店の中には、重たい空気だけが残っていた。
さっきまで遠巻きにこちらを見ていた客たちも、何事もなかったように買い物を続けている。
けれど、とても何事もなかったとは思えない。
「鮎田さん」
かの子が低い声で言った。
ゆかりが振り返る。
「……はい」
「今日はもういいわ」
「え?」
「バイトしないで帰って」
「でも、今日シフト――」
「いいから帰って!」
店内に、またかの子の声が響いた。
「おい、かの子」
真司が止めようとする。
「あなたは黙ってて!」
「だから、ここ店なんだって」
「誰のせいよ!」
真司が言葉を失った。
ゆかりは俯いた。
「……分かりました」
小さく答えると、そのままバックヤードへ向かう。
俺は後を追いかけそうになった。
でも、仕事中だ。
それに、今の俺が何を言えばいいのかも分からない。
昨日まで俺は、ゆかりのことを分かっているつもりだった。
哲平のことで困っている。
かの子に嫌われている。
だから俺が助けてやりたい。
それだけだと思っていた。
まさか、店長と――。
「奏くん」
ゆかりが振り返った。
着替えを済ませ、バッグを持っている。
「昨日のこと……ごめんね」
「ゆかり……」
「また連絡する」
それだけ言って、ゆかりは店を出ていった。
俺は何も言えなかった。
しばらくして。
真司が事務所から出てきた。
「悪い。ちょっと集金行ってくる」
かの子が鋭い目を向ける。
「……今から?」
「ああ。予定入ってるから」
「ふーん」
「何だよ」
「別に」
真司は小さくため息をついた。
「店、頼むな」
そのまま裏口へ向かう。
「真司」
かの子が呼び止めた。
真司が振り返る。
「……何?」
かの子は何か言いたそうにしていた。
けれど、
「……何でもない」
それだけだった。
真司が店を出る。
かの子はしばらくドアを睨んでいたが、やがて無言で奥の事務所へ入ってしまった。
残されたのは、俺と哲平。
「…………」
「…………」
最悪だ。
さっきまで夫婦と不倫相手が大喧嘩していた店で、俺と哲平だけで仕事をしなきゃならない。
レジへ行くと、中年の女性客と目が合った。
明らかに気まずそうな顔をしている。
「……先ほどは大変お騒がせして、申し訳ありませんでした」
俺は頭を下げた。
「ああ……いえ」
女性客も困ったように会釈する。
次の客にも頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
その様子を、哲平は隣のレジから見ていた。
客が途切れたところで、哲平が言った。
「大変だな」
「何が?」
「ゆかりの後始末」
俺は哲平を見る。
「……後始末なんかじゃない」
「ふーん」
哲平の口元がわずかに上がる。
「じゃあ、なんであんな必死に庇ったの?」
「目の前で店内であんな責められ方してたら、普通止めるだろ」
「普通ねえ」
「何だよ」
「別に」
哲平はレジの画面へ目を戻した。
「でもさ」
「何?」
「店長とできてたんだな、ゆかり」
胸の奥がざわついた。
「……その言い方やめろよ」
「なんで? 本当じゃん」
「哲平」
「お前、ショックじゃないの?」
俺は答えなかった。
ショックじゃないわけがない。
ずっと好きだった女の子が、結婚している男と付き合っていた。
それも、俺たちの店長と。
「俺だったら無理だわ」
哲平が笑う。
「何が?」
「好きな女が他の男と寝てたら」
「……お前」
「冗談だよ」
そう言いながら、哲平は全然笑っていなかった。
その頃。
家へ向かっていたゆかりのスマホが震えた。
立ち止まり、画面を見る。
沖島 真司
メッセージを開く。
―今どこ?―
ゆかりは少し迷ってから返信した。
―駅の近く。―
すぐに返事が来た。
―会える?―
