薄暗い部屋の中。
逢瀬を堪能したゆかりは、奏の胸に頬を寄せていた。
「……疲れた」
「俺も」
「奏くん、頑張りすぎ」
「誰のせいだよ」
「私のせい?」
ゆかりが顔を上げる。
「ほかに誰がいるんだよ」
「ふふっ」
ゆかりが笑った。
奏もつられて笑う。
しばらく二人は、そのままベッドの上で過ごした。
事件のことも。
警察のことも。
この時間だけは、忘れていた。
ホテルから少し離れた場所に、一台の車が停まっていた。
運転席には森刑事。
助手席には堀田刑事が座っている。
森はホテルの出入口へ目を向けた。
「……まだ出てきませんね」
堀田が腕時計を見る。
「入ってから、どれくらいだ?」
「二時間ちょっとですね」
「二時間かぁ」
堀田は小さく息を吐いた。
「昼間からホテルか。若いねぇ」
森が横目で見る。
「そこ、感心するとこですか?」
「感心してないよ。羨ましいだけだ」
「もっとダメじゃないですか」
「俺なんか休みの日は昼寝して終わりだぞ」
「聞いてません」
堀田が笑う。
「お前もあと二十年もすれば分かる」
「分かりたくないです」
「そうか?」
「そうです」
そんな会話をしながらも、二人の視線はホテルから離れなかった。
しばらくして――
森の表情が変わる。
「出てきました」
堀田もすぐに前を見る。
「お腹すいた」
ホテルを出たゆかりが言った。
「俺も」
「何食べる?」
「肉」
「また?」
「体力使ったから。次にそなえないと」
「もう」
ゆかりが笑いながら、奏の腕に抱きついた。
「奏くん、ほんと元気だね」
「誰のせいだよ」
「また私のせいにする」
二人が歩き出す。
そのとき。
「山崎奏さん」
後ろから名前を呼ばれた。
奏が振り返る。
「……はい?」
二人の男が近づいてくる。
見覚えがあった。
「警察……」
堀田が警察手帳を見せる。
「どうも。また少し、お話を聞かせてもらえますか」
奏の顔から笑顔が消えた。
ゆかりも奏の腕から手を離す。
森がゆかりを見る。
「鮎田ゆかりさんもお願いします」
「……はい」
奏が二人を見る。
「なんで、ここにいるんですか?」
一瞬の沈黙。
奏が後ろを振り返った。
ホテル。
もう一度、刑事を見る。
「まさか……」
堀田が答えた。
「少し前から、お二人の行動を確認させてもらっていました」
「尾行してたってことですか?」
「そういうことになります」
奏の眉間に皺が寄る。
「俺たち、まだ疑われてるんですか?」
「武藤さんだけを調べているわけではありません」
堀田の声から、先ほどまでの軽さは消えていた。
「事件に関係する人について、一つずつ確認しています」
ゆかりが口を開く。
「かの子さんも?」
「捜査について詳しくお話しすることはできません」
堀田はそう答えた。
「ただ、必要な確認は全員について行っています」
奏は黙った。
「ここで話すのも何でしょう」
堀田がホテルをちらりと見る。
「場所を変えましょうか」
奏が気まずそうに目を逸らした。
「……お願いします」
近くの喫茶店。
奏とゆかりは並んで座り、その向かいに堀田と森が座った。
「まず確認ですが」
森が手帳を開く。
「今日、お二人がこちらのホテルに入ったのは十二時四十分ごろですね」
奏が露骨に嫌そうな顔をする。
「……そこまで見てたんですか」
「仕事ですので」
「出てくるところまで?」
「仕事ですので」
「……最悪だ」
ゆかりが横で小さく笑った。
「笑うなよ」
「だって」
堀田が咳払いをする。
「若いのは結構ですが、今日はその話をしに来たわけじゃありません」
森が堀田を見る。
「さっき車の中では――」
「森」
「はい」
森は黙った。
奏が怪訝そうに二人を見る。
堀田は何事もなかったように続けた。
「事件当日のことについて、もう一度確認したいことがあります」
空気が変わった。
「以前、お二人が利用したホテルについて確認を進めています」
奏の表情が真面目になる。
「……はい」
「お二人がホテルに入ったことは確認できました」
ゆかりは黙って聞いている。
「ただし、山崎さん」
「はい」
