春めいた日差しが、窓際の席へ差し込んでいた。
休日の午後。
カフェで向かい合う陽菜子は、運ばれてきたケーキに嬉しそうに目を細めた。
「美味しそう。」
神崎はその表情を見てから、ようやく自分のコーヒーに手を伸ばした。
陽菜子の誕生日が、近づいている。
付き合ってから初めて迎える、彼女の誕生日だった。
二月には、手料理を作ってもらった。
ケーキも、プレゼントも、来年の約束ももらった。
思い出すだけで、今でも胸のあたりがおかしくなる。
だから、自分も喜ばせたい。
そう思って調べ始めたはずなのに、気づけば候補ばかりが増えていた。
夜景の見えるレストラン。
花束。
アクセサリー。
少し足を延ばして、旅行という選択肢もある。
けれど、写真や紹介文をいくら眺めても、それを受け取る陽菜子の顔をうまく思い描けなかった。
「紅夜くん?」
顔を上げると、陽菜子がフォークを持ったまま首をかしげていた。
「何か考え事?」
「……すみません。」
「仕事?」
「いえ。陽菜子さんの誕生日のことを。」
言ってから、もう少しさりげなく聞くつもりだったことを思い出した。
陽菜子が目を丸くする。
「まだ少し先だよ?」
「準備をしておきたくて。」
「そんなに大変なこと、しなくていいからね。」
そう言われることは分かっていた。
けれど、簡単に頷くこともできない。
「何か、欲しいものはありませんか。」
「欲しいもの?」
陽菜子は少し考えてから、困ったように笑った。
「こうやって聞かれると、思いつかないな。」
「行きたい場所でも。食べたいものでも構いません。」
「うーん……。」
その顔を、神崎は真剣に見つめた。
彼女が望むなら、できることは何でもしたい。
だが、その気持ちばかりが先に立って、肝心の望みが分からなくなる。
陽菜子はフォークを置いた。
「紅夜くんは、誕生日、楽しかった?」
「はい。」
今度は迷わず答えられた。
「すごく。」
陽菜子が嬉しそうに笑う。
それだけで、また言葉が足りなくなる。
「じゃあ、私も同じのがいいな。」
「同じ、ですか。」
「うん。紅夜くんのご飯を食べて、ケーキを半分こして、ゆっくり一緒にいたい。」
「……それで、いいんですか。」
言った瞬間、陽菜子が少し眉を下げた。
「紅夜くんは、私が作ったご飯だけじゃ、物足りなかった?」
「そんなことはありません。」
思わず声に力が入った。
「今までで、一番……。」
そこまで口にして、止まる。
陽菜子は急かさず待っていた。
神崎はカップから手を離し、静かに続きを口にした。
「一番、嬉しい誕生日でした。」
「私も、そういう日にしてほしい。」
胸の中で、何かがゆっくりほどけた。
自分がもらった喜びと、彼女が欲しいものを、別々に考えていたのかもしれない。
「……分かりました。」
「でも、ケーキは選びたいかも。一緒に買いに行かない?」
「はい。」
「ご飯は、紅夜くんにお任せします。」
「苦手なもの以外なら、何でも?」
「うん。楽しみにしてる。」
神崎は頷きながら、頭の中で献立を考え始めた。
その横で、陽菜子がケーキをひと口食べる。
唇の端についたクリームを指摘すると、彼女は慌てて紙ナプキンを取った。
「取れた?」
「……はい。」
可愛い。
言葉にしそうになって、コーヒーと一緒に飲み込む。
誕生日の相談中に何度も言えば、きっとまた照れさせてしまう。
もっとも、飲み込んだところで、顔には出ていたらしい。
「紅夜くん、何でそんな顔してるの?」
「どんな顔ですか。」
「すごく、嬉しそうな顔。」
否定はできなかった。
*
帰り道、雑貨店の前で陽菜子が足を止めた。
ショーウィンドーには、色違いのマグカップが並んでいる。
白と、深い青だった。
「これ、可愛いね。」
「見ていきますか。」
「ううん。家にまだ使えるのがあるし。」
そう言って歩き出しかけた陽菜子が、もう一度だけ振り返った。
「でも、いつかお揃いにするのもいいね。」
神崎の足が止まる。
陽菜子の部屋で、それぞれ違うカップを使ってお茶を飲むことも。
自分の部屋で、彼女のために食器を一つ多く出すことも。
いつの間にか、当たり前になり始めていた。
その先に、二つ並んだカップがある。
「……はい。」
返事が遅れたせいか、陽菜子が顔を覗き込んできた。
「紅夜くん?」
「すみません。今、少し……先のことを考えていました。」
「先?」
どこまで伝えていいのか、まだ自分でも分からなかった。
神崎は代わりに、隣にある手を取った。
「まずは、誕生日を楽しみにしていてください。」
陽菜子が笑って、その手を握り返す。
「うん。」
帰宅してから、神崎はスマートフォンに残していた候補を見直した。
いくつもの店名が並ぶメモを閉じ、新しいページを開く。
陽菜子の好きな料理。
一緒に選ぶケーキ。
それから、色違いのマグカップ。
三つ書き終えても、すぐには画面を閉じられなかった。
いつか。
今日、彼女が何気なく口にしたその言葉が、ずっと胸に残っていた。
