事件から数日が経っても、捜査は続いていた。
警察は、武藤哲平だけに疑いを向けていたわけではない。
第一発見者である、かの子。
真司と不倫関係にあった、ゆかり。
そして、ゆかりと交際している奏。
事件に関係する人間について、一人ずつ行動の確認が進められていた。
「もう一度、確認させてください」
刑事を前に、奏は椅子に座っていた。
「事件のあった夜、あなたは鮎田ゆかりさんとホテルにいた」
「はい」
「ホテルに入ったのは何時ごろですか?」
「時間までは覚えてません」
奏が答える。
刑事は手元の資料に目を落とした。
「ホテルを出た時間は?」
「次の日の朝です」
「その間、一度も外には出ていませんか?」
「出てません」
「鮎田さんも?」
「はい」
答えてから、奏は少しだけ考えた。
刑事はその様子を見逃さなかった。
「何か?」
「いや……」
「気になることがあるなら話してください」
奏は迷ったあと、口を開いた。
「俺、途中で寝ちゃったんです」
「どのくらい?」
「そんなに長くないと思います」
「時計を確認しましたか?」
「いや……してないです」
刑事のペンが動く。
「では、どうして長くないと?」
「ゆかりが……」
奏は少し言いづらそうに視線を落とした。
「そんなに寝てないって、確か5分くらいって言ってたから」
「鮎田さんが、そう言ったんですね?」
「はい」
「寝ている間、鮎田さんが部屋にいたかどうかは確認できない?」
奏の表情が変わった。
「……でも」
刑事は黙って待った。
「出てないと思います」
「思う?」
「ゆかりが出ていく理由なんてないですから」
「山崎さん」
刑事が静かに言う。
「我々が確認しているのは、鮎田さんを信じているかどうかではありません」
奏は刑事を見る。
「あなたが眠っていた時間の鮎田さんの行動を、あなた自身が確認できているかどうかです」
奏は答えられなかった。
しばらくして、小さく首を横に振った。
「……寝てた間は、分かりません」
「分かりました」
刑事はそれ以上追及しなかった。
別の部屋では、ゆかりが事情を聞かれていた。
「山崎さんは、ホテルで眠っていたそうですね」
「はい」
「どのくらい?」
「そんなに長くなかったと思います。たぶん5分くらい?」
刑事がゆかりを見る。
「山崎さんが眠っている間、あなたは何をしていました?」
「部屋にいました」
「ずっと?」
「はい」
「一度も外には?」
「出てません」
「部屋を出た記録が残る可能性があります。調べても構いませんね?」
一瞬だけ間があった。
「……はい」
ゆかりは刑事を見た。
「何度も聞かれてますけど……私、疑われてるんですか?」
「関係者全員について確認しています」
「奏くんも?」
「必要な確認はしています」
ゆかりは俯いた。
刑事が続ける。
「沖島さんから、山崎さんと別れるよう言われていた」
「……はい」
「それを断った」
「はい」
「沖島さんとの関係を終わらせようとは?」
ゆかりは少し黙った。
「思ってました」
「沖島さんは納得していましたか?」
「分かりません」
「揉めたことは?」
「……ありました」
刑事のペンが止まる。
「どんなことで?」
「奏くんと別れろって言われて……嫌だって」
「沖島さんは?」
「怒ってました」
「あなたは?」
ゆかりが顔を上げた。
「私も怒りました」
「沖島さんを憎いと思ったことは?」
「それは……」
ゆかりは言葉を詰まらせる。
「腹が立ったことはあります。でも……」
刑事を真っ直ぐ見る。
「だからって、殺したりしません」
刑事は何も答えず、再びペンを動かした。
同じころ。
別の捜査員たちは、かの子の事件当夜の行動を追っていた。
匿名の電話を受けた時刻。
自宅を出た時刻。
店へ向かった経路。
途中で立ち寄った場所がなかったか。
そして、彼女の行動を証明できる人間がいないか。
今のところ、かの子の行動を完全に証明できる者はいなかった。
さらに、匿名電話をかけてきた人物も分かっていない。
「ご主人に包丁を向けたことがあるんですね?」
再び尋ねられ、かの子は唇を噛んだ。
