ノンデリ男の敗北  ~モテる俺が法学部女子に告白したら「私は好きではありません」と普通に振られた~

一緒に暮らし始めてから、初めての秋と冬が過ぎた。

寒くなると、夕飯には鍋が増えた。
帰りが遅い日は、先に帰ったほうが湯を沸かして待っていた。

毎日使う皿をしまう場所も、凛が暖房をつけたくなる寒さも、少しずつ覚えた。
「ただいま。」と声をかけて、返事がある暮らしに慣れても、嬉しいのは変わらなかった。

その間に式場が決まり、予定表に入れていた『結婚式・希望』から、『希望』の二文字が消えた。

玄関に掛けていた冬物のコートをしまう頃、俺たちは社会人三年目に入った。

四月の朝。
靴を履いていると、凛が隣にしゃがんだ。
手には、去年から使っている仕事用の鞄があった。

「今日、少し遅くなるかも。」

「俺のほうが早かったら、飯やっとく。」

「うん。帰る前に連絡するね。」

一緒に家を出て、駅へ向かった。
今夜食べたいものを一つずつ言ってから、それぞれの電車に乗った。

九月の結婚式まで、あと五か月だった。

◇

日曜日の夜。
食卓には、式場から届いた資料が広がっていた。

凛が予定表を見ながら、眉を寄せた。

「次の打ち合わせまでに、決めること多いね。」

「うん。招待する親戚の住所、まだ父さんから返事来てない。明日もう一回聞く。」

手元のメモに書き足してから、花の写真が載った資料を開いた。

「あと、これ見てたんだけど。」

凛が顔を上げた。

「テーブルの花?」

「そう。高いと向かいの人の顔、見えにくくない? みんなにもゆっくりしゃべってほしいし、こっちの低いやつがいいなって。」

「私も、それがいいと思ってた。」

「色は? 凛、白だけより、黄色も入れたい?」

一緒に花屋へ行った日、凛が迷っていた花を思い出した。
凛は写真を見比べて、淡い黄色の入ったものを指した。

「こういうの、好き。でも、夏樹くんは?」

「俺も好き。明るい感じで。あと、料理置く場所は残したい。」

「そこも大事なんだね。」

「かなり。」

凛が笑い、候補の横に小さな丸をつけた。



「あとさ。全部は難しくても、俺たちの席の前に置く花とか、ブーケトスの花は、いつもの花屋でお願いできないかな。」

凛がペンを止めた。

「最初に、スズランを買ってくれたお店?」

「うん。結婚式の花も、あそこで選べたら嬉しいなって。凛はどう?」

「……私も、お願いしたい。今度は、二人で相談に行きたいな。」

「じゃあ、まず式場に聞いてみる。持ち込めるかとか、費用とか。」

「お花屋さんにも、引き受けてもらえるか聞かないとね。」

俺は確認することをメモに足した。

初めてあの店に入ったときは、凛に花を渡す理由を探していた。
今度は隣に凛がいて、二人の結婚式のために選ぼうとしていた。

ページをめくると、追加料金の一覧があった。
二人で予算のメモと見比べ、聞きたいことを書き出した。

途中で、凛が時計を見た。

「あ、もうこんな時間。明日の準備もしなきゃ。」

まだ、招待状の見本が残っていた。

「今日はここまでにしよ。返事、来週で大丈夫だし。」

「でも、平日だとまた忙しくなるかも。」

「じゃあ、土曜の午前中は? 俺、その時間空けとく。」

凛も予定表を確かめて頷いた。

俺は二人の予定に『招待状を選ぶ』と入れた。
式場への確認も忘れないよう、自分の予定に書き足した。

招待状の見本を重ねていると、凛が一枚に手を止めた。

「これもきれいだよね。さっきは、こっちがいいと思ったんだけど。」

「凛でも、そんな迷うんだ。」

口にしてから、凛を見た。

「……ごめん。こういうの、すぐ決められると思ってた。」

「調べるけど、迷うよ。初めてだし。」

凛の前には、何度か消した跡のあるメモがあった。

「うん。俺も迷ってる。二つまでしか絞れなかった。」

「どれ?」

候補を並べると、凛は俺の隣へ椅子を寄せた。

「こっちは、花の色と合いそうだと思って。もう一個は、文字が読みやすかった。」

「ほんとだ。おじいちゃんたちにも、こっちのほうが読みやすそう。」

二人で見比べてから、候補の二枚をいちばん上に重ねた。

続きは土曜日。
そう決めて、今度こそ資料を片づけた。

◇

六月の土曜日、久しぶりに六人で昼飯を食べた。

店に最後に入ってきたのは、田中と美奈だった。

「二人、一緒だったんだ。」

凛が声をかけると、美奈が田中の隣に座った。

「駅で待ち合わせたの。私が出口間違えちゃって、この人に迎えに来てもらった。」

「反対側にいるって言われたとき、帰ろうかと思ったわ。」

「でも、来てくれたじゃん。」

美奈が笑うと、田中は何も言わず、水の入ったグラスを持った。

俺はちょっとだけ、口元を押さえた。

料理が揃ったところで、結婚式の話になった。

「九月、楽しみだね。」

詩織の言葉に、凛も嬉しそうに頷いた。

