秋も深まり、街路樹が赤や黄色に染まり始めた休日。
陽菜子と神崎は、紅葉の名所として知られる庭園を訪れていた。
鮮やかに色づいた木々を眺めながら歩き、途中で写真を撮ったり、温かい飲み物を買ってベンチで休んだりした。
付き合って四か月。
初めの頃に比べれば、二人で並んで歩くことにも、手をつなぐことにも慣れてきた。
夕方まで紅葉を楽しんだあと、二人は神崎の家へ向かった。
陽菜子が神崎の家へ行くのは、今日が初めてではない。
初めて会ったあの夜。
公園で傷ついていた神崎を放っておけず、ここまで送り届けたことがある。
けれど、あのときとは何もかもが違う。
今は、恋人として招かれているのだ。
「どうぞ。」
玄関の扉を開けた神崎に促され、陽菜子は室内へ入った。
「お邪魔します。」
以前と変わらず、部屋は黒やグレーで統一されている。物が少なく、きれいに整えられていた。
「なんだか懐かしいですね。」
「そうですね。陽菜子さんが初めてここへ来たのは、あの夜でしたから。」
「あのときは、紅夜くんが同じ会社の人だなんて思いませんでした。」
「俺は陽菜子さんだと分かっていました。」
「そうでしたね。」
あの夜には、今日こうして恋人として同じ部屋にいることなど想像もしていなかった。
不思議な気持ちになりながら、陽菜子はリビングへ向かった。
「夕食は、俺が作ります。」
神崎は上着を脱ぐと、ワイシャツの袖を肘までまくった。
「紅夜くん、料理ができるんですか?」
「簡単なものなら。」
「手伝います。」
「いえ。陽菜子さんは座っていてください。」
「でも、一人で待っているのも悪いですし。」
「では……そばで見ていてください。」
「見るだけですか?」
「陽菜子さんに見守っていただければ、普段の三倍は頑張れます。」
「そんなに頑張らなくても大丈夫ですよ。」
陽菜子が笑うと、神崎はわずかに顔を赤くしながらキッチンへ立った。
手際よくパスタを茹で、ソースを作っていく。その横で、陽菜子はサラダに使う野菜を洗うことにした。
しばらくして、テーブルにカルボナーラとサラダが並んだ。
「おいしそうです。」
陽菜子が目を輝かせると、神崎は緊張した様子で向かいに座った。
「お口に合えばいいのですが。」
「いただきます。」
ひと口食べる。
濃厚なソースがパスタによく絡んでいた。
「おいしいです!」
「本当ですか?」
「はい。お店で食べるみたいです。」
その瞬間、神崎は片手で口元を覆った。
「……作ってよかった。」
「今度、作り方を教えてください。」
「陽菜子さんが望むなら、何度でも作ります。」
「教えてもらう前に、また作ってもらうことになりそうですね。」
食事を終えたあと、二人は並んでソファに座った。
テレビをつけてはいたものの、内容はほとんど頭に入ってこない。
陽菜子は神崎の肩へ、そっと身体を寄せた。
「陽菜子さん?」
「今日は楽しかったですね。」
「はい。」
「紅葉もきれいでしたし、夕食もおいしかったです。」
「喜んでもらえてよかったです。」
神崎が陽菜子の手へ、自分の手を重ねた。
指がゆっくりと絡む。
陽菜子が神崎を見上げると、自然に視線が重なった。
どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ねる。
一度離れて、また触れる。
神崎の腕が陽菜子の背中へ回り、その身体を大切そうに抱き寄せた。
温かくて、安心する。
陽菜子も神崎の背中へ腕を回した。
しばらくして唇が離れると、二人の間に静かな時間が流れた。
神崎の顔は赤い。
きっと自分も同じ顔をしている。
「……陽菜子さん。」
「はい。」
「すみません。少し、離れます。」
神崎が陽菜子から身体を離そうとする。
けれど陽菜子は、その服をつかんだ。
「嫌でしたか?」
「まさか。」
神崎はすぐに否定した。
「嫌なわけがありません。むしろ、これ以上は……。」
そこで言葉を止め、神崎は顔をそらした。
陽菜子は、自分の胸元へ手を当てた。
心臓が速く脈打っている。
怖くないわけではない。