「……あります」
「あの夜、電話を受けて、ご主人と鮎田さんの関係が続いていると知った」
「はい」
「腹が立ちませんでしたか?」
「立ちましたよ」
かの子は刑事を見る。
「当たり前じゃないですか」
「店へ向かったのは、ご主人と話をするため?」
「そうです」
「包丁を向けたときと同じような気持ちには?」
「なってません」
「本当に?」
かの子の表情が強張った。
「私じゃありません」
刑事は黙っている。
「何度言えば信じてもらえるんですか」
「確認しているだけです」
「私は……」
かの子は膝の上で手を握った。
「店に着いたときには、真司はもう……」
言葉が止まった。
しばらくして、かの子は顔を上げる。
「武藤くんが店から出てきたのを見ました」
「それについても調べています」
「じゃあ、どうして私まで」
「武藤さんについて調べているのと同じです」
刑事が答えた。
「可能性を一つずつ確認しています」
哲平についても捜査は続いていた。
オンラインゲームで一緒に遊んでいた仲間たちの証言。
ログイン、ログアウトの記録。
店へ向かった時間。
防犯カメラに映った姿。
そして、真司の遺体を発見したにもかかわらず、通報せず逃げた理由。
何度聞かれても、哲平の答えは同じだった。
「俺じゃねえ」
机を挟んだ向こうで、刑事が哲平を見る。
「店長と話をするために行ったんだ」
「解雇されたことについて?」
「そうだよ」
「腹が立っていた?」
「当たり前だろ」
「沖島さんを殴ろうとは?」
「思ってねえよ」
「殺したいと思ったことは?」
哲平が机を叩いた。
「だから殺してねえって言ってんだろ!」
刑事は表情を変えなかった。
哲平は荒い息を吐く。
「俺が店に行ったときには……店長はもう死んでた」
「では、なぜ通報しなかった?」
「……怖くなったんだよ」
「何が?」
哲平は答えなかった。
刑事が続ける。
「あなたは沖島さんに解雇されている。以前、店内で暴力沙汰も起こしている。そして事件当夜、現場にいた」
「だから俺が殺したって?」
「そうは言っていません」
「同じじゃねえか!」
哲平は刑事を睨みつけた。
「俺じゃねえよ……」
声が少しだけ弱くなる。
「本当に、俺じゃねえんだよ」
事情聴取を終えた奏が建物を出ると、少し離れたところにゆかりが立っていた。
「ゆかり」
「奏くん」
ゆかりが駆け寄ってくる。
「いっぱい聞かれた?」
「まあね」
「私も」
二人はしばらく黙っていた。
「……ねえ」
ゆかりが奏を見る。
「奏くん、私のこと――」
「疑ってないよ」
言い終わる前に、奏が答えた。
ゆかりが目を丸くする。
「まだ何も言ってない」
「分かるよ」
「……そっか」
「警察は仕事だから聞いてるだけだろ」
奏は少し笑った。
「俺は、ゆかりを信じてる」
ゆかりは何も言わなかった。
やがて、小さく笑う。
「ありがとう」
「それより」
「ん?」
奏がスマートフォンで時間を確認した。
「まだ間に合うな」
「何が?」
「プラネタリウム」
ゆかりが目を見開いた。
「今日行くの?」
「約束しただろ」
「でも……こんな日だよ?」
「だからだよ」
奏が歩き出す。
「ずっと事件のことばっかり考えてても仕方ないだろ」
ゆかりはその背中を見つめたあと、追いかけた。
「待ってよ、奏くん」
奏の隣に並ぶ。
「ほんとに行く?」
「嫌ならやめるけど」
「行く」
ゆかりが奏の手を握った。
「行きたい」
「じゃ、決まり」
二人は手をつないで歩いていった。
館内が暗くなる。
やがて、頭上いっぱいに星が広がった。
「……わぁ」
隣から、ゆかりの声が聞こえた。
奏が横を見る。
ゆかりは天井を見上げている。
「きれい……」
「うん」
「奏くんも見て」
「見てるよ」
「私じゃなくて」
「バレた?」
「もう」
ゆかりが笑った。
奏も笑う。
少しして、ゆかりの手が奏の手に触れた。
奏はその手を握った。
無数の星が、二人の頭上をゆっくりと流れていく。
ゆかりは、ずっと星を見ていた。
そして、小さく呟いた。
「……きれい。星が見れた」
それだけだった。
奏は何も言わず、ゆかりの手を握っていた。