「あなたが眠っていた時間については、まだ分かっていません」
奏が隣のゆかりを見る。
「前にも言いましたけど、そんなに長く寝てないです」
「それを判断したのは鮎田さんの話ですね?」
「……はい」
「鮎田さん」
森がゆかりを見る。
「山崎さんが眠っていた間、一度も部屋を出ていない。それで間違いありませんか?」
「はい」
ゆかりはすぐに答えた。
「出てません。奏くん寝ちゃったから、シャワー……」
そこまで言って、ゆかりは恥ずかしくなったのか、顔を赤くして俯いた。
奏が口を挟んだ。
「だから、ゆかりは出てませんよ」
堀田が奏を見る。
「山崎さんは眠っていた」
「そうですけど……」
「なら、その時間については確認できませんね」
奏は黙った。
「俺は、ゆかりを信じてます」
堀田は少しだけ奏を見つめた。
「信じることと、事実を確認することは別です」
「……分かってます」
奏はそう答えたものの、納得しているようには見えなかった。
そのころ。
かの子についても捜査は続いていた。
匿名電話を受けてから店へ到着するまでの行動。
通話記録。
自宅周辺。
店までの経路。
そして、真司に包丁を向けた過去。
しかし――
殺害に直接結びつくものは、見つかっていなかった。
匿名電話の発信者も、依然として分からないままだった。
哲平についても、新たな確認が進められていた。
オンラインゲームからログアウトした時間。
仲間に、
「ちょっと出てくる」
そう告げたこと。
その後、店の防犯カメラに姿が映るまでの時間。
店に入る哲平。
そして――
慌てた様子で店から出ていく哲平。
森は資料を机の上に並べた。
「こうして見ると……」
堀田は黙って資料を見ている。
「武藤の状況、かなり悪いですね」
「そうだな」
「沖島さんに解雇されている。店内で暴力沙汰を起こしたこともある。犯行時間帯のアリバイがない。そして現場にいた」
「遺体を見つけても通報せず逃げた」
「はい」
森が資料から顔を上げる。
「でも、まだ決め手がない」
「そういうことだ」
堀田は椅子にもたれた。
「かの子さんにも動機はある。アリバイも弱い」
「鮎田ゆかりにも、空白の時間がある」
「ああ」
「山崎奏も完全に外せるわけじゃない」
堀田はしばらく黙っていた。
やがて、資料を閉じる。
「だから調べるんだよ」
「全員を?」
「全員だ」
堀田が森を見る。
「思い込みで犯人を決めたら、俺たちが犯人を作ることになる」
森は小さく頷いた。
「はい」
数日後。
再び哲平は警察署に呼ばれていた。
「何回同じこと聞くんだよ」
哲平は苛立った声を上げた。
向かいに座る堀田は、静かに答える。
「何度でも確認する」
「俺は店長を殺してない」
「分かってる」
「分かってねえだろ!」
哲平が身を乗り出す。
「店に行ったら死んでたんだよ! 怖くなって逃げただけだ!」
「武藤さん」
堀田が哲平を見る。
「店に向かう途中、誰かに会いましたか?」
「会ってねえよ」
「あなたが店へ向かっていたことを証明できる人は?」
「いねえ」
「沖島さんと話をするつもりだった?」
「そうだよ」
「何を話すつもりだった?」
「仕事に戻してくれって……」
哲平は一度言葉を止めた。
「店長に言うつもりだった」
「断られたら?」
「知らねえよ」
「腹が立つ?」
「そりゃ立つだろ」
「殺したいほど?」
哲平の顔が歪んだ。
「……またそれかよ」
「答えてください」
「殺してねえ!」
部屋に哲平の声が響く。
堀田は黙って哲平を見ていた。
「俺じゃねえ……」
哲平は俯く。
「俺が行ったときには、もう死んでたんだよ」
その言葉は、最初から変わっていなかった。
取調室を出た森が、廊下で待っていた堀田に声をかけた。
「ずっと同じですね」
「ああ」
「嘘をついているようには……」
森が言葉を止める。
堀田が見る。
「何だ?」
「いえ」
森は首を振った。
「証拠で考えます」
堀田がわずかに笑う。
「それでいい」
二人は廊下を歩き出した。
森が持っている資料には、
武藤哲平。
鮎田ゆかり。
山崎奏。
沖島かの子。
四人の名前が並んでいた。
まだ、捜査は終わっていない。
