冷徹営業トップは私の限界オタクでした~恋人編~

一月一日。

新しい年を迎えた街は、いつもより静かだった。
陽菜子と神崎は、近所の神社へ初詣に来ていた。

「人、多いですね。」

「そうですね。陽菜子さん、はぐれないようにしてください。」

「大丈夫ですよ。子供じゃないんですから。」

陽菜子が笑う。

けれど、参道には想像していた以上に人が多い。
前から歩いてきた家族連れを避けようと、陽菜子が少し神崎から離れた。

その瞬間。

ぎゅっ。

神崎が陽菜子の手をつかんだ。

「……紅夜くん?」

「はぐれると困るので。」

真顔で言っているけれど、耳が少し赤い。
陽菜子はつながれた手を見下ろした。

付き合って半年。
最初は手をつなぐだけで、あんなにも緊張していた。
今では、こうして神崎のほうから手をつないでくれることも増えた。

「ふふっ。」

「……どうしました?」

「いえ。紅夜くんから手をつないでくれるようになったなって思って。」

「…………。」

神崎の足が止まった。

「紅夜くん?」

「……意識させないでください。」

「え?」

「せっかく自然にできるようになってきたのに、今ので急に恥ずかしくなりました。」

見ると、さっきまで耳だけだった赤みが頬まで広がっている。

「もう半年ですよ?」

「半年程度で陽菜子さんに慣れられると思わないでください。」

「前にも同じようなこと言ってましたね。」

「一生慣れる予定はありません。」

きっぱりと言い切られて、陽菜子は思わず笑った。

「じゃあ、一生このままですか?」

「陽菜子さんを見て平然としている俺なんて、俺ではありません。」

「そんなに?」

「はい。」

真剣な顔で答える神崎がおかしくて、陽菜子はさらに笑った。
その笑顔を見た神崎が、今度は胸元を押さえる。

「……新年早々、可愛い。」

「紅夜くん。」

「今年も世界一可愛いです……。」

「まだ今年始まったばかりですよ?」

「すでに世界一です。」

「もう。」

そんな話をしながら、二人は参道を進んだ。
順番を待ち、ようやく賽銭箱の前へたどり着く。
賽銭を入れ、鈴を鳴らす。

陽菜子は目を閉じ、静かに手を合わせた。

今年も健康に過ごせますように。
仕事も頑張れますように。

それから――。

今年も紅夜くんと、たくさん一緒にいられますように。

ゆっくり目を開ける。
隣を見ると、神崎はまだ目を閉じていた。

ずいぶん長い。

神崎は目を閉じたまま、長い間じっと手を合わせていた。

(まずは昨年、陽菜子さんと出会わせてくださって、本当にありがとうございました。公園で助けていただいたあの日から今日まで、陽菜子さんが元気に笑っていてくださったこと、そして俺なんかを恋人として選んでくださったこと、心より感謝申し上げます。俺はすでに十分すぎるほど幸せなので、俺自身については特に何もいりません。今年も陽菜子さんが健康で、怪我も病気もなく、毎日おいしいものを食べて、よく眠って、できるだけ嫌な思いをせず、たくさん笑って過ごせますように。仕事を抱え込みすぎませんように。困ったときには、ちゃんと誰かを頼れますように。もしつらいことがあったとしても、そのときは俺がそばにいて支えられますように。陽菜子さんが今年一年、幸せだったと思える一年になりますように。できれば、その幸せの中に少しだけ俺もいられたら嬉しいです。……いえ、それは贅沢ですね。とにかく陽菜子さんが幸せなら、それだけで十分です。今年もどうか、陽菜子さんのことをお見守りください。よろしくお願いいたします)

