送信してから、数秒。
ゆかりのスマホが震えた。
―じゃあ、いつもの場所で。―
その文字を見て、ゆかりは嬉しそうに笑った。
「……やった」
スマホをバッグにしまうと、駅とは反対の方向へ歩き出した。
夜になっても蒸し暑い。
昼間より静かになった道路を歩きながら、ゆかりは何度も時間を確認した。
やがて、見慣れた車が見えてくる。
少し離れた場所に停まった車。
運転席には真司がいた。
ゆかりは周囲を軽く見回してから助手席のドアを開けた。
「お待たせ」
「お疲れ」
ドアを閉める。
真司と目が合った。
次の瞬間、どちらからともなく顔が近づいた。
唇が重なる。
ほんの一瞬ではない。
会えなかった時間を埋めるように、二人はしばらくキスを交わした。
「……会いたかった」
ゆかりが小さく言った。
「俺も」
真司が笑う。
その言葉を聞いただけで、ゆかりは嬉しそうにもう一度、真司にキスをした。
二人は気づいていなかった。
少し離れた場所に、一人の女が立っていることに。
かの子は買い物を済ませ、家へ帰る途中だった。
見覚えのある車を見つけた。
「あれ……?」
真司の車。
こんなところで何をしているのだろう。
そう思った直後、助手席のドアが開いた。
乗り込んだ女を見て、かの子の足が止まった。
「……鮎田さん?」
間違えるはずがない。
いつも店で見ている。
そして、自分が気に入らないと思っていた女。
どうして鮎田ゆかりが、真司の車に乗るのか。
かの子はその場から動けなかった。
そして――見た。
運転席の真司と、助手席のゆかり。
二人の顔が近づく。
唇が重なる。
「…………は?」
手に持っていた買い物袋を握る指に、力が入った。
何かの見間違い。
そう思おうとした。
けれど、二人は離れない。
一度唇を離したあと、ゆかりが笑った。
そして、もう一度。
「何よ……それ」
胸の奥が一気に熱くなる。
真司目当てで店へやって来る女子高生とは違う。
ただ話しているだけでもない。
あれは――。
「……できてるじゃない」
女の勘なんて言葉を、かの子は今まで馬鹿にしていた。
でも今は、そうとしか思えなかった。
あの二人はできている。
いつから?
店で話していたときも?
自分の目の前で?
知らないふりをして?
かの子が見つめる先で、車のライトが点いた。
やがて、何事もなかったように走り出す。
かの子は追わなかった。
ただ、その車が見えなくなるまで立っていた。
「……ふざけないでよ」
低い声が漏れた。
その頃、車の中では、ゆかりが上機嫌で真司の横顔を見つめていた。
「どこ行くの?」
「いつものとこ」
その答えに、ゆかりは笑った。
しばらくして、真司の車はラブホテルへ入っていった。
部屋に入るなり、ゆかりは真司に抱きついた。
「真司さん」
「ん?」
ゆかりは返事の代わりにキスをした。
真司もその身体を抱き寄せる。
何度か唇を重ねてから、ゆかりは真司のシャツに手をかけた。
ボタンを一つゆっくり外す。
もう一つ。
そして、もう一つゆっくりと。
そして次のボタンに指をかけながら、甘えるような声で言った。
「ねぇ……」
「ん?」
「まだ離婚しないのぉ?」
真司の動きが、ほんの一瞬止まった。
「……もう少し、待っといてくれ」
「またぁ?」
ゆかりは唇を尖らせた。
「この前もそう言ったじゃん」
「ちゃんと考えてるって」
「ほんと?」
「ああ」
ゆかりは真司の顔をじっと見つめた。
「ゆかりのこと、嫌いになった?」
「ばぁか」
真司は笑った。
「そんなわけあるわけないだろ?」
ゆかりを抱き寄せる。
「こんなことしてるのに?」
「……そっか」
ゆかりの顔に、また笑顔が戻った。
「じゃあ、待ってる」
今は、それでよかった。
真司が自分を好きだと言ってくれるなら。
いつか、かの子と別れてくれる。
そして自分を選んでくれる。
ゆかりは、そう信じていた。
そして二人は逢瀬を欲望のまま過ごした。
その夜。
かの子は一人、リビングに座っていた。
テレビはついている。
けれど、何が流れているのかなんてまったく頭に入ってこなかった。
時計を見る。