けれど、それ以上に。
もっと神崎に触れたい。
もっと近くで、神崎の温もりを感じたいと思った。
陽菜子は迷った末に、もう一度神崎の手を握った。
「紅夜くん。」
「はい。」
「私、今日……ここに泊まっていってもいいですか?」
神崎の身体が固まった。
「…………え?」
「もう少し、紅夜くんと一緒にいたいです。」
「陽菜子さん。」
「家も近いですから、一度着替えを取りに帰ってきます。」
「待ってください。」
立ち上がろうとした陽菜子の手を、神崎がつかんだ。
「俺も一緒に行きます。」
「でも、歩いて十分くらいですよ?」
「もう暗いです。一人では行かせられません。」
神崎の表情は真剣だった。
陽菜子は小さく笑ってうなずいた。
「では、お願いします。」
二人は一度、陽菜子の家へ向かった。
陽菜子が着替えを鞄へ入れている間、神崎には玄関で待ってもらった。
そして再び、二人で神崎の家へ戻る。
先ほどまでと同じ部屋のはずなのに、玄関へ入った瞬間から空気が違って感じられた。
今夜はもう、帰らない。
それを意識すると、急に緊張が込み上げてくる。
「先にシャワーを使ってください。」
「はい。ありがとうございます。」
浴室を借り、着替えを済ませてリビングへ戻ると、神崎はソファに背筋を伸ばして座っていた。
「お借りしました。」
神崎が振り返る。
そのまま何も言わず、陽菜子を見つめている。
「紅夜くん?」
「……すみません。少しだけ、心の準備をしていました。」
「私も緊張しています。」
その言葉を聞いた神崎の表情が、少しだけ和らいだ。
「では、俺も入ってきます。」
「はい。」
神崎が浴室へ向かったあと、陽菜子はソファに座った。
落ち着こうとしても、鼓動は速くなるばかりだった。
やがて神崎が戻ってくる。
二人はしばらく、少し離れた場所に立ったまま見つめ合った。
「陽菜子さん。」
「はい。」
神崎が、陽菜子へ手を差し出した。
陽菜子はその手を取る。
寝室へ向かうまでの短い距離が、ひどく長く感じられた。
ベッドの前で、神崎が足を止める。
「本当に、いいんですか?」
「はい。」
陽菜子は神崎の手を握ったまま、しっかりとうなずいた。
「私も、紅夜くんともっと近づきたいです。」
神崎は陽菜子を見つめた。
やがて、その腕が陽菜子の身体を優しく包み込む。
「……大切にします。」
静かな声が、すぐそばで聞こえた。
陽菜子は神崎の胸へ頬を寄せ、目を閉じた。
ベッドへ腰を下すと、神崎は真っ赤になって顔を覆った。
「……無理です。陽菜子さんとするなんて、理性がもちません。」
「私は紅夜くんの“推し”ではなく、恋人です。紅夜くんに抱いてほしいです。」
その言葉に神崎の敬語が消えた。
「……陽菜子さん、自分が何を言ってるか分かってる?」
それでも神崎は最後にもう一度、陽菜子の意思を確かめ、大切そうに彼女を抱き寄せた。
その夜、二人は初めて身体を重ね、恋人としてさらに深く結ばれた。
翌朝。
陽菜子が目を覚ますと、隣にいる神崎と目が合った。
「……おはようございます。」
「お、おはようございます。」
ただ朝の挨拶を交わしただけなのに、二人とも顔が熱くなり、同時に視線をそらした。
昨夜までは、あれほど近くにいられたのに。
朝になると、急に恥ずかしくなってしまう。
「陽菜子さん。」
神崎がためらいがちに口を開いた。
「後悔していませんか?」
陽菜子は神崎を見る。
不安そうに揺れる黒い瞳を見て、陽菜子は微笑んだ。
「していません。」
「本当に?」
「はい。すごく幸せです。」
神崎は安心したように息を吐くと、陽菜子をそっと抱きしめた。
「俺も、幸せです。」
陽菜子も神崎の背中へ腕を回す。
「これからも、泊まりに来ていいですか?」
腕の中にいた神崎の身体が、ぴたりと固まった。
「……紅夜くん?」
「すみません。今の言葉を心へ刻んでいます。」
「大げさですよ。」
「俺にとっては、一生忘れられない言葉です。」
神崎はそう言うと、陽菜子を抱きしめる腕へ少しだけ力を込めた。
窓から差し込む秋の朝日が、寄り添う二人を柔らかく照らしていた。
