警察官は急かすことなく、ゆかりの返事を待っている。
やがて、ゆかりが小さく息を吐いた。
「……はい」
「いつからですか?」
「半年くらい前からです」
「最近まで続いていた?」
ゆかりは少し黙った。
「……はい」
「山崎奏さんと交際を始めたあとも?」
「はい」
警察官のペンが動く。
「沖島さんの奥さんは、関係が終わったと思っていたそうです」
ゆかりは何も言わなかった。
「沖島さんとは、最近何か揉めていましたか?」
「揉めたっていうか……」
「何です?」
「奏くんと別れろって言われました」
「沖島さんから?」
「はい」
「それで?」
「断りました」
「沖島さんは怒った?」
「……怒ってました」
「あなたは?」
ゆかりが警察官を見る。
「私?」
「沖島さんに腹を立てていませんでしたか?」
「そりゃ……勝手だとは思いました」
「勝手?」
「自分は奥さんと別れないのに、私には彼氏と別れろって言うから」
警察官は黙って聞いている。
「だから、もう真司さんとの関係を終わらせようと思っていました」
「本人にも伝えましたか?」
「……ちゃんとは言ってません」
「では、沖島さんは関係が続いていると思っていた可能性がある?」
「あると思います」
「最後に会ったのは?」
ゆかりは一瞬考えた。
そして答えた。
「数日前です」
「どこで?」
「……ホテルです」
またペンが動く。
「そのとき、喧嘩は?」
「少し」
「どんな?」
「今言ったことです。奏くんと別れろって」
「それだけですか?」
「はい」
ゆかりの声は落ち着いていた。
同じころ。
かの子も、改めて話を聞かれていた。
「ご主人と鮎田さんの関係を知ったのは、いつですか?」
「少し前です」
「どうやって?」
かの子は俯いた。
「……見たんです」
「何を?」
「二人がキスしているところを」
膝の上の手が震える。
「あの人の車の中で……」
「そのあと、ご主人とは話を?」
「しました」
「どんな話を?」
「別れてほしいって」
「鮎田さんと?」
「はい」
「ご主人は何と?」
「私を選ぶって言いました」
かの子が顔を上げる。
「だから信じてたんです」
声が震えた。
「最近は一緒に出かけたりもして……昔みたいに戻れると思ってた」
「ところが昨夜、匿名の電話があった」
「はい」
「まだ関係が続いている、と」
かの子は唇を噛んだ。
「だから店へ行きました」
「ご主人を問い詰めるつもりだった?」
「……はい」
警察官は少し間を置いた。
「かなり腹が立っていたのでは?」
かの子の表情が強張る。
「当たり前じゃないですか」
「殺したいほど?」
「……!」
かの子が顔を上げた。
「何が言いたいんですか?」
「確認しているだけです」
「私は主人を殺してません!」
「では、以前ご主人に『殺す』と言ったことは?」
かの子の顔から血の気が引いた。
「……」
「心当たりがありますね」
「それは……」
「包丁を持って、ご主人を脅したことがあるそうですね」
かの子は俯いた。
長い沈黙のあと、震える声で言った。
「……あります」
「どんな状況でした?」
「頭に血が上って……」
「ご主人に包丁を向けた?」
「はい」
「何と言いました?」
かの子は答えたくなかった。
あの夜の自分の声が蘇る。
――あの子と別れないなら、あなたを殺して私も死ぬわ。
「奥さん?」
かの子の目から涙が落ちた。
「でも……本当に殺すつもりなんてなかった」
「ご主人は昨夜、刃物で殺害されています」
「違う!」
かの子が声を上げた。
「私じゃない!」
警察官は何も言わなかった。
数日後。
警察は防犯カメラの映像を繰り返し確認していた。
沖島が店にいる。
客が入る。
客が出る。
静かな時間が続く。
そして――
哲平が店へ入る。
しばらくして、店から走って出ていく。