ゆかりは画面を見つめた。
さっきまで沈んでいた表情が、ほんの少し緩む。
―集金じゃないの?―
数秒。
―口実だよ。すぐに行く。―
ゆかりの口元に小さな笑みが浮かんだ。
―会いたい。―
真司の車がやって来たのは、それから間もなくだった。
助手席に乗ったゆかりは、ドアを閉めるなり真司を見る。
車は発進させない。
「……大丈夫?」
真司が聞いた。
「大丈夫なわけないじゃん」
「だよな」
「かの子さん、怖かった」
「悪かったよ」
「なんで真司さんが謝るの?」
「俺のせいでもあるだろ」
「……でも」
ゆかりが真司を見る。
「これで、もう隠さなくていいよね?」
真司は答えなかった。
「ねえ」
「今は、その話やめよう」
ゆかりの表情が曇る。
「なんで?」
「かの子、相当頭にきてる。今あいつに離婚の話なんかしたら、余計こじれる」
「じゃあ、いつするの?」
「ゆかり」
「また待ってって言うの?」
真司が息を吐いた。
「……少しだけ」
「ほら、また」
「頼むよ」
ゆかりは窓の外へ顔を向けた。
「もう知らない」
しばらく二人とも話さなかった。
やがて真司が車を走らせる。
「……どこ行くの?」
「二人になれるとこ」
ゆかりは答えなかった。
車は、見慣れたラブホテルへ入っていった。
部屋に入ってからも、ゆかりはしばらく機嫌が悪かった。
「ゆかり」
「何?」
「まだ怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってないってば」
真司が苦笑する。
「こっち向けよ」
「やだ」
「ゆかり」
真司が後ろから抱き寄せる。
ゆかりは最初、その腕をほどこうとした。
けれど、強くは拒まなかった。
「……ずるい」
「何が?」
「そうやってごまかすところ」
「ごまかしてないよ」
「じゃあ、ちゃんと別れてよ」
「分かってる」
「いつ?」
真司は答えない。
ゆかりが振り返る。
「ねえ」
「今は……もう少し待ってくれ」
また、その言葉。
ゆかりの顔から笑みが消えた。
けれど真司が顔を近づけると、ゆかりはそれを待っていたかのように、目を閉じた。
二人の唇が重なる。
結局その日も、二人は離れることができなかった。
二時間ほどして、真司と別れた。
ゆかりは一人、駅へ向かって歩いていた。
バッグの中でスマホが震える。
今度は奏からだった。
―大丈夫?―
ゆかりは足を止めた。
しばらく画面を見つめる。
そして、指を動かした。
―大丈夫だよ。ありがとう―
送信してから、少し考える。
―奏くん、今日時間ある?―
返事はすぐに来た。
―あるよ。―
夕方までのバイトを終わらせて俺はゆかりと会った。
駅から少し離れた公園。
夕方だった空は、いつの間にか暗くなっていた。
ベンチに並んで座る。
ゆかりは、さっきからずっと俯いていた。
「……大丈夫?」
「うん」
「無理してない?」
「してないよ」
「でも」
「奏くん」
ゆかりが俺を見る。
「今日のこと……信じた?」
「え?」
「かの子さんが言ってたこと」
俺は答えに詰まった。
「キスしてたって、こ、と?……」
「…………」
「本当なの?」
ゆかりは俯いた。
しばらく黙ってから、小さく言った。
「本当になんにもないんだよ?」
「でも……」
「かの子さんが思ってるようなことじゃないの」
「じゃあ、なんでキスしたの?」
ゆかりは答えなかった。
「ごめん」
俺はすぐに言った。
「責めたいわけじゃないんだ」
「うん」
「ただ……心配だから」
「私のこと?」
「当たり前だろ」
ゆかりは少しだけ笑った。
「奏くんって、優しいね」
「そんなことないよ」
「優しいよ」
それから、ゆかりはいろんな話をした。
かの子が怖かったこと。
店に行きづらくなったこと。
