そこにあったはずの愛

番外編10-4「大湊凪」第四話「本当の凛」

あの女性と話してから、数日、迷い続けた。

 

このまま、確かめずに終わらせるべきか。

それとも、本人に、直接ぶつかるべきか。

 

 

結局、答えは、最初から決まっていた。

 

十年前の約束を、こんな中途半端な形で終わらせたくなかった。

 

 

凛のバイト先を、思いきって訪ねることにした。

 

 

カフェの扉を開けると、カウンターの中に、見慣れた顔があった。

 

十年前より、随分と背が伸びている。

けれど、面影は、確かに残っていた。

 

 

「凛」

 

声をかけると、顔を上げた凛が、目を見開いた。

 

「凪?」

 

 

驚いたような、それでいて、どこか懐かしむような声だった。

 

 

休憩時間を合わせてもらい、近くの公園で、向かい合って座った。

 

「久しぶり」

 

「本当に、久しぶり」

 

 

十年分の空白を埋めるように、しばらく、他愛のない話が続いた。

 

施設を出てからのこと、今の生活のこと。

話しているうちに、少しずつ、昔の距離感が戻ってくる気がした。

 

 

けれど、本題は、まだ切り出せていなかった。

 

 

「実は」

 

意を決して、口を開いた。

 

「お前のこと、探すのに、ちょっと時間かかって」

 

「なんで、俺のこと」

 

「約束、しただろ。また会おうって」

 

 

凛が、少し驚いたように、目を伏せた。

 

「覚えてたんだ」

 

「当たり前だろ」

 

 

沈黙が、少し続いた。

 

 

「それで」

 

思いきって、続けた。

 

「探してる時に、変な噂、聞いた」

 

 

凛の表情が、微かに強張った。

 

「噂?」

 

「年上の女に、体売ってるって」

 

 

はっきりと、そう告げた。

 

 

凛が、しばらく、黙り込んだ。

 

否定するでも、動揺するでもない、複雑な沈黙だった。

 

 

「その人にも、会った」

 

続けて、そう伝えた。

 

「幼馴染だって言ったら、噂は間違ってるって、はっきり言われた」

 

 

その言葉に、凛の目が、少し揺れた。

 

「会ったのか、玲依さんに」

 

 

初めて聞く名前だった。

 

「玲依さん、っていうんだ」

 

「うん」

 

 

短い返事の中に、確かな温度があった。

 

 

「なあ」

 

思いきって、聞いた。

 

「本当のところ、どうなんだよ」

 

 

凛が、少し、視線を落とした。

 

長い沈黙のあと、静かに、口を開いた。

 

 

「最初は、金づるのつもりだった」

 

正直な告白だった。

 

「軽く見られたくて、わざと、そう振る舞ってた」

 

 

「でも」

 

言葉を、選ぶように続けた。

 

「本当は、最初から、好きだったんだと思う」

 

 

その一言に、胸の奥が、静かに熱くなった。

 

 

「軽い態度の方が、演技だったってこと」

 

「そう」

 

「なんで、そんな回りくどいことしてたんだよ」

 

 

「怖かったんだ」

 

凛が、正直に、そう答えた。

 

「本気だって知られたら、断られる気がして」

 

「玲依さんとは、住んでる世界が違いすぎたから」

 

 

その言葉に、昔の凛を、思い出した。

 

無口で、控えめで、いつも一歩引いていた、あの頃の凛。

自分に自信を持てなかった、あの子供。

 

 

「変わったな、お前」

 

「変わったって、どっちに」

 

「見た目とか、雰囲気とか」

 

正直に、そう言った。

 

「でも、根っこは、変わってないんだな。今、話してて分かった」

 

 

凛が、少し照れたように笑った。

 

「昔から知ってる奴に言われると、なんか変な感じ」

 

「悪い意味じゃないから」

 

 

しばらく、二人で、笑い合った。

 

 

「噂のこと」

 

改めて、口を開いた。

 

「広めてるやつ、ちゃんと否定した方がいいと思う」

 

「玲依さんのためにも」

 

 

凛が、頷いた。

 

「そうだな。考える」

 

 

「それと」

 

もう一つ、伝えておきたいことがあった。

 

「今度、玲依さんにも、ちゃんと挨拶させてくれ」

 

「幼馴染として」

 

 

凛が、少し困ったように、視線を逸らした。

 

「それは、ちょっと難しいかも」

 

「なんで」

 

 

「玲依さんとは、まだ、そういう関係じゃないから」

 

言葉を選ぶように、続けた。

 

「体だけの、契約みたいなものだし。恋人とか、そういうのとは、違う」

 

 

その言い方に、少し引っかかった。

 

「さっき、好きだって言ってなかったか」

 

「それはそうだけど」

 

凛が、少し口ごもった。

 

「いつか、この関係が、恋人とか、そういうのに変わるとは、思ってないから」

 

「今のままで、いいんだ」

 

 

淡々とした口調。

けれど、その語尾に、微かな迷いが滲んでいる気がした。

 

 

「いつか、って」

 

思わず、聞き返した。

 

「いつか、何?」

 

 

「別に」

 

凛が、誤魔化すように、視線を逸らした。

 

「なんでもない」

 

 

その反応に、ふと、気づいた。

 

「今のままでいい」と言いながら、本当は、「今のままでいい」なんて、少しも思っていないのかもしれない。

 

体だけの関係だと、自分に言い聞かせながら、心のどこかで、その先を望んでいる。

 

そんな矛盾が、この幼馴染の中に、静かに渦巻いているように見えた。

 

 

「まあ、いいけど」

 

深追いはせず、そう言っておいた。

 

「いつか、紹介できる日が来たら、教えてくれ」

 

 

凛が、少し驚いたように、こちらを見た。

 

それから、小さく頷いた。

 

「うん。いつか」

 

 

十年越しの再会は、思っていたよりも、ずっと温かい形で、着地しようとしていた。

 

 

噂の裏にあった、本物の想い。

そして、変わらずにいてくれた、幼馴染としての絆。

 

その両方を、確かに、この目で確かめることができた。

 

 

同時に、この幼馴染が抱える、まだ言葉にできない何かにも、そっと気づいてしまった。

 

いつか、その答えを、本人の口から聞ける日が来ることを、静かに願った。