陽菜子と神崎は、紅葉の名所として知られる庭園を訪れていた。
鮮やかに色づいた木々を眺めながら歩き、途中で写真を撮ったり、温かい飲み物を買ってベンチで休んだりした。
付き合って四か月。
初めの頃に比べれば、二人で並んで歩くことにも、手をつなぐことにも慣れてきた。
夕方まで紅葉を楽しんだあと、二人は神崎の家へ向かった。
陽菜子が神崎の家へ行くのは、今日が初めてではない。
初めて会ったあの夜。
公園で傷ついていた神崎を放っておけず、ここまで送り届けたことがある。
けれど、あのときとは何もかもが違う。
今は、恋人として招かれているのだ。
「どうぞ。」
玄関の扉を開けた神崎に促され、陽菜子は室内へ入った。
「お邪魔します。」
以前と変わらず、部屋は黒やグレーで統一されている。物が少なく、きれいに整えられていた。
「なんだか懐かしいですね。」
「そうですね。陽菜子さんが初めてここへ来たのは、あの夜でしたから。」
「あのときは、紅夜くんが同じ会社の人だなんて思いませんでした。」
「俺は陽菜子さんだと分かっていました。」
「そうでしたね。」
あの夜には、今日こうして恋人として同じ部屋にいることなど想像もしていなかった。
不思議な気持ちになりながら、陽菜子はリビングへ向かった。
「夕食は、俺が作ります。」
神崎は上着を脱ぐと、ワイシャツの袖を肘までまくった。
「紅夜くん、料理ができるんですか?」
「簡単なものなら。」
「手伝います。」
「いえ。陽菜子さんは座っていてください。」
「でも、一人で待っているのも悪いですし。」
「では……そばで見ていてください。」
「見るだけですか?」
「陽菜子さんに見守っていただければ、普段の三倍は頑張れます。」
「そんなに頑張らなくても大丈夫ですよ。」
陽菜子が笑うと、神崎はわずかに顔を赤くしながらキッチンへ立った。
手際よくパスタを茹で、ソースを作っていく。その横で、陽菜子はサラダに使う野菜を洗うことにした。
しばらくして、テーブルにカルボナーラとサラダが並んだ。
「おいしそうです。」
陽菜子が目を輝かせると、神崎は緊張した様子で向かいに座った。
「お口に合えばいいのですが。」
「いただきます。」
ひと口食べる。
濃厚なソースがパスタによく絡んでいた。
「おいしいです!」
「本当ですか?」
「はい。お店で食べるみたいです。」
その瞬間、神崎は片手で口元を覆った。
「……作ってよかった。」
「今度、作り方を教えてください。」
「陽菜子さんが望むなら、何度でも作ります。」
「教えてもらう前に、また作ってもらうことになりそうですね。」
食事を終えたあと、二人は並んでソファに座った。
テレビをつけてはいたものの、内容はほとんど頭に入ってこない。
陽菜子は神崎の肩へ、そっと身体を寄せた。
「陽菜子さん?」
「今日は楽しかったですね。」
「はい。」
「紅葉もきれいでしたし、夕食もおいしかったです。」
「喜んでもらえてよかったです。」
神崎が陽菜子の手へ、自分の手を重ねた。
指がゆっくりと絡む。
陽菜子が神崎を見上げると、自然に視線が重なった。
どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ねる。
一度離れて、また触れる。
神崎の腕が陽菜子の背中へ回り、その身体を大切そうに抱き寄せた。
温かくて、安心する。
陽菜子も神崎の背中へ腕を回した。
しばらくして唇が離れると、二人の間に静かな時間が流れた。
神崎の顔は赤い。
きっと自分も同じ顔をしている。
「……陽菜子さん。」
「はい。」
「すみません。少し、離れます。」
神崎が陽菜子から身体を離そうとする。
けれど陽菜子は、その服をつかんだ。
「嫌でしたか?」
「まさか。」
神崎はすぐに否定した。
「嫌なわけがありません。むしろ、これ以上は……。」
そこで言葉を止め、神崎は顔をそらした。
陽菜子は、自分の胸元へ手を当てた。
心臓が速く脈打っている。
怖くないわけではない。
けれど、それ以上に。