真司は、まだ帰ってこない。
目を閉じると、さっきの光景が浮かぶ。
助手席に乗り込んだゆかり。
そして――キス。
「…………」
何度思い出しても腹が立つ。
いや。
腹が立つなんてものじゃない。
悲しいのか。
悔しいのか。
それとも、ただ許せないのか。
自分でも分からなかった。
ただ一つだけ分かる。
明日。
あの子が何食わぬ顔で店に来たら――。
そのとき。
玄関から音がした。
ガチャ。
「ただいま」
真司の声。
かの子は返事をしなかった。
ソファに座ったまま、玄関のほうを見る。
「かの子?」
何も知らない真司が、リビングへ入ってくる。
かの子は黙って、その顔を見つめていた。
「かの子?」
かの子は返事をしなかった。
「どうしたんだよ」
「……別に」
「別にって顔じゃないだろ」
真司は苦笑しながら、かの子の隣に腰を下ろした。
「なんかあった?」
「何もない」
「じゃあ、なんでそんな機嫌悪いんだよ」
真司は、いつものようにかの子の肩へ手を伸ばした。
そのまま抱き寄せようとした瞬間――。
「触らないで!」
かの子が激しくその手を払いのけた。
「……え?」
真司の顔から笑みが消えた。
「何だよ、急に」
「よく触れるわね」
「は?」
かの子は真司を睨みつけた。
言いたい。
今すぐ全部ぶちまけてやりたい。
鮎田ゆかりとキスしていたこと。
自分が見ていたこと。
どこへ行っていたのか。
何をしていたのか。
全部問い詰めたい。
でも――。
「…………」
かの子は唇を噛んだ。
「なんだよ」
「……今日は、あなたと話したくない」
「意味分かんねえよ」
真司も、少し不機嫌な口調になる。
「分からなくていい」
かの子は立ち上がった。
「おい、かの子」
呼び止める声を無視して、寝室へ向かう。
ドアを閉める直前、もう一度だけ真司を見た。
明日。
あの子が店に来たら。
そのときは――。
かの子は乱暴にドアを閉めた。
ゆかりのスマホが震えた。
―じゃあ、いつもの場所で。―
その文字を見て、ゆかりは嬉しそうに笑った。
「……やった」
スマホをバッグにしまうと、駅とは反対の方向へ歩き出した。
夜になっても蒸し暑い。
昼間より静かになった道路を歩きながら、ゆかりは何度も時間を確認した。
やがて、見慣れた車が見えてくる。
少し離れた場所に停まった車。
運転席には真司がいた。
ゆかりは周囲を軽く見回してから助手席のドアを開けた。
「お待たせ」
「お疲れ」
ドアを閉める。
真司と目が合った。
次の瞬間、どちらからともなく顔が近づいた。
唇が重なる。
ほんの一瞬ではない。
会えなかった時間を埋めるように、二人はしばらくキスを交わした。
「……会いたかった」
ゆかりが小さく言った。
「俺も」
真司が笑う。
その言葉を聞いただけで、ゆかりは嬉しそうにもう一度、真司にキスをした。
二人は気づいていなかった。
少し離れた場所に、一人の女が立っていることに。
かの子は買い物を済ませ、家へ帰る途中だった。
見覚えのある車を見つけた。
「あれ……?」
真司の車。
こんなところで何をしているのだろう。
そう思った直後、助手席のドアが開いた。
乗り込んだ女を見て、かの子の足が止まった。
「……鮎田さん?」
間違えるはずがない。
いつも店で見ている。
そして、自分が気に入らないと思っていた女。
どうして鮎田ゆかりが、真司の車に乗るのか。
かの子はその場から動けなかった。
そして――見た。
運転席の真司と、助手席のゆかり。
二人の顔が近づく。
唇が重なる。
「…………は?」
手に持っていた買い物袋を握る指に、力が入った。
何かの見間違い。
そう思おうとした。
けれど、二人は離れない。
一度唇を離したあと、ゆかりが笑った。
そして、もう一度。
「何よ……それ」
胸の奥が一気に熱くなる。
真司目当てで店へやって来る女子高生とは違う。
ただ話しているだけでもない。
あれは――。
「……できてるじゃない」
女の勘なんて言葉を、かの子は今まで馬鹿にしていた。
でも今は、そうとしか思えなかった。
あの二人はできている。
いつから?
