次の日。
バイト先に着いた俺は、バックヤードで制服に着替えながら、昨日のゆかりの言葉を思い出していた。
――最近、ちょっと強引なの。
哲平とは今日もシフトが重なっている。
昨日、ゆかりには「俺から話してみる」と言った。
言ったけど……。
「なんて言えばいいんだよ」
思わず独り言が漏れた。
哲平とは、俺がここでバイトを始めた頃からの付き合いだ。
仕事を教えてくれたのも哲平だった。
別に悪いやつじゃない。
少なくとも、俺はそう思っていた。
だからこそ言いづらい。
『ゆかりがお前のことで困ってる』
そんなことを俺の口から言っていいんだろうか。
「うっす」
突然、背後から声をかけられた。
「うわっ!」
振り向くと、哲平が立っていた。
「なんだよ。人の顔見て驚くなよ」
「いや、急に声かけるからだろ」
「奏がボーッとしてんのが悪いんだろ」
哲平は笑いながらロッカーを開けた。
いつもの哲平だった。
俺はその横顔を見ながら、何度か口を開きかけた。
今、言うか。
――なあ、哲平。
そこまで頭の中では言える。
でも、その先が出てこない。
「何?」
「え?」
「さっきから俺のこと見てるけど」
「いや……別に」
「なんだよ、気持ち悪いな」
哲平は笑った。
結局、言えなかった。
店に出ると、昼前だというのに客が多かった。
夏休みに入ったせいか、学生の姿が目立つ。
「いらっしゃいませー」
レジから真司さんの声が聞こえる。
背が高くて、顔も整っている。
俺から見ても、まあ、カッコいいと思う。
――あそこのコンビニ、イケメンの店長がいるよ。
その噂を聞いて店長目当てに来る客がいるのは本当だった。
「いた、いた!」
入口のほうから小さな声が聞こえた。
制服姿の女子高生が三人。
店に入るなり商品を見るでもなく、レジのほうを気にしている。
「ほんとだ。カッコよくない?」
「だから言ったじゃん」
「えー、何か買ってこようかな」
丸聞こえだ。
俺は品出しをしながら、思わず笑いそうになった。
真司さん本人は慣れているのか、特に気にした様子もない。
問題は――。
「いらっしゃいませ」
隣のレジに立つ、かの子さんだった。
声は普通。
だけど顔が全然普通じゃない。
明らかに機嫌が悪い。
女子高生の一人がペットボトルを一本持って真司さんのレジへ向かう。
「お願いします」
「はい、百六十八円です」
「店長さんって、いつもこの時間いるんですか?」
「ん? いや、毎日じゃないよ」
店長が、優しく言う。
「そうなんだぁ」
女の子が嬉しそうに笑う。
その隣から、
「ありがとうございました」
かの子さんの低い声が飛んできた。
まだ会計、終わってないんだけど。
女子高生たちは店を出ると、何か話しながら笑っていた。
真司さんが苦笑する。
「かの子」
「何よ」
「お客さんにあんな態度するなよ」
「普通ですけど」
「どこが」
「普通です」
ぴしゃりと言って、かの子さんはレジを離れた。
やっぱり昨日ゆかりが言っていた通りだ。
あれじゃ、ゆかりじゃなくても気になるだろう。
「奏くん」
呼ばれて振り向く。
ゆかりだった。
「これ、どこに出すんだっけ?」
手には新しく入った菓子の箱を持っている。
「ああ、それならこっち」
「ありがと」
俺が売り場を指さすと、ゆかりが笑った。
昨日の沈んだ顔とは違う。
少し安心した。
そのとき、
「鮎田さん」
今度は真司さんがゆかりを呼んだ。
「はい?」
「昨日頼んだやつ、やってくれた?」
「あ、はい。終わってます」
「早いな。ありがとう。助かったよ」
「いえ」
ただ、それだけの会話。
仕事の話しかしていない。
なのに――。
視線を感じた。
俺じゃない。
ゆかりも気づいたらしい。
ちらりと横を見る。
かの子さんが、こっちを見ていた。
いや。
正確には、ゆかりを見ていた。
「…………」
何も言わない。
ただ、明らかに不機嫌そうな顔。
ゆかりが俺のそばへ少し寄った。
そして小さな声で、
「ね?」
と言った。
俺は苦笑した。
「昨日言ってたの、あれ?」
「そう。いつもあんな感じ」