「この時間か」
一人の刑事が呟いた。
別の刑事が資料を見る。
「武藤哲平。被害者に店を辞めさせられている」
「暴力沙汰も?」
「ああ。鮎田ゆかりを巡って、山崎奏とも揉めてる」
「被害者とも関係が悪かった」
「本人は、来たときにはすでに死んでいたと言っている」
刑事が映像を止めた。
画面には、店へ入っていく哲平の姿。
「じゃあ――」
隣の刑事を見る。
「こいつが入る前に、店長を殺した人間がいたってことか?」
「本人の話が本当ならな」
再び映像が動く。
刑事は画面を見つめた。
そのころ。
奏とゆかりは二人で歩いていた。
真司が死んでから、初めて二人きりになった。
「大丈夫?」
奏が聞く。
「何が?」
「店長のこと」
「……うん」
「無理すんなよ」
「ありがとう」
少し歩いてから、ゆかりが奏の手を握った。
奏も握り返す。
「奏くん」
「ん?」
「私のこと、疑ってる?」
奏が足を止めた。
「は?」
ゆかりも立ち止まる。
「警察に、いろいろ聞かれたから」
「疑うわけないだろ」
奏は即答した。
「だって、あの日――」
ゆかりの手を握る。
「俺たち、ずっと一緒にいたじゃん」
「……うん」
ゆかりが微笑んだ。
「そうだよね」
再び二人は歩き始めた。
「ねえ、奏くん」
「ん?」
「プラネタリウム」
「え?」
「約束したでしょ」
「ああ」
奏が笑う。
「行こう」
「いつ?」
「店がこんなだから、いつでもいいよ」
「ほんと?」
「約束しただろ」
「やった」
ゆかりが嬉しそうに笑った。
奏はその笑顔を見つめていた。
その日の夜。
哲平の家のチャイムが鳴った。
「……誰だよ」
哲平は面倒そうに玄関へ向かう。
扉を開ける。
そこには、二人の刑事が立っていた。
「武藤哲平さんですね?」
哲平の表情が変わる。
「……何ですか」
刑事は哲平を真っ直ぐ見た。
「もう一度、お話を聞かせてください」
哲平は何も答えなかった。
やがて、ゆかりが小さく息を吐いた。
「……はい」
「いつからですか?」
「半年くらい前からです」
「最近まで続いていた?」
ゆかりは少し黙った。
「……はい」
「山崎奏さんと交際を始めたあとも?」
「はい」
警察官のペンが動く。
「沖島さんの奥さんは、関係が終わったと思っていたそうです」
ゆかりは何も言わなかった。
「沖島さんとは、最近何か揉めていましたか?」
「揉めたっていうか……」
「何です?」
「奏くんと別れろって言われました」
「沖島さんから?」
「はい」
「それで?」
「断りました」
「沖島さんは怒った?」
「……怒ってました」
「あなたは?」
ゆかりが警察官を見る。
「私?」
「沖島さんに腹を立てていませんでしたか?」
「そりゃ……勝手だとは思いました」
「勝手?」
「自分は奥さんと別れないのに、私には彼氏と別れろって言うから」
警察官は黙って聞いている。
「だから、もう真司さんとの関係を終わらせようと思っていました」
「本人にも伝えましたか?」
「……ちゃんとは言ってません」
「では、沖島さんは関係が続いていると思っていた可能性がある?」
「あると思います」
「最後に会ったのは?」
ゆかりは一瞬考えた。
そして答えた。
「数日前です」
「どこで?」
「……ホテルです」
またペンが動く。
「そのとき、喧嘩は?」
「少し」
「どんな?」
「今言ったことです。奏くんと別れろって」
「それだけですか?」
「はい」
ゆかりの声は落ち着いていた。
同じころ。
かの子も、改めて話を聞かれていた。
「ご主人と鮎田さんの関係を知ったのは、いつですか?」
「少し前です」
「どうやって?」
かの子は俯いた。
「……見たんです」
「何を?」
「二人がキスしているところを」
膝の上の手が震える。
「あの人の車の中で……」
「そのあと、ご主人とは話を?」
