そこにあったはずの愛

番外編10話「駄々っ子」

久しぶりに、二人とも休みが重なった日だった。

 

なのに、朝から出かける支度をしている玲依を見て、凛の機嫌は、目に見えて悪くなっていた。

 

 

「今日、彩奈と約束あるの。前から決まってたやつ」

 

「知ってる」

 

「じゃあ、なんでそんな顔」

 

「別に、そんな顔してない」

 

 

明らかに、そんな顔をしていた。

ソファに寝転がったまま、こちらを恨めしそうに見上げている。

 

 

鏡の前で、口紅を塗り直していると、後ろから、そっと抱きつかれた。

 

「行かないで」

 

「子供みたいなこと言わないの」

 

「子供でいい。今日くらい」

 

 

腕に、ぎゅっと力がこもる。

振り解くのも忍びなくて、しばらく、そのままにしておいた。

 

 

「せっかくの休み、二人とも重なったのに」

 

「彩奈との約束、先に決まってたんだもん」

 

「彩奈さんより、俺の方が大事でしょ」

 

「そういう比べ方、良くないよ」

 

窘めながらも、口元が緩んでしまうのを、隠せなかった。

 

 

支度を終えて、玄関に向かうと、凛が、先回りして立ちはだかっていた。

 

「通行料」

 

「は?」

 

「ここ通るなら、キス」

 

 

真顔で言われて、思わず笑ってしまった。

 

「何それ」

 

「今、決めた」

 

 

呆れながらも、背伸びをして、軽く唇を寄せた。

 

満足げな顔をするかと思いきや、凛は、まだ動かなかった。

 

「これで終わり?」

 

「なに、まだ足りないの」

 

「足りない」

 

 

もう一度、今度は少し長く、口づけた。

 

離れると、凛の耳が、赤くなっているのが見えた。

 

「満足?」

 

「まあ、合格」

 

「生意気」

 

 

靴を履いていると、後ろから、また声がかかった。

 

「何時に帰ってくるの」

 

「わかんない。彩奈と話し込んだら、長くなるかも」

 

「じゃあ、連絡して。ちゃんと」

 

「連絡魔だね、今日の凛」

 

 

からかうと、頬を膨らませた。

その顔が、あまりに子供っぽくて、胸の奥がきゅんとした。

 

 

「玲依がいないと、暇なんだもん」

 

ぽつりと漏れた本音に、思わず、動きを止めた。

 

 

「そんなこと言われたら、行きたくなくなるでしょ」

 

「行きたくなくなればいいのに」

 

 

不貞腐れたように言う凛の頭を、軽く撫でた。

 

「帰ったら、たっぷり構ってあげるから」

 

「約束だよ」

 

「約束」

 

 

指切りをせがまれて、小指を絡めた。

その些細な仕草一つに、また、頬が緩んでしまう。

 

 

玄関を出る間際、振り返ると、凛が、まだ名残惜しそうな顔で見送っていた。

 

「いってらっしゃい」

 

「いってきます」

 

 

エレベーターに乗り込みながら、まだ、口元が緩んだままなのに気づいた。

 

彩奈と会う楽しみより、早く帰りたい気持ちの方が、大きくなっていた。

 

 

早く、帰りたい。

 

そう思う自分に、少し呆れながらも、悪い気はしなかった。