店で話していたときも?
自分の目の前で?
知らないふりをして?
かの子が見つめる先で、車のライトが点いた。
やがて、何事もなかったように走り出す。
かの子は追わなかった。
ただ、その車が見えなくなるまで立っていた。
「……ふざけないでよ」
低い声が漏れた。
その頃、車の中では、ゆかりが上機嫌で真司の横顔を見つめていた。
「どこ行くの?」
「いつものとこ」
その答えに、ゆかりは笑った。
しばらくして、真司の車はラブホテルへ入っていった。
部屋に入るなり、ゆかりは真司に抱きついた。
「真司さん」
「ん?」
ゆかりは返事の代わりにキスをした。
真司もその身体を抱き寄せる。
何度か唇を重ねてから、ゆかりは真司のシャツに手をかけた。
ボタンを一つゆっくり外す。
もう一つ。
そして、もう一つゆっくりと。
そして次のボタンに指をかけながら、甘えるような声で言った。
「ねぇ……」
「ん?」
「まだ離婚しないのぉ?」
真司の動きが、ほんの一瞬止まった。
「……もう少し、待っといてくれ」
「またぁ?」
ゆかりは唇を尖らせた。
「この前もそう言ったじゃん」
「ちゃんと考えてるって」
「ほんと?」
「ああ」
ゆかりは真司の顔をじっと見つめた。
「ゆかりのこと、嫌いになった?」
「ばぁか」
真司は笑った。
「そんなわけあるわけないだろ?」
ゆかりを抱き寄せる。
「こんなことしてるのに?」
「……そっか」
ゆかりの顔に、また笑顔が戻った。
「じゃあ、待ってる」
今は、それでよかった。
真司が自分を好きだと言ってくれるなら。
いつか、かの子と別れてくれる。
そして自分を選んでくれる。
ゆかりは、そう信じていた。
そして二人は逢瀬を欲望のまま過ごした。
その夜。
かの子は一人、リビングに座っていた。
テレビはついている。
けれど、何が流れているのかなんてまったく頭に入ってこなかった。
時計を見る。
真司は、まだ帰ってこない。
目を閉じると、さっきの光景が浮かぶ。
助手席に乗り込んだゆかり。
そして――キス。
「…………」
何度思い出しても腹が立つ。
いや。
腹が立つなんてものじゃない。
悲しいのか。
悔しいのか。
それとも、ただ許せないのか。
自分でも分からなかった。
ただ一つだけ分かる。
明日。
あの子が何食わぬ顔で店に来たら――。
そのとき。
玄関から音がした。
ガチャ。
「ただいま」
真司の声。
かの子は返事をしなかった。
ソファに座ったまま、玄関のほうを見る。
「かの子?」
何も知らない真司が、リビングへ入ってくる。
かの子は黙って、その顔を見つめていた。
「かの子?」
かの子は返事をしなかった。
「どうしたんだよ」
「……別に」
「別にって顔じゃないだろ」
真司は苦笑しながら、かの子の隣に腰を下ろした。
「なんかあった?」
「何もない」
「じゃあ、なんでそんな機嫌悪いんだよ」
真司は、いつものようにかの子の肩へ手を伸ばした。
そのまま抱き寄せようとした瞬間――。
「触らないで!」
かの子が激しくその手を払いのけた。
「……え?」
真司の顔から笑みが消えた。
「何だよ、急に」
「よく触れるわね」
「は?」
かの子は真司を睨みつけた。
言いたい。
今すぐ全部ぶちまけてやりたい。
鮎田ゆかりとキスしていたこと。
自分が見ていたこと。
どこへ行っていたのか。
何をしていたのか。
全部問い詰めたい。
でも――。
「…………」
かの子は唇を噛んだ。
「なんだよ」
「……今日は、あなたと話したくない」
「意味分かんねえよ」
真司も、少し不機嫌な口調になる。
「分からなくていい」
かの子は立ち上がった。
「おい、かの子」
呼び止める声を無視して、寝室へ向かう。
ドアを閉める直前、もう一度だけ真司を見た。
明日。
あの子が店に来たら。
そのときは――。
かの子は乱暴にドアを閉めた。