「しました」
「どんな話を?」
「別れてほしいって」
「鮎田さんと?」
「はい」
「ご主人は何と?」
「私を選ぶって言いました」
かの子が顔を上げる。
「だから信じてたんです」
声が震えた。
「最近は一緒に出かけたりもして……昔みたいに戻れると思ってた」
「ところが昨夜、匿名の電話があった」
「はい」
「まだ関係が続いている、と」
かの子は唇を噛んだ。
「だから店へ行きました」
「ご主人を問い詰めるつもりだった?」
「……はい」
警察官は少し間を置いた。
「かなり腹が立っていたのでは?」
かの子の表情が強張る。
「当たり前じゃないですか」
「殺したいほど?」
「……!」
かの子が顔を上げた。
「何が言いたいんですか?」
「確認しているだけです」
「私は主人を殺してません!」
「では、以前ご主人に『殺す』と言ったことは?」
かの子の顔から血の気が引いた。
「……」
「心当たりがありますね」
「それは……」
「包丁を持って、ご主人を脅したことがあるそうですね」
かの子は俯いた。
長い沈黙のあと、震える声で言った。
「……あります」
「どんな状況でした?」
「頭に血が上って……」
「ご主人に包丁を向けた?」
「はい」
「何と言いました?」
かの子は答えたくなかった。
あの夜の自分の声が蘇る。
――あの子と別れないなら、あなたを殺して私も死ぬわ。
「奥さん?」
かの子の目から涙が落ちた。
「でも……本当に殺すつもりなんてなかった」
「ご主人は昨夜、刃物で殺害されています」
「違う!」
かの子が声を上げた。
「私じゃない!」
警察官は何も言わなかった。
数日後。
警察は防犯カメラの映像を繰り返し確認していた。
沖島が店にいる。
客が入る。
客が出る。
静かな時間が続く。
そして――
哲平が店へ入る。
しばらくして、店から走って出ていく。
「この時間か」
一人の刑事が呟いた。
別の刑事が資料を見る。
「武藤哲平。被害者に店を辞めさせられている」
「暴力沙汰も?」
「ああ。鮎田ゆかりを巡って、山崎奏とも揉めてる」
「被害者とも関係が悪かった」
「本人は、来たときにはすでに死んでいたと言っている」
刑事が映像を止めた。
画面には、店へ入っていく哲平の姿。
「じゃあ――」
隣の刑事を見る。
「こいつが入る前に、店長を殺した人間がいたってことか?」
「本人の話が本当ならな」
再び映像が動く。
刑事は画面を見つめた。
そのころ。
奏とゆかりは二人で歩いていた。
真司が死んでから、初めて二人きりになった。
「大丈夫?」
奏が聞く。
「何が?」
「店長のこと」
「……うん」
「無理すんなよ」
「ありがとう」
少し歩いてから、ゆかりが奏の手を握った。
奏も握り返す。
「奏くん」
「ん?」
「私のこと、疑ってる?」
奏が足を止めた。
「は?」
ゆかりも立ち止まる。
「警察に、いろいろ聞かれたから」
「疑うわけないだろ」
奏は即答した。
「だって、あの日――」
ゆかりの手を握る。
「俺たち、ずっと一緒にいたじゃん」
「……うん」
ゆかりが微笑んだ。
「そうだよね」
再び二人は歩き始めた。
「ねえ、奏くん」
「ん?」
「プラネタリウム」
「え?」
「約束したでしょ」
「ああ」
奏が笑う。
「行こう」
「いつ?」
「店がこんなだから、いつでもいいよ」
「ほんと?」
「約束しただろ」
「やった」
ゆかりが嬉しそうに笑った。
奏はその笑顔を見つめていた。
その日の夜。
哲平の家のチャイムが鳴った。
「……誰だよ」
哲平は面倒そうに玄関へ向かう。
扉を開ける。
そこには、二人の刑事が立っていた。
「武藤哲平さんですね?」
哲平の表情が変わる。
「……何ですか」
刑事は哲平を真っ直ぐ見た。
「もう一度、お話を聞かせてください」
哲平は何も答えなかった。



