そこにあったはずの愛

番外編10-1「大湊凪」第一話「幼馴染」

母が、夜勤で家を空ける日は、いつも施設に預けられた。

 

物心ついた頃には、もう、それが当たり前になっていた。

寂しいと思う暇もないくらい、幼い自分は、その生活に慣れていた。

 

 

施設の隅、いつも一人で座っている子がいた。

 

大湊凪。

同じ歳の、無口な男の子だった。

 

 

最初に声をかけたのが、どちらだったかは、もう覚えていない。

 

気づけば、いつも隣にいた。

 

 

凪は、絵を描くのが好きだった。

 

画用紙とクレヨンを渡されると、何時間でも、黙々と手を動かし続けていた。

その集中力に、なぜか、惹かれた。

 

 

「何、描いてるの」

 

隣に座って、覗き込んだ。

 

「空」

 

短く、そう答える。

 

その画用紙には、真っ白な雲と、青い空が、丁寧に描かれていた。

 

 

「上手いね」

 

素直な感想に、凪が、少しだけ、口の端を上げた。

 

滅多に笑わない凪の、貴重な表情だった。

 

 

それから、施設に預けられる日は、いつも凪の隣にいた。

 

一緒に絵を描いたり、時には、ただ黙って並んで座っているだけの時間もあった。

 

言葉が少なくても、居心地の良さがあった。

 

同じように、家庭の事情を抱えた子供同士、無理に喋らなくても、通じ合うものがあった気がする。

 

 

「凛は、大きくなったら、何になりたい?」

 

珍しく、凪が、そう聞いてきたことがあった。

 

「分かんない」

 

正直に、そう答えた。

 

「凪は?」

 

「絵の仕事、したい」

 

迷いのない答えだった。

 

その目の強さに、少し、羨ましさを感じた。

 

 

日々は、静かに、けれど確かに積み重なっていった。

 

施設の庭で、二人並んで、地面に絵を描いたこともあった。

雨の日、窓際で、外を眺めながら、他愛のない話をしたこともあった。

 

数少ない、心を許せる相手だった。

 

 

けれど、その日々は、小学四年生の冬、唐突に終わりを迎えた。

 

 

「凪、里親さんが決まったの」

 

施設の職員から、そう告げられた日のことを、今でも、鮮明に覚えている。

 

 

「本当に?」

 

驚いて、聞き返した。

 

「うん」

 

凪の声は、いつもと変わらず、静かだった。

 

けれど、その目には、複雑な色が浮かんでいた。

 

 

嬉しさと、寂しさ。

新しい家族ができる喜びと、離れることへの不安。

その両方が、混ざり合っているように見えた。

 

 

「良かったじゃん」

 

そう言うのが、精一杯だった。

 

本当は、寂しいと言いたかった。

けれど、幼いなりに、それを口にしてはいけない気がした。

 

 

引っ越しの日、施設の玄関先で、最後に顔を合わせた。

 

「凛」

 

名前を呼ばれて、顔を上げた。

 

 

「また、会おうね」

 

その一言に、頷くことしかできなかった。

 

「うん」

 

「絶対」

 

念を押すように、凪が、もう一度言った。

 

 

けれど、その約束は、簡単には果たされなかった。

 

新しい生活を始めた凪と、連絡を取る手段は、限られていた。

手紙を、何度か送った記憶はある。

 

けれど、いつしか、それも途絶えていった。

 

 

施設に預けられることも、少しずつ減っていった。

母が、生活を安定させようと、必死に働いていたからだった。

 

 

気づけば、凪との思い出は、記憶の奥に、静かにしまい込まれていた。

 

 

それから、十年近くの歳月が流れた。

 

凛は、大学生になり、玲依という人と出会い、これまでとはまったく違う日々を過ごしていた。

 

 

まさか、あの頃の約束が、こんな形で果たされることになるとは、この時はまだ、知る由もなかった。