もっと神崎に触れたい。
もっと近くで、神崎の温もりを感じたいと思った。
陽菜子は迷った末に、もう一度神崎の手を握った。
「紅夜くん。」
「はい。」
「私、今日……ここに泊まっていってもいいですか?」
神崎の身体が固まった。
「…………え?」
「もう少し、紅夜くんと一緒にいたいです。」
「陽菜子さん。」
「家も近いですから、一度着替えを取りに帰ってきます。」
「待ってください。」
立ち上がろうとした陽菜子の手を、神崎がつかんだ。
「俺も一緒に行きます。」
「でも、歩いて十分くらいですよ?」
「もう暗いです。一人では行かせられません。」
神崎の表情は真剣だった。
陽菜子は小さく笑ってうなずいた。
「では、お願いします。」
二人は一度、陽菜子の家へ向かった。
陽菜子が着替えを鞄へ入れている間、神崎には玄関で待ってもらった。
そして再び、二人で神崎の家へ戻る。
先ほどまでと同じ部屋のはずなのに、玄関へ入った瞬間から空気が違って感じられた。
今夜はもう、帰らない。
それを意識すると、急に緊張が込み上げてくる。
「先にシャワーを使ってください。」
「はい。ありがとうございます。」
浴室を借り、着替えを済ませてリビングへ戻ると、神崎はソファに背筋を伸ばして座っていた。
「お借りしました。」
神崎が振り返る。
そのまま何も言わず、陽菜子を見つめている。
「紅夜くん?」
「……すみません。少しだけ、心の準備をしていました。」
「私も緊張しています。」
その言葉を聞いた神崎の表情が、少しだけ和らいだ。
「では、俺も入ってきます。」
「はい。」
神崎が浴室へ向かったあと、陽菜子はソファに座った。
落ち着こうとしても、鼓動は速くなるばかりだった。
やがて神崎が戻ってくる。
二人はしばらく、少し離れた場所に立ったまま見つめ合った。
「陽菜子さん。」
「はい。」
神崎が、陽菜子へ手を差し出した。
陽菜子はその手を取る。
寝室へ向かうまでの短い距離が、ひどく長く感じられた。
ベッドの前で、神崎が足を止める。
「本当に、いいんですか?」
「はい。」
陽菜子は神崎の手を握ったまま、しっかりとうなずいた。
「私も、紅夜くんともっと近づきたいです。」
神崎は陽菜子を見つめた。
やがて、その腕が陽菜子の身体を優しく包み込む。
「……大切にします。」
静かな声が、すぐそばで聞こえた。
陽菜子は神崎の胸へ頬を寄せ、目を閉じた。
ベッドへ腰を下すと、神崎は真っ赤になって顔を覆った。
「……無理です。陽菜子さんとするなんて、理性がもちません。」
「私は紅夜くんの“推し”ではなく、恋人です。紅夜くんに抱いてほしいです。」
その言葉に神崎の敬語が消えた。
「……陽菜子さん、自分が何を言ってるか分かってる?」
それでも神崎は最後にもう一度、陽菜子の意思を確かめ、大切そうに彼女を抱き寄せた。
その夜、二人は初めて身体を重ね、恋人としてさらに深く結ばれた。
翌朝。
陽菜子が目を覚ますと、隣にいる神崎と目が合った。
「……おはようございます。」
「お、おはようございます。」
ただ朝の挨拶を交わしただけなのに、二人とも顔が熱くなり、同時に視線をそらした。
昨夜までは、あれほど近くにいられたのに。
朝になると、急に恥ずかしくなってしまう。
「陽菜子さん。」
神崎がためらいがちに口を開いた。
「後悔していませんか?」
陽菜子は神崎を見る。
不安そうに揺れる黒い瞳を見て、陽菜子は微笑んだ。
「していません。」
「本当に?」
「はい。すごく幸せです。」
神崎は安心したように息を吐くと、陽菜子をそっと抱きしめた。
「俺も、幸せです。」
陽菜子も神崎の背中へ腕を回す。
「これからも、泊まりに来ていいですか?」
腕の中にいた神崎の身体が、ぴたりと固まった。
「……紅夜くん?」
「すみません。今の言葉を心へ刻んでいます。」
「大げさですよ。」
「俺にとっては、一生忘れられない言葉です。」
神崎はそう言うと、陽菜子を抱きしめる腕へ少しだけ力を込めた。
窓から差し込む秋の朝日が、寄り添う二人を柔らかく照らしていた。