これからバイトを続けられるか不安なこと。
俺はほとんど何も言わず、ただ聞いていた。
気づけば、かなり時間が経っていた。
公園にはもう、俺たち以外ほとんど人はいない。
「……ごめんね」
ゆかりが言った。
「何が?」
「こんな時間まで」
「別にいいよ」
「ずっと私の話ばっかり」
「話したかったんだろ?」
「うん」
ゆかりは少し笑った。
「ありがとう」
「うん」
「奏くんに話してよかった」
そして――。
ゆかりが、俺の肩にそっと頭を預けた。
身体が固まった。
近い。
ゆかりの髪が頬に触れそうなくらい近い。
心臓の音が、自分でも分かるほど大きくなる。
「私……」
ゆかりが小さく言った。
「奏くんしか信用できない」
その言葉で、何かが切れた。
ずっと好きだった。
でも、言えなかった。
哲平がゆかりを好きなのも知っていた。
俺なんかが言ったって、困らせるだけだと思っていた。
でも今、好きな女の子が俺の肩に寄りかかっている。
ゆっくり顔を向ける。
ゆかりも俺を見た。
目が合う。
逃げなきゃいけない気がした。
でも、逃げられなかった。
少しずつ顔が近づく。
ゆかりは動かなかった。
俺は一度、ためらった。
それでも――。
そっと唇を重ねた。
ほんの短いキスだった。
すぐに離れる。
「……ごめん!」
我に返った俺は慌てて謝った。
「俺、今……」
ゆかりは驚いた顔で俺を見ていた。
「ほんと、ごめん。嫌だったよな」
「……だめだよ、奏くん」
胸が沈んだ。
「……ごめん」
「彼女でもないのに」
「え?」
ゆかりは少し困ったように笑っていた。
「彼女でもない女の子に、キスしたらだめでしょ?」
「いや……俺」
喉が渇く。
今しかない。
逃げたら、たぶんずっと言えない。
「俺、彼女いないよ」
「え?」
「だから……」
ゆかりをまっすぐ見た。
「俺が好きなのは、ゆかりなんだ」
さっきまで遠巻きにこちらを見ていた客たちも、何事もなかったように買い物を続けている。
けれど、とても何事もなかったとは思えない。
「鮎田さん」
かの子が低い声で言った。
ゆかりが振り返る。
「……はい」
「今日はもういいわ」
「え?」
「バイトしないで帰って」
「でも、今日シフト――」
「いいから帰って!」
店内に、またかの子の声が響いた。
「おい、かの子」
真司が止めようとする。
「あなたは黙ってて!」
「だから、ここ店なんだって」
「誰のせいよ!」
真司が言葉を失った。
ゆかりは俯いた。
「……分かりました」
小さく答えると、そのままバックヤードへ向かう。
俺は後を追いかけそうになった。
でも、仕事中だ。
それに、今の俺が何を言えばいいのかも分からない。
昨日まで俺は、ゆかりのことを分かっているつもりだった。
哲平のことで困っている。
かの子に嫌われている。
だから俺が助けてやりたい。
それだけだと思っていた。
まさか、店長と――。
「奏くん」
ゆかりが振り返った。
着替えを済ませ、バッグを持っている。
「昨日のこと……ごめんね」
「ゆかり……」
「また連絡する」
それだけ言って、ゆかりは店を出ていった。
俺は何も言えなかった。
しばらくして。
真司が事務所から出てきた。
「悪い。ちょっと集金行ってくる」
かの子が鋭い目を向ける。
「……今から?」
「ああ。予定入ってるから」
「ふーん」
「何だよ」
「別に」
真司は小さくため息をついた。
「店、頼むな」
そのまま裏口へ向かう。
「真司」
かの子が呼び止めた。
真司が振り返る。
「……何?」
かの子は何か言いたそうにしていた。
けれど、
「……何でもない」
それだけだった。
真司が店を出る。
かの子はしばらくドアを睨んでいたが、やがて無言で奥の事務所へ入ってしまった。