「でも今、仕事の話しかしてなかったじゃん」
「でしょ?」
ゆかりは困ったように笑った。
「私、何にもしてないのに」
昨日と同じ言葉。
俺はそれ以上、何も考えなかった。
休憩に入ったとき、哲平も一緒だった。
二人きり。
言うなら今しかない。
哲平はスマホを見ながら、買ったばかりのおにぎりを食べている。
「なあ、哲平」
「ん?」
「ちょっと話あるんだけど」
「何?」
俺は一度息を吸った。
「ゆかりのことなんだけどさ」
哲平の手が止まった。
「……ゆかり?」
「ああ」
さっきまで何でもなかった哲平の表情が、少しだけ変わった。
「なんで奏が、ゆかりの話すんの?」
その言い方に、俺は一瞬戸惑った。
「なんでって……」
「最近さ」
哲平がおにぎりを置いて。
「お前、ゆかりと仲良くない?」
「普通だよ」
「ふーん」
「何だよ」
「別に」
哲平はまたスマホへ目を落とした。
言わなきゃ。
昨日、約束したんだから。
「あのさ、哲平。ゆかりに――」
そのとき。
「奏くん、休憩終わったらレジお願い!」
店のほうから声が飛んできた。
「あ、はい!」
反射的に返事をする。
哲平が立ち上がった。
「お前まだ休憩とれてねぇだろ?俺が、先戻るわ」
「え、ちょっと――」
哲平はそのままバックヤードを出ていった。
また、言えなかった。
その日のバイトが終わった。
「お疲れさまでした」
ゆかりは制服から私服に着替え、店を出た。
昼間の暑さは少しだけ和らいでいた。
それでも、夜の空気にはまだ熱が残っている。
駅へ向かおうとしたとき。
バッグの中でスマホが震えた。
ゆかりは歩きながら取り出した。
メッセージが一件。
画面に表示された名前を見て、足を止める。
沖島 真司
メッセージを開く。
―今日、会える?―
その文字を見た瞬間、ゆかりの表情がふっと緩んだ。
誰にも見せないような、少し嬉しそうな笑み。
ゆかりはすぐに指を動かした。
―会いたい。―
送信。
画面を見つめるゆかりの口元には、まだ小さな笑みが残っていた。
バイト先に着いた俺は、バックヤードで制服に着替えながら、昨日のゆかりの言葉を思い出していた。
――最近、ちょっと強引なの。
哲平とは今日もシフトが重なっている。
昨日、ゆかりには「俺から話してみる」と言った。
言ったけど……。
「なんて言えばいいんだよ」
思わず独り言が漏れた。
哲平とは、俺がここでバイトを始めた頃からの付き合いだ。
仕事を教えてくれたのも哲平だった。
別に悪いやつじゃない。
少なくとも、俺はそう思っていた。
だからこそ言いづらい。
『ゆかりがお前のことで困ってる』
そんなことを俺の口から言っていいんだろうか。
「うっす」
突然、背後から声をかけられた。
「うわっ!」
振り向くと、哲平が立っていた。
「なんだよ。人の顔見て驚くなよ」
「いや、急に声かけるからだろ」
「奏がボーッとしてんのが悪いんだろ」
哲平は笑いながらロッカーを開けた。
いつもの哲平だった。
俺はその横顔を見ながら、何度か口を開きかけた。
今、言うか。
――なあ、哲平。
そこまで頭の中では言える。
でも、その先が出てこない。
「何?」
「え?」
「さっきから俺のこと見てるけど」
「いや……別に」
「なんだよ、気持ち悪いな」
哲平は笑った。
結局、言えなかった。
店に出ると、昼前だというのに客が多かった。
夏休みに入ったせいか、学生の姿が目立つ。
「いらっしゃいませー」
レジから真司さんの声が聞こえる。
背が高くて、顔も整っている。
俺から見ても、まあ、カッコいいと思う。
――あそこのコンビニ、イケメンの店長がいるよ。
その噂を聞いて店長目当てに来る客がいるのは本当だった。
「いた、いた!」
入口のほうから小さな声が聞こえた。
制服姿の女子高生が三人。
店に入るなり商品を見るでもなく、レジのほうを気にしている。
「ほんとだ。カッコよくない?」
「だから言ったじゃん」
「えー、何か買ってこようかな」
丸聞こえだ。
俺は品出しをしながら、思わず笑いそうになった。