警察は、武藤哲平だけに疑いを向けていたわけではない。
第一発見者である、かの子。
真司と不倫関係にあった、ゆかり。
そして、ゆかりと交際している奏。
事件に関係する人間について、一人ずつ行動の確認が進められていた。
「もう一度、確認させてください」
刑事を前に、奏は椅子に座っていた。
「事件のあった夜、あなたは鮎田ゆかりさんとホテルにいた」
「はい」
「ホテルに入ったのは何時ごろですか?」
「時間までは覚えてません」
奏が答える。
刑事は手元の資料に目を落とした。
「ホテルを出た時間は?」
「次の日の朝です」
「その間、一度も外には出ていませんか?」
「出てません」
「鮎田さんも?」
「はい」
答えてから、奏は少しだけ考えた。
刑事はその様子を見逃さなかった。
「何か?」
「いや……」
「気になることがあるなら話してください」
奏は迷ったあと、口を開いた。
「俺、途中で寝ちゃったんです」
「どのくらい?」
「そんなに長くないと思います」
「時計を確認しましたか?」
「いや……してないです」
刑事のペンが動く。
「では、どうして長くないと?」
「ゆかりが……」
奏は少し言いづらそうに視線を落とした。
「そんなに寝てないって、確か5分くらいって言ってたから」
「鮎田さんが、そう言ったんですね?」
「はい」
「寝ている間、鮎田さんが部屋にいたかどうかは確認できない?」
奏の表情が変わった。
「……でも」
刑事は黙って待った。
「出てないと思います」
「思う?」
「ゆかりが出ていく理由なんてないですから」
「山崎さん」
刑事が静かに言う。
「我々が確認しているのは、鮎田さんを信じているかどうかではありません」
奏は刑事を見る。
「あなたが眠っていた時間の鮎田さんの行動を、あなた自身が確認できているかどうかです」
奏は答えられなかった。
しばらくして、小さく首を横に振った。
「……寝てた間は、分かりません」
「分かりました」
刑事はそれ以上追及しなかった。
別の部屋では、ゆかりが事情を聞かれていた。
「山崎さんは、ホテルで眠っていたそうですね」
「はい」
「どのくらい?」
「そんなに長くなかったと思います。たぶん5分くらい?」
刑事がゆかりを見る。
「山崎さんが眠っている間、あなたは何をしていました?」
「部屋にいました」
「ずっと?」
「はい」
「一度も外には?」
「出てません」
「部屋を出た記録が残る可能性があります。調べても構いませんね?」
一瞬だけ間があった。
「……はい」
ゆかりは刑事を見た。
「何度も聞かれてますけど……私、疑われてるんですか?」
「関係者全員について確認しています」
「奏くんも?」
「必要な確認はしています」
ゆかりは俯いた。
刑事が続ける。
「沖島さんから、山崎さんと別れるよう言われていた」
「……はい」
「それを断った」
「はい」
「沖島さんとの関係を終わらせようとは?」
ゆかりは少し黙った。
「思ってました」
「沖島さんは納得していましたか?」
「分かりません」
「揉めたことは?」
「……ありました」
刑事のペンが止まる。
「どんなことで?」
「奏くんと別れろって言われて……嫌だって」
「沖島さんは?」
「怒ってました」
「あなたは?」
ゆかりが顔を上げた。
「私も怒りました」
「沖島さんを憎いと思ったことは?」
「それは……」
ゆかりは言葉を詰まらせる。
「腹が立ったことはあります。でも……」
刑事を真っ直ぐ見る。
「だからって、殺したりしません」
刑事は何も答えず、再びペンを動かした。
同じころ。
別の捜査員たちは、かの子の事件当夜の行動を追っていた。
匿名の電話を受けた時刻。
自宅を出た時刻。
店へ向かった経路。
途中で立ち寄った場所がなかったか。
そして、彼女の行動を証明できる人間がいないか。
今のところ、かの子の行動を完全に証明できる者はいなかった。
さらに、匿名電話をかけてきた人物も分かっていない。
「ご主人に包丁を向けたことがあるんですね?」
再び尋ねられ、かの子は唇を噛んだ。
「……あります」
