昨日までの片想い

 自分の感情がよく分からない。なんて、(うた)みたいなことを言いたいわけじゃなくて。
 昨日の帰り道。
 荒井君のいない一人の帰り道は、思った以上に静かで。今まで、一人の帰り道はこんなにも静かだっただろうか。思い返してみても、数日前までのことなのに、荒井君がいなかった頃の帰り道をうまく思い出せず。
 家に帰ってからも、上手く表せない感情と、伸ばしてしまった手について考えた。
 結局、答えが出ないまま日が変わり。

 昼食をクラスメイトと食べていると、先生に呼ばれる。

「新藤さん。お昼にごめんなさい。これ、お昼の間に一年生のマネージャーに渡しといてもらえる?」

 渡されたのは、プリントの束。内容はテスト明けのスケジュールに関して。
 先生は、私の答えを待たず、その場を去っていく。

「まだ、食べ終わってないんだけど……」

 そんな呟きは、喧噪が広がる廊下に消えていく。
 溜息を残し、友人達のもとへ。「残すなら頂戴!」なんて、箸を伸ばしてくる友人達を避けながら弁当をしまい、人がごった返す廊下へ。
 三十枚ほどのプリントの束を抱えながら、廊下を抜けていく。
 一年の教室がある一階へと向かいながら、渡す予定のマネージャーを頭に浮かべる。

「確か……三組だっけ」

 廊下と同じく、生徒がたむろっている階段を降り。二年の廊下と何も変わらない喧噪の、一年の廊下。
 自分の学年エリアに、他の学年がいる。それだけで、好奇の的となり。
 どこか居心地の悪さを感じながら、目的の三組へ。
 
「先輩、なんで一年の廊下にいるんすか」

 人混みを掻き分けながら歩いていると、突然声を掛けられる。
 知らない顔。それだけで、興味は失せ、視線を外す。

「邪魔」
 
 そんな言葉を残し、横を通り過ぎる。後ろから呼び止める声が聞こえるが、構わず歩く。
 だから、他の学年の階に行くのは嫌なのだ──と文句を心の内で呟きながら、クラスプレートへと視線を向ける。
 目的の三組。
 携帯で連絡しようとするが、携帯を置いてきたことに気付き、ため息。
 
「なんだ。先輩、うちのクラスに用すか?」

 どこか馴れ馴れしい言葉遣い。
 少し苛立ちを抱きながら、言葉を返していく。

「そうなの。申し訳ないけど、サッカー部の──」
「サッカー部……荒井っすか! 了解です」
「いや、ちがっ」

 マネージャーを呼んで欲しいのだ。
 そんな当然の感情より、荒井君の名前に身体が反応し。この馴れ馴れしい奴の口を塞ごうと手を伸ばすが、一歩届かず。

「おーい、荒井!」

 喧噪が広がる一年三組の教室に、荒井君の名が響く。しかし、その問いかけに一向に返事は返ってこず。
 自分でもよく分からない、変な汗をかきながら、視線を教室の中へ向ける。教室の中には、荒井君の姿はなかった。

「荒井なら、森と職員室行ってたぞ」
「藤木先生に、一緒に質問しに行くんだと」
「あいつも、お人よしだよなー。そんなの一人で行かせればいいのに」

 喧噪の中から、そんな答えが返ってくる。
 その答えの中に出てきた『森』という言葉に思わず反応してしまう。『森』が男子である、なんて都合のいい話はないだろう。
 少し胸が苦しくなり、手に持ったプリントの束を馴れ馴れしい荒井君のクラスメイトに渡す。

「……これ、教卓の前で弁当食べてるあの子に渡して。二年の新藤から、って言えば分かると思うから」
 
 束を押し付けるように渡し、その場を後にする。
 廊下を抜ける。階段の前を通り過ぎ、昇降口へ。そして、その奥にある自販機エリアへ。
 お茶と、不人気な飲料ばかりが集まる自販機エリアには人の気配はせず。
 近くのベンチに座り、天井を仰ぐ。

「何やってるんだろ、私」

 荒井君の名前を聞き、身体が反応し。森さんの名前を聞き、胸が苦しくなり。
 これでは、まるで──いや、そんなことはあり得ない、と首を振る。
 私は今でも早瀬先輩が好きで。現に、先輩を思えば、断られた辛さが蘇る。

「だから……そんなわけ」

 遠くの方から聞こえる生徒の喧噪。
 頭上に掛けられている、壁掛け時計の秒針の音。カチ、カチ、という音が反響する。
 それらの音をかき消すように、心臓の音が鳴る。それは、まるで、あの日と同じように。
 ただの後輩で。頼りなくて、いつも空回ってばかりで。
 でも、誰よりも周りを見ていて。そして、優しくて。

「でも、それは誰にでも同じで」

 自分へ、言い訳を重ねる。
 そうしないと、自覚してしまいそうだから。

「そう。だから、別に特別じゃなくて──」

 天井だけを視界に納めて、一人で呟いていると足音が向かってくる。
 顔をそちらに向ければ、よく知る二人。
 一人は自然に話し、もう一人はそんな彼の様子を窺っている。
 そんな青春の一ページの様な光景。

「あ、あれ! 先輩、何でこんな所に!」

 私を見て、一瞬で嬉しそうな表情を浮かべ。そして、先ほどまでの自然な様子から一変。どこか緊張したかのような喋り方。
 そんないつも通りの姿が、どこか面白くて。

「うーん。ちょっと、色々と考えごと。まぁ、私のことはいいからさ。二人で話しててよ」

 私が曖昧に答え、会話を促す。
 以前、荒井君の友人が『話を聞くのは上手なのにな』と荒井君を評価したと聞いた。きっと、荒井君の()()にとって、彼の話はつまらないのだろう。
 でも、友人という括りじゃない関係値なら話が違うわけで。
 楽しそうに話を聞く森さん。それが答え。
 そんな二人の姿を眺めていると、午後の授業開始のチャイムが鳴る。

「あ、森さん、戻ろっか」

 そう言って、踵を返そうとする荒井君。
 しかし、森さんへと一言残し私のもとへ。

「きょ、今日は一緒に帰れますか?」

 紛うことなき、真っすぐな好意。これで、私の勘違いなら、私は人の心を読むのが下手かもしれない。
 そんな自嘲をしてから、私は言葉を返す。

「うん。今日は一緒に帰ろっか」

 私の言葉を聞き、嬉しそうに森さんと教室へと戻っていく。
 森さんには悪いことしたなぁ、と言葉をこぼす。

「はぁ……」

 早瀬先輩を好きだった気持ちは、まだ消えていない。思い出せば、今だって胸が痛む。
 でも、それ以上に──。

「これ、私の方が好きじゃん」

 教室に戻る気力も湧かず。
 時計の秒針の音が広がる空間で、一人、静かに天井を見上げる。