そこにあったはずの愛

第百十五話「約束のご飯」

約束の日、いつもより足取りが軽かった。

 

凛も、隣で少し楽しそうにしている。

前回とは違う空気を、二人とも感じ取っているようだった。

 

 

玄関を開けると、母が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃい」

 

以前ほどの硬さはない。

けれど、まだ完全に打ち解けたわけでもない。

ちょうどいい距離感が、そこにあった。

 

 

食卓には、湯気を立てる料理が並んでいた。

煮物、焼き魚、味噌汁。

丁寧に作られた、家庭の味。

 

「凛の好物ばっかりなの」

 

母が、少し照れたように言う。

その言葉に、凛の料理上手なところが、誰譲りなのか分かった気がした。

 

 

食事をしながら、会話が続いた。

 

「この子、小さい頃から絵ばっかり描いてて」

 

母が、懐かしそうに目を細める。

 

「学校の隅っこで、一人で絵を描いてる子だったの。友達少なくて、心配だった」

 

「母さん、それ今言う?」

 

凛が、少し慌てたように口を挟む。

その様子に、思わず笑ってしまった。

 

 

「絵が、寂しさを埋めてくれてたのよ」

 

母が、しみじみと続けた。

 

「一人でいる時間が長かったから」

 

その言葉に、凛の絵に対する向き合い方の、根っこの部分を見た気がした。

 

 

「あなたは」

 

不意に、母がこちらを見た。

 

「今のお母さんとは、血が繋がってないのよね。うまくやれてるの」

 

 

一瞬、言葉を探した。

 

正直に、話すことにした。

 

「すぐには懐けなくて。小さい頃はまだ良かったんですけど、思春期に入ってから、複雑な感情を抱くようになって」

 

母が、静かに頷く。

 

「今は、ちゃんと『お母さん』と呼べる関係に戻れました。時間はかかりましたけど」

 

 

母が、じっとこちらを見ていた。

 

「血が繋がってても、繋がってなくても」

 

静かに、そう呟いた。

 

「親子って、簡単じゃないものね」

 

その一言に、深い共感が滲んでいた。

 

 

「あなたも、色々背負ってきたのね」

 

母の声が、少し柔らかくなっていた。

 

「裕福だから、苦労してないなんて、決めつけるものじゃなかった」

 

「そんな」

 

首を振ろうとしたけれど、母が続けた。

 

「ごめんなさいね、勝手なイメージで見てたところ、あったと思う」

 

 

食事が進むにつれ、場の空気は少しずつ和らいでいった。

母の作る料理を、凛が美味しそうに頬張る姿。

 

三人で囲む食卓は、これまでになかった光景だった。

 

 

帰り際、母が玄関先で言った。

 

「また、来てね」

 

その一言に、完全な和解とまではいかなくても、確かな変化を感じた。

 

「はい。また来ます」

 

深く頭を下げた。

 

 

帰り道、繋いだ手を、凛が少し強く握り返してきた。

 

「ありがとう」

 

「何が?」

 

「母さんと、ちゃんと話してくれて」

 

その言葉に、胸の奥が温かくなった。

 

一歩ずつ、確かに、何かが積み重なっていく。

そのことが、今はただ、嬉しかった。