「あの夜、電話を受けて、ご主人と鮎田さんの関係が続いていると知った」
「はい」
「腹が立ちませんでしたか?」
「立ちましたよ」
かの子は刑事を見る。
「当たり前じゃないですか」
「店へ向かったのは、ご主人と話をするため?」
「そうです」
「包丁を向けたときと同じような気持ちには?」
「なってません」
「本当に?」
かの子の表情が強張った。
「私じゃありません」
刑事は黙っている。
「何度言えば信じてもらえるんですか」
「確認しているだけです」
「私は……」
かの子は膝の上で手を握った。
「店に着いたときには、真司はもう……」
言葉が止まった。
しばらくして、かの子は顔を上げる。
「武藤くんが店から出てきたのを見ました」
「それについても調べています」
「じゃあ、どうして私まで」
「武藤さんについて調べているのと同じです」
刑事が答えた。
「可能性を一つずつ確認しています」
哲平についても捜査は続いていた。
オンラインゲームで一緒に遊んでいた仲間たちの証言。
ログイン、ログアウトの記録。
店へ向かった時間。
防犯カメラに映った姿。
そして、真司の遺体を発見したにもかかわらず、通報せず逃げた理由。
何度聞かれても、哲平の答えは同じだった。
「俺じゃねえ」
机を挟んだ向こうで、刑事が哲平を見る。
「店長と話をするために行ったんだ」
「解雇されたことについて?」
「そうだよ」
「腹が立っていた?」
「当たり前だろ」
「沖島さんを殴ろうとは?」
「思ってねえよ」
「殺したいと思ったことは?」
哲平が机を叩いた。
「だから殺してねえって言ってんだろ!」
刑事は表情を変えなかった。
哲平は荒い息を吐く。
「俺が店に行ったときには……店長はもう死んでた」
「では、なぜ通報しなかった?」
「……怖くなったんだよ」
「何が?」
哲平は答えなかった。
刑事が続ける。
「あなたは沖島さんに解雇されている。以前、店内で暴力沙汰も起こしている。そして事件当夜、現場にいた」
「だから俺が殺したって?」
「そうは言っていません」
「同じじゃねえか!」
哲平は刑事を睨みつけた。
「俺じゃねえよ……」
声が少しだけ弱くなる。
「本当に、俺じゃねえんだよ」
事情聴取を終えた奏が建物を出ると、少し離れたところにゆかりが立っていた。
「ゆかり」
「奏くん」
ゆかりが駆け寄ってくる。
「いっぱい聞かれた?」
「まあね」
「私も」
二人はしばらく黙っていた。
「……ねえ」
ゆかりが奏を見る。
「奏くん、私のこと――」
「疑ってないよ」
言い終わる前に、奏が答えた。
ゆかりが目を丸くする。
「まだ何も言ってない」
「分かるよ」
「……そっか」
「警察は仕事だから聞いてるだけだろ」
奏は少し笑った。
「俺は、ゆかりを信じてる」
ゆかりは何も言わなかった。
やがて、小さく笑う。
「ありがとう」
「それより」
「ん?」
奏がスマートフォンで時間を確認した。
「まだ間に合うな」
「何が?」
「プラネタリウム」
ゆかりが目を見開いた。
「今日行くの?」
「約束しただろ」
「でも……こんな日だよ?」
「だからだよ」
奏が歩き出す。
「ずっと事件のことばっかり考えてても仕方ないだろ」
ゆかりはその背中を見つめたあと、追いかけた。
「待ってよ、奏くん」
奏の隣に並ぶ。
「ほんとに行く?」
「嫌ならやめるけど」
「行く」
ゆかりが奏の手を握った。
「行きたい」
「じゃ、決まり」
二人は手をつないで歩いていった。
館内が暗くなる。
やがて、頭上いっぱいに星が広がった。
「……わぁ」
隣から、ゆかりの声が聞こえた。
奏が横を見る。
ゆかりは天井を見上げている。
「きれい……」
「うん」
「奏くんも見て」
「見てるよ」
「私じゃなくて」
「バレた?」
「もう」
ゆかりが笑った。
奏も笑う。
少しして、ゆかりの手が奏の手に触れた。
奏はその手を握った。
無数の星が、二人の頭上をゆっくりと流れていく。
ゆかりは、ずっと星を見ていた。
そして、小さく呟いた。
「……きれい。星が見れた」
それだけだった。
奏は何も言わず、ゆかりの手を握っていた。