そこまで心の中で言い終えて、神崎はようやく目を開けた。

「紅夜くん、長かったですね。」

「……お願いしたいことが多かったので。」

「何をお願いしたんですか?」

神崎は少し考えてから、真顔で答えた。

「陽菜子さんの幸せについて、一通り。」

「一通り?」

「はい。健康、仕事、睡眠、食事、安全面、それから――」

「ちょ、ちょっと待ってください。そんなにお願いしてたんですか?」

「まだあります。」

「まだ!?」

神崎にとっては、一年分の陽菜子の幸せを願うには、それでも足りないくらいだった。

「はい。」

当然のように答えられた。

「自分のお願いはしなかったんですか?」

「しました。」

「何ですか?」

神崎は少しだけ考えたあと、陽菜子を見る。

「今年も陽菜子さんの隣にいられますように、と。」

「……!」

不意打ちだった。

陽菜子の頬が熱くなる。

神崎はそんな陽菜子を見つめたあと、口元を手で覆った。

「……その顔は反則です。」

「紅夜くんが恥ずかしいこと言うからです。」

「本心です。」

「余計に恥ずかしいです。」

陽菜子は照れ隠しのように先へ歩き出した。

そのあと、二人はおみくじを引くことにした。

「せーので見ませんか?」

「分かりました。」

折りたたまれた紙を同時に開く。

「せーの。」

陽菜子は自分のおみくじを見る。

「大吉です!」

「おめでとうございます。」

「紅夜くんは?」

神崎が黙った。

「……紅夜くん?」

「末吉です。」

「あら。」

神崎は無言でおみくじを見つめている。

その表情が妙に真剣で、陽菜子は首を傾げた。

「何か悪いこと書いてありました?」

「いえ。」

「じゃあ、どうしたんですか?」

「恋愛のところに、『焦るな』と。」

「……。」

陽菜子は一瞬黙ったあと、吹き出した。

「ふふっ。」

「笑い事ではありません。」

「だって、紅夜くんにぴったりで。」

「俺は焦っていません。」

「本当に?」

「…………。」

神崎が黙る。

その反応がおかしくて、陽菜子はまた笑った。

「でも、私は今くらいでいいですよ。」

「え?」

神崎が顔を上げる。

「ゆっくりでいいです。これからも一緒にいられるんですから。」

「…………。」

神崎が完全に止まった。

「紅夜くん?」

「今の言葉、もう一度お願いします。」

「嫌です。」

「お願いします。」

「言いません。」

「一生大切にしますので。」

「一生って……話が大きくなってますよ。」

陽菜子が笑いながら歩き出す。

すると、すぐに神崎が隣へ並んだ。
そして再び、陽菜子の手を握る。

今度は、さっきより少しだけ強く。

「陽菜子さん。」

「はい?」

「今年も、よろしくお願いします。」

陽菜子は神崎を見上げた。

会社では誰よりも冷静で、仕事ができて。
誰に対しても隙がないのに。
自分の前では、手をつなぐだけで赤くなって。
少し恥ずかしいことを言えば、すぐに固まってしまう。
そんな神崎と迎える、初めてのお正月。

陽菜子はつないだ手を握り返した。

「こちらこそ。今年もよろしくお願いします、紅夜くん。」

「…………。」

ぴたり。

神崎の足が止まった。

「紅夜くん?」

「……無理です。」

「今度は何ですか?」

神崎は片手で顔を覆った。

「新年一日目から幸せすぎます……。」

「まだ一年、始まったばかりですよ?」

「あと三百六十四日も陽菜子さんと過ごせるんですか……。」

「毎日会うわけじゃないですよ。」

「できれば毎日会いたいです。」

即答だった。
陽菜子は思わず笑う。

「じゃあ、今年もたくさん会いましょうね。」

「…………。」

神崎がまた固まった。

「紅夜くん?」

「すみません。」

神崎は顔を覆ったまま、小さく息を吐く。

「今年も、俺の推しが尊すぎます……。」

どうやら。
年が変わっても。
神崎紅夜が陽菜子の前で冷静になれる日は、まだまだ来そうになかった。