真司さん本人は慣れているのか、特に気にした様子もない。
問題は――。
「いらっしゃいませ」
隣のレジに立つ、かの子さんだった。
声は普通。
だけど顔が全然普通じゃない。
明らかに機嫌が悪い。
女子高生の一人がペットボトルを一本持って真司さんのレジへ向かう。
「お願いします」
「はい、百六十八円です」
「店長さんって、いつもこの時間いるんですか?」
「ん? いや、毎日じゃないよ」
店長が、優しく言う。
「そうなんだぁ」
女の子が嬉しそうに笑う。
その隣から、
「ありがとうございました」
かの子さんの低い声が飛んできた。
まだ会計、終わってないんだけど。
女子高生たちは店を出ると、何か話しながら笑っていた。
真司さんが苦笑する。
「かの子」
「何よ」
「お客さんにあんな態度するなよ」
「普通ですけど」
「どこが」
「普通です」
ぴしゃりと言って、かの子さんはレジを離れた。
やっぱり昨日ゆかりが言っていた通りだ。
あれじゃ、ゆかりじゃなくても気になるだろう。
「奏くん」
呼ばれて振り向く。
ゆかりだった。
「これ、どこに出すんだっけ?」
手には新しく入った菓子の箱を持っている。
「ああ、それならこっち」
「ありがと」
俺が売り場を指さすと、ゆかりが笑った。
昨日の沈んだ顔とは違う。
少し安心した。
そのとき、
「鮎田さん」
今度は真司さんがゆかりを呼んだ。
「はい?」
「昨日頼んだやつ、やってくれた?」
「あ、はい。終わってます」
「早いな。ありがとう。助かったよ」
「いえ」
ただ、それだけの会話。
仕事の話しかしていない。
なのに――。
視線を感じた。
俺じゃない。
ゆかりも気づいたらしい。
ちらりと横を見る。
かの子さんが、こっちを見ていた。
いや。
正確には、ゆかりを見ていた。
「…………」
何も言わない。
ただ、明らかに不機嫌そうな顔。
ゆかりが俺のそばへ少し寄った。
そして小さな声で、
「ね?」
と言った。
俺は苦笑した。
「昨日言ってたの、あれ?」
「そう。いつもあんな感じ」
「でも今、仕事の話しかしてなかったじゃん」
「でしょ?」
ゆかりは困ったように笑った。
「私、何にもしてないのに」
昨日と同じ言葉。
俺はそれ以上、何も考えなかった。
休憩に入ったとき、哲平も一緒だった。
二人きり。
言うなら今しかない。
哲平はスマホを見ながら、買ったばかりのおにぎりを食べている。
「なあ、哲平」
「ん?」
「ちょっと話あるんだけど」
「何?」
俺は一度息を吸った。
「ゆかりのことなんだけどさ」
哲平の手が止まった。
「……ゆかり?」
「ああ」
さっきまで何でもなかった哲平の表情が、少しだけ変わった。
「なんで奏が、ゆかりの話すんの?」
その言い方に、俺は一瞬戸惑った。
「なんでって……」
「最近さ」
哲平がおにぎりを置いて。
「お前、ゆかりと仲良くない?」
「普通だよ」
「ふーん」
「何だよ」
「別に」
哲平はまたスマホへ目を落とした。
言わなきゃ。
昨日、約束したんだから。
「あのさ、哲平。ゆかりに――」
そのとき。
「奏くん、休憩終わったらレジお願い!」
店のほうから声が飛んできた。
「あ、はい!」
反射的に返事をする。
哲平が立ち上がった。
「お前まだ休憩とれてねぇだろ?俺が、先戻るわ」
「え、ちょっと――」
哲平はそのままバックヤードを出ていった。
また、言えなかった。
その日のバイトが終わった。
「お疲れさまでした」
ゆかりは制服から私服に着替え、店を出た。
昼間の暑さは少しだけ和らいでいた。
それでも、夜の空気にはまだ熱が残っている。
駅へ向かおうとしたとき。
バッグの中でスマホが震えた。
ゆかりは歩きながら取り出した。
メッセージが一件。
画面に表示された名前を見て、足を止める。
沖島 真司
メッセージを開く。
―今日、会える?―
その文字を見た瞬間、ゆかりの表情がふっと緩んだ。
誰にも見せないような、少し嬉しそうな笑み。
ゆかりはすぐに指を動かした。
―会いたい。―
送信。
画面を見つめるゆかりの口元には、まだ小さな笑みが残っていた。