残されたのは、俺と哲平。
「…………」
「…………」
最悪だ。
さっきまで夫婦と不倫相手が大喧嘩していた店で、俺と哲平だけで仕事をしなきゃならない。
レジへ行くと、中年の女性客と目が合った。
明らかに気まずそうな顔をしている。
「……先ほどは大変お騒がせして、申し訳ありませんでした」
俺は頭を下げた。
「ああ……いえ」
女性客も困ったように会釈する。
次の客にも頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
その様子を、哲平は隣のレジから見ていた。
客が途切れたところで、哲平が言った。
「大変だな」
「何が?」
「ゆかりの後始末」
俺は哲平を見る。
「……後始末なんかじゃない」
「ふーん」
哲平の口元がわずかに上がる。
「じゃあ、なんであんな必死に庇ったの?」
「目の前で店内であんな責められ方してたら、普通止めるだろ」
「普通ねえ」
「何だよ」
「別に」
哲平はレジの画面へ目を戻した。
「でもさ」
「何?」
「店長とできてたんだな、ゆかり」
胸の奥がざわついた。
「……その言い方やめろよ」
「なんで? 本当じゃん」
「哲平」
「お前、ショックじゃないの?」
俺は答えなかった。
ショックじゃないわけがない。
ずっと好きだった女の子が、結婚している男と付き合っていた。
それも、俺たちの店長と。
「俺だったら無理だわ」
哲平が笑う。
「何が?」
「好きな女が他の男と寝てたら」
「……お前」
「冗談だよ」
そう言いながら、哲平は全然笑っていなかった。
その頃。
家へ向かっていたゆかりのスマホが震えた。
立ち止まり、画面を見る。
沖島 真司
メッセージを開く。
―今どこ?―
ゆかりは少し迷ってから返信した。
―駅の近く。―
すぐに返事が来た。
―会える?―
ゆかりは画面を見つめた。
さっきまで沈んでいた表情が、ほんの少し緩む。
―集金じゃないの?―
数秒。
―口実だよ。すぐに行く。―
ゆかりの口元に小さな笑みが浮かんだ。
―会いたい。―
真司の車がやって来たのは、それから間もなくだった。
助手席に乗ったゆかりは、ドアを閉めるなり真司を見る。
車は発進させない。
「……大丈夫?」
真司が聞いた。
「大丈夫なわけないじゃん」
「だよな」
「かの子さん、怖かった」
「悪かったよ」
「なんで真司さんが謝るの?」
「俺のせいでもあるだろ」
「……でも」
ゆかりが真司を見る。
「これで、もう隠さなくていいよね?」
真司は答えなかった。
「ねえ」
「今は、その話やめよう」
ゆかりの表情が曇る。
「なんで?」
「かの子、相当頭にきてる。今あいつに離婚の話なんかしたら、余計こじれる」
「じゃあ、いつするの?」
「ゆかり」
「また待ってって言うの?」
真司が息を吐いた。
「……少しだけ」
「ほら、また」
「頼むよ」
ゆかりは窓の外へ顔を向けた。
「もう知らない」
しばらく二人とも話さなかった。
やがて真司が車を走らせる。
「……どこ行くの?」
「二人になれるとこ」
ゆかりは答えなかった。
車は、見慣れたラブホテルへ入っていった。
部屋に入ってからも、ゆかりはしばらく機嫌が悪かった。
「ゆかり」
「何?」
「まだ怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってないってば」
真司が苦笑する。
「こっち向けよ」
「やだ」
「ゆかり」
真司が後ろから抱き寄せる。
ゆかりは最初、その腕をほどこうとした。
けれど、強くは拒まなかった。
「……ずるい」
「何が?」
「そうやってごまかすところ」
「ごまかしてないよ」
「じゃあ、ちゃんと別れてよ」
「分かってる」
「いつ?」
