……わ、わたし今、なに言った!? 飛びついて『大好き』って!?)

「っっ〜〜!!」

 顔から火が出るほど真っ赤になって、わたしはバッと身を離し、両手で顔を覆った。

「ちがっ、いやちがくはないけど! は、恥ずかしすぎる……っ! 忘れて!」

 顔を覆った指の隙間から見ると、透くんが肩を揺らして吹き出していた。


[挿絵H:我に返る凜花]

「……忘れないよ。知ってるし」

 透くんが、覆ったわたしの手をそっと外して、笑いかける。

「俺も好きだよ、凛花」

 今度は逃げられなくて、わたしは真っ赤な顔のまま、こくりと頷くことしかできなかった。

◆

 照れ隠しに、中庭の空を見上げた。
 夜風が吹いて、また『カラン』と心地よい音が鳴る。

「……風鈴の音」

 透くんも音の鳴る方を見上げて、ぽつりと言った。

「あの夏祭りで渡した風鈴、青と白の模様の。まだ持ってるのか?」

「え?」

 言われて見上げて、ハッとした。
 透くんにもらったあの風鈴は、たしかに青と白の模様だったはずなのに。

 いつの間にか、そのふたつの色は溶け合って、どこまでも澄んだ美しい【水色】に変わっていたことに気が付いた。

 それはまるで、夏の空そのものみたいな色で。
 離れ離れだったわたしたちの時間が、ようやく混ざり合って、ひとつになった証みたいだった。

「持ってるよ。……今は水色になっちゃったけど」

「水色だったか? ま、青と白が混ざったら、水色になるからな」

 透くんが優しく微笑む。

 あの山から始まったふたりの夏と、バラバラだった過去と未来の時間が溶け合い、すべてが混ざり合って今ここにいる。

 風鈴が、祝福するように優しく鳴った。

◆

 お店を一歩出ると、夜になって少しだけ優しくなった風が、わたしたちを包み込む。

「……やっぱり暑いな、2026年は」

 透くんがふっと笑って、自然にわたしの手を握った。

 一年間、再会を信じ続けてよかった。

 去年は、この暑さが嫌いだった。「95年の涼しい夏の方が好きだ」って思ってた。
 でも——。

「暑いけれど」

 わたしは、透くんの温かい手を、ぎゅっと握り返す。

「大好きな透くんと一緒に過ごす、わたしたちの夏だから」

 透くんが少しだけ目を見張って、それから、最高に優しい笑顔を向けてくれた。

 繋いだ手から伝わる温かさに胸を弾ませながら、わたしたちは笑顔で歩き出した。

 今日からずっと、わたしたちは同じ夏を過ごしていく。

 ――どこまでも広がる、水色の空の下で。

【終わり】


[挿絵I:ハッピーエンド]