逢瀬を堪能したゆかりは、奏の胸に頬を寄せていた。
「……疲れた」
「俺も」
「奏くん、頑張りすぎ」
「誰のせいだよ」
「私のせい?」
ゆかりが顔を上げる。
「ほかに誰がいるんだよ」
「ふふっ」
ゆかりが笑った。
奏もつられて笑う。
しばらく二人は、そのままベッドの上で過ごした。
事件のことも。
警察のことも。
この時間だけは、忘れていた。
ホテルから少し離れた場所に、一台の車が停まっていた。
運転席には森刑事。
助手席には堀田刑事が座っている。
森はホテルの出入口へ目を向けた。
「……まだ出てきませんね」
堀田が腕時計を見る。
「入ってから、どれくらいだ?」
「二時間ちょっとですね」
「二時間かぁ」
堀田は小さく息を吐いた。
「昼間からホテルか。若いねぇ」
森が横目で見る。
「そこ、感心するとこですか?」
「感心してないよ。羨ましいだけだ」
「もっとダメじゃないですか」
「俺なんか休みの日は昼寝して終わりだぞ」
「聞いてません」
堀田が笑う。
「お前もあと二十年もすれば分かる」
「分かりたくないです」
「そうか?」
「そうです」
そんな会話をしながらも、二人の視線はホテルから離れなかった。
しばらくして――
森の表情が変わる。
「出てきました」
堀田もすぐに前を見る。
「お腹すいた」
ホテルを出たゆかりが言った。
「俺も」
「何食べる?」
「肉」
「また?」
「体力使ったから。次にそなえないと」
「もう」
ゆかりが笑いながら、奏の腕に抱きついた。
「奏くん、ほんと元気だね」
「誰のせいだよ」
「また私のせいにする」
二人が歩き出す。
そのとき。
「山崎奏さん」
後ろから名前を呼ばれた。
奏が振り返る。
「……はい?」
二人の男が近づいてくる。
見覚えがあった。
「警察……」
堀田が警察手帳を見せる。
「どうも。また少し、お話を聞かせてもらえますか」
奏の顔から笑顔が消えた。
ゆかりも奏の腕から手を離す。
森がゆかりを見る。
「鮎田ゆかりさんもお願いします」
「……はい」
奏が二人を見る。
「なんで、ここにいるんですか?」
一瞬の沈黙。
奏が後ろを振り返った。
ホテル。
もう一度、刑事を見る。
「まさか……」
堀田が答えた。
「少し前から、お二人の行動を確認させてもらっていました」
「尾行してたってことですか?」
「そういうことになります」
奏の眉間に皺が寄る。
「俺たち、まだ疑われてるんですか?」
「武藤さんだけを調べているわけではありません」
堀田の声から、先ほどまでの軽さは消えていた。
「事件に関係する人について、一つずつ確認しています」
ゆかりが口を開く。
「かの子さんも?」
「捜査について詳しくお話しすることはできません」
堀田はそう答えた。
「ただ、必要な確認は全員について行っています」
奏は黙った。
「ここで話すのも何でしょう」
堀田がホテルをちらりと見る。
「場所を変えましょうか」
奏が気まずそうに目を逸らした。
「……お願いします」
近くの喫茶店。
奏とゆかりは並んで座り、その向かいに堀田と森が座った。
「まず確認ですが」
森が手帳を開く。
「今日、お二人がこちらのホテルに入ったのは十二時四十分ごろですね」
奏が露骨に嫌そうな顔をする。
「……そこまで見てたんですか」
「仕事ですので」
「出てくるところまで?」
「仕事ですので」
「……最悪だ」
ゆかりが横で小さく笑った。
「笑うなよ」
「だって」
堀田が咳払いをする。
「若いのは結構ですが、今日はその話をしに来たわけじゃありません」
森が堀田を見る。
「さっき車の中では――」
「森」
「はい」
森は黙った。
奏が怪訝そうに二人を見る。
堀田は何事もなかったように続けた。
「事件当日のことについて、もう一度確認したいことがあります」
空気が変わった。
「以前、お二人が利用したホテルについて確認を進めています」
奏の表情が真面目になる。
「……はい」
「お二人がホテルに入ったことは確認できました」
ゆかりは黙って聞いている。
「ただし、山崎さん」
「はい」
「あなたが眠っていた時間については、まだ分かっていません」