真司は答えない。
ゆかりが振り返る。
「ねえ」
「今は……もう少し待ってくれ」
また、その言葉。
ゆかりの顔から笑みが消えた。
けれど真司が顔を近づけると、ゆかりはそれを待っていたかのように、目を閉じた。
二人の唇が重なる。
結局その日も、二人は離れることができなかった。
二時間ほどして、真司と別れた。
ゆかりは一人、駅へ向かって歩いていた。
バッグの中でスマホが震える。
今度は奏からだった。
―大丈夫?―
ゆかりは足を止めた。
しばらく画面を見つめる。
そして、指を動かした。
―大丈夫だよ。ありがとう―
送信してから、少し考える。
―奏くん、今日時間ある?―
返事はすぐに来た。
―あるよ。―
夕方までのバイトを終わらせて俺はゆかりと会った。
駅から少し離れた公園。
夕方だった空は、いつの間にか暗くなっていた。
ベンチに並んで座る。
ゆかりは、さっきからずっと俯いていた。
「……大丈夫?」
「うん」
「無理してない?」
「してないよ」
「でも」
「奏くん」
ゆかりが俺を見る。
「今日のこと……信じた?」
「え?」
「かの子さんが言ってたこと」
俺は答えに詰まった。
「キスしてたって、こ、と?……」
「…………」
「本当なの?」
ゆかりは俯いた。
しばらく黙ってから、小さく言った。
「本当になんにもないんだよ?」
「でも……」
「かの子さんが思ってるようなことじゃないの」
「じゃあ、なんでキスしたの?」
ゆかりは答えなかった。
「ごめん」
俺はすぐに言った。
「責めたいわけじゃないんだ」
「うん」
「ただ……心配だから」
「私のこと?」
「当たり前だろ」
ゆかりは少しだけ笑った。
「奏くんって、優しいね」
「そんなことないよ」
「優しいよ」
それから、ゆかりはいろんな話をした。
かの子が怖かったこと。
店に行きづらくなったこと。
これからバイトを続けられるか不安なこと。
俺はほとんど何も言わず、ただ聞いていた。
気づけば、かなり時間が経っていた。
公園にはもう、俺たち以外ほとんど人はいない。
「……ごめんね」
ゆかりが言った。
「何が?」
「こんな時間まで」
「別にいいよ」
「ずっと私の話ばっかり」
「話したかったんだろ?」
「うん」
ゆかりは少し笑った。
「ありがとう」
「うん」
「奏くんに話してよかった」
そして――。
ゆかりが、俺の肩にそっと頭を預けた。
身体が固まった。
近い。
ゆかりの髪が頬に触れそうなくらい近い。
心臓の音が、自分でも分かるほど大きくなる。
「私……」
ゆかりが小さく言った。
「奏くんしか信用できない」
その言葉で、何かが切れた。
ずっと好きだった。
でも、言えなかった。
哲平がゆかりを好きなのも知っていた。
俺なんかが言ったって、困らせるだけだと思っていた。
でも今、好きな女の子が俺の肩に寄りかかっている。
ゆっくり顔を向ける。
ゆかりも俺を見た。
目が合う。
逃げなきゃいけない気がした。
でも、逃げられなかった。
少しずつ顔が近づく。
ゆかりは動かなかった。
俺は一度、ためらった。
それでも――。
そっと唇を重ねた。
ほんの短いキスだった。
すぐに離れる。
「……ごめん!」
我に返った俺は慌てて謝った。
「俺、今……」
ゆかりは驚いた顔で俺を見ていた。
「ほんと、ごめん。嫌だったよな」
「……だめだよ、奏くん」
胸が沈んだ。
「……ごめん」
「彼女でもないのに」
「え?」
ゆかりは少し困ったように笑っていた。
「彼女でもない女の子に、キスしたらだめでしょ?」
「いや……俺」
喉が渇く。
今しかない。
逃げたら、たぶんずっと言えない。
「俺、彼女いないよ」
「え?」
「だから……」
ゆかりをまっすぐ見た。
「俺が好きなのは、ゆかりなんだ」