休日の午後。
カフェで向かい合う陽菜子は、運ばれてきたケーキに嬉しそうに目を細めた。
「美味しそう。」
神崎はその表情を見てから、ようやく自分のコーヒーに手を伸ばした。
陽菜子の誕生日が、近づいている。
付き合ってから初めて迎える、彼女の誕生日だった。
二月には、手料理を作ってもらった。
ケーキも、プレゼントも、来年の約束ももらった。
思い出すだけで、今でも胸のあたりがおかしくなる。
だから、自分も喜ばせたい。
そう思って調べ始めたはずなのに、気づけば候補ばかりが増えていた。
夜景の見えるレストラン。
花束。
アクセサリー。
少し足を延ばして、旅行という選択肢もある。
けれど、写真や紹介文をいくら眺めても、それを受け取る陽菜子の顔をうまく思い描けなかった。
「紅夜くん?」
顔を上げると、陽菜子がフォークを持ったまま首をかしげていた。
「何か考え事?」
「……すみません。」
「仕事?」
「いえ。陽菜子さんの誕生日のことを。」
言ってから、もう少しさりげなく聞くつもりだったことを思い出した。
陽菜子が目を丸くする。
「まだ少し先だよ?」
「準備をしておきたくて。」
「そんなに大変なこと、しなくていいからね。」
そう言われることは分かっていた。
けれど、簡単に頷くこともできない。
「何か、欲しいものはありませんか。」
「欲しいもの?」
陽菜子は少し考えてから、困ったように笑った。
「こうやって聞かれると、思いつかないな。」
「行きたい場所でも。食べたいものでも構いません。」
「うーん……。」
その顔を、神崎は真剣に見つめた。
彼女が望むなら、できることは何でもしたい。
だが、その気持ちばかりが先に立って、肝心の望みが分からなくなる。
陽菜子はフォークを置いた。
「紅夜くんは、誕生日、楽しかった?」
「はい。」
今度は迷わず答えられた。
「すごく。」
陽菜子が嬉しそうに笑う。
それだけで、また言葉が足りなくなる。
「じゃあ、私も同じのがいいな。」
「同じ、ですか。」
「うん。紅夜くんのご飯を食べて、ケーキを半分こして、ゆっくり一緒にいたい。」
「……それで、いいんですか。」
言った瞬間、陽菜子が少し眉を下げた。
「紅夜くんは、私が作ったご飯だけじゃ、物足りなかった?」
「そんなことはありません。」
思わず声に力が入った。
「今までで、一番……。」
そこまで口にして、止まる。
陽菜子は急かさず待っていた。
神崎はカップから手を離し、静かに続きを口にした。
「一番、嬉しい誕生日でした。」
「私も、そういう日にしてほしい。」
胸の中で、何かがゆっくりほどけた。
自分がもらった喜びと、彼女が欲しいものを、別々に考えていたのかもしれない。
「……分かりました。」
「でも、ケーキは選びたいかも。一緒に買いに行かない?」
「はい。」
「ご飯は、紅夜くんにお任せします。」
「苦手なもの以外なら、何でも?」
「うん。楽しみにしてる。」
神崎は頷きながら、頭の中で献立を考え始めた。
その横で、陽菜子がケーキをひと口食べる。
唇の端についたクリームを指摘すると、彼女は慌てて紙ナプキンを取った。
「取れた?」
「……はい。」
可愛い。
言葉にしそうになって、コーヒーと一緒に飲み込む。
誕生日の相談中に何度も言えば、きっとまた照れさせてしまう。
もっとも、飲み込んだところで、顔には出ていたらしい。
「紅夜くん、何でそんな顔してるの?」
「どんな顔ですか。」
「すごく、嬉しそうな顔。」
否定はできなかった。
*
帰り道、雑貨店の前で陽菜子が足を止めた。
ショーウィンドーには、色違いのマグカップが並んでいる。
白と、深い青だった。
「これ、可愛いね。」
「見ていきますか。」
「ううん。家にまだ使えるのがあるし。」
そう言って歩き出しかけた陽菜子が、もう一度だけ振り返った。
「でも、いつかお揃いにするのもいいね。」
神崎の足が止まる。
陽菜子の部屋で、それぞれ違うカップを使ってお茶を飲むことも。
自分の部屋で、彼女のために食器を一つ多く出すことも。
いつの間にか、当たり前になり始めていた。
その先に、二つ並んだカップがある。
「……はい。」
返事が遅れたせいか、陽菜子が顔を覗き込んできた。
「紅夜くん?」
「すみません。今、少し……先のことを考えていました。」
「先?」
どこまで伝えていいのか、まだ自分でも分からなかった。
神崎は代わりに、隣にある手を取った。
「まずは、誕生日を楽しみにしていてください。」
陽菜子が笑って、その手を握り返す。
「うん。」
帰宅してから、神崎はスマートフォンに残していた候補を見直した。
いくつもの店名が並ぶメモを閉じ、新しいページを開く。
陽菜子の好きな料理。
一緒に選ぶケーキ。
それから、色違いのマグカップ。
三つ書き終えても、すぐには画面を閉じられなかった。
いつか。
今日、彼女が何気なく口にしたその言葉が、ずっと胸に残っていた。