奏が隣のゆかりを見る。
「前にも言いましたけど、そんなに長く寝てないです」
「それを判断したのは鮎田さんの話ですね?」
「……はい」
「鮎田さん」
森がゆかりを見る。
「山崎さんが眠っていた間、一度も部屋を出ていない。それで間違いありませんか?」
「はい」
ゆかりはすぐに答えた。
「出てません。奏くん寝ちゃったから、シャワー……」
そこまで言って、ゆかりは恥ずかしくなったのか、顔を赤くして俯いた。
奏が口を挟んだ。
「だから、ゆかりは出てませんよ」
堀田が奏を見る。
「山崎さんは眠っていた」
「そうですけど……」
「なら、その時間については確認できませんね」
奏は黙った。
「俺は、ゆかりを信じてます」
堀田は少しだけ奏を見つめた。
「信じることと、事実を確認することは別です」
「……分かってます」
奏はそう答えたものの、納得しているようには見えなかった。
そのころ。
かの子についても捜査は続いていた。
匿名電話を受けてから店へ到着するまでの行動。
通話記録。
自宅周辺。
店までの経路。
そして、真司に包丁を向けた過去。
しかし――
殺害に直接結びつくものは、見つかっていなかった。
匿名電話の発信者も、依然として分からないままだった。
哲平についても、新たな確認が進められていた。
オンラインゲームからログアウトした時間。
仲間に、
「ちょっと出てくる」
そう告げたこと。
その後、店の防犯カメラに姿が映るまでの時間。
店に入る哲平。
そして――
慌てた様子で店から出ていく哲平。
森は資料を机の上に並べた。
「こうして見ると……」
堀田は黙って資料を見ている。
「武藤の状況、かなり悪いですね」
「そうだな」
「沖島さんに解雇されている。店内で暴力沙汰を起こしたこともある。犯行時間帯のアリバイがない。そして現場にいた」
「遺体を見つけても通報せず逃げた」
「はい」
森が資料から顔を上げる。
「でも、まだ決め手がない」
「そういうことだ」
堀田は椅子にもたれた。
「かの子さんにも動機はある。アリバイも弱い」
「鮎田ゆかりにも、空白の時間がある」
「ああ」
「山崎奏も完全に外せるわけじゃない」
堀田はしばらく黙っていた。
やがて、資料を閉じる。
「だから調べるんだよ」
「全員を?」
「全員だ」
堀田が森を見る。
「思い込みで犯人を決めたら、俺たちが犯人を作ることになる」
森は小さく頷いた。
「はい」
数日後。
再び哲平は警察署に呼ばれていた。
「何回同じこと聞くんだよ」
哲平は苛立った声を上げた。
向かいに座る堀田は、静かに答える。
「何度でも確認する」
「俺は店長を殺してない」
「分かってる」
「分かってねえだろ!」
哲平が身を乗り出す。
「店に行ったら死んでたんだよ! 怖くなって逃げただけだ!」
「武藤さん」
堀田が哲平を見る。
「店に向かう途中、誰かに会いましたか?」
「会ってねえよ」
「あなたが店へ向かっていたことを証明できる人は?」
「いねえ」
「沖島さんと話をするつもりだった?」
「そうだよ」
「何を話すつもりだった?」
「仕事に戻してくれって……」
哲平は一度言葉を止めた。
「店長に言うつもりだった」
「断られたら?」
「知らねえよ」
「腹が立つ?」
「そりゃ立つだろ」
「殺したいほど?」
哲平の顔が歪んだ。
「……またそれかよ」
「答えてください」
「殺してねえ!」
部屋に哲平の声が響く。
堀田は黙って哲平を見ていた。
「俺じゃねえ……」
哲平は俯く。
「俺が行ったときには、もう死んでたんだよ」
その言葉は、最初から変わっていなかった。
取調室を出た森が、廊下で待っていた堀田に声をかけた。
「ずっと同じですね」
「ああ」
「嘘をついているようには……」
森が言葉を止める。
堀田が見る。
「何だ?」
「いえ」
森は首を振った。
「証拠で考えます」
堀田がわずかに笑う。
「それでいい」
二人は廊下を歩き出した。
森が持っている資料には、
武藤哲平。
鮎田ゆかり。
山崎奏。
沖島かの子。
四人の名前が並んでいた。
まだ、捜査は終わっていない。