「うん。準備してたら、あっという間に近づいてきた。」

「夏樹、ちゃんとやってる?」

田中に聞かれ、俺は顔を上げた。

「やってるよ。昨日も席、考えてた。」

「お前、しゃべりたい相手、全員隣に置こうとしてない?」

「……最初ちょっと。」

小川が笑い、凛まで頷いた。

「六人で同じテーブルに座りたいって言ってた。」

「それ、主役が来ちゃうじゃん。」

美奈に言われて、俺も笑った。

詩織が小川のほうを見たのは、そのあとだった。

「私たちも、この前、住む場所の話をしたんだ。」

思わず、「じゃあ、次は」と言いかけて、口を閉じた。
まずは、二人がどんな話をしたのか聞きたかった。

小川が、詩織を見てから続けた。

「詩織、今は仕事が忙しいから、引っ越しはもう少し落ち着いてからがいいって。」

「うん。今の仕事は続けたいし、一緒に住むために通勤が大変になるのも、違うかなと思って。」

「俺も今の部屋、更新まで時間あるし。その間に見てみようって話してる。」

「そっか。二人とも通いやすい場所、あるといいな。」

俺が言うと、詩織は頷いた。

「うん。まず、お互いの譲れないところから。」

「詩織、本置く場所は絶対いるって。」

「小川くんも、机は大きいのがいいって言ってたでしょ。」

二人は顔を見合わせて笑った。

俺たちが部屋を探していたときとは、条件も、決めたい時期も違った。
小川がスマホで見せてくれた沿線を、みんなでのぞき込んだ。

食後、店を出たところで、美奈が田中の袖を引いた。

「ねえ、このあと時間ある?」

「あるけど。」

「駅の向こうに、行きたい店あるんだ。一緒に行かない?」

「何の店?」

「服。……田中に、どっちが似合うか見てほしくて。」

田中が一度、美奈を見た。

「俺でいいの?」

「田中がいいから誘ってるんだけど。」

いつもより少し早口だった。

田中は目をそらしてから、「じゃあ、行くか。」と答えた。

聞こえなかったふりをして凛を見ると、凛も俺を見上げていた。
二人で、少しだけ笑った。

◇

九月に入ると、式場との連絡も増えた。

花の持ち込みについては、式場に確認したうえで、いつもの花屋にも二人で相談に行っていた。
俺たちの席の前に飾る花と、ブーケトス用の小さな花束を、お願いできることになった。

白に淡い黄色を合わせた花。
店主に見せてもらった写真を、凛は帰りの電車でも眺めていた。

楽しみが増える一方で、仕事の提出期限が重なる週もあった。

朝のうちに、先輩に確認したいところをまとめて聞いた。
返事が必要なものは早めに送り、夕方には資料を見直せるように進めた。

それでも帰りが遅くなる日はあった。
わかった時点で凛に連絡し、その夜にできない確認は、いつならできるかも伝えた。

「あとでやる。」と言ったままにして、凛に何度も聞かせたくはなかった。

水曜日の夜、帰宅すると、凛がノートパソコンを開いていた。

「ただいま。席次表の名前、確認してる?」

「うん。あと少し。」

買ってきた弁当を置いて手を洗い、凛の隣に座った。

「俺のほうの分、親にも確認してもらった。直すの、一か所あったから一緒に見ていい?」

「お願い。」

画面と返信を照らし合わせた。
名前の漢字を直し、ほかに間違いがないか、もう一度目を通した。

確認が終わると、凛が肩を回した。

「終わった……。」

「飯にしよ。」

弁当の袋を引き寄せると、凛が中をのぞいた。

「私の好きなやつ。」

「最後の一個だった。」

弁当を温める間に、資料を端へ寄せた。
凛が箸を出し、俺が麦茶を注いだ。

食べ始めてしばらくして、凛が言った。

「準備、大変だけど、楽しかったね。」

「まだ終わってないよ。」

「うん。でも、一緒に選べてよかった。」

俺は箸を止めた。

「俺も。花屋で相談してるとき、凛、すごい真剣だったよな。」

「夏樹くんも、写真何回も見比べてたでしょ。」

「どっちもよかったから。」

「迷ったね。」

「うん。でも、決めたほう、早く見たい。」

凛が頷いた。
当日、あの花が俺たちの前に飾られるところを想像すると、少し落ち着かなくなった。

「料理も楽しみだね。」

「試食、おいしかったな。」

すぐに返したら、凛が笑った。
俺も笑って、残っていた一口を食べた。

片づけのあと、凛が予定表を開いた。
何も入っていなかった二〇二八年の九月には、もういくつも予定が並んでいた。

その中の、交際記念日。

「もうすぐだね。」

凛が画面に指を添えた。

「うん。」

去年、この日を予定表に入れたときは、まだ別々の家に帰っていた。
今は同じ家で、並んでその日を待っていた。

俺は、凛の手を握った。

「当日、いっぱい楽しもうな。」

「夏樹くん、泣いててもご飯は食べてね。」

「そこ、心配されてんの?」

「楽しみにしてたのに、食べられなかったら残念でしょ。」

「……確かに。」

泣かないとは、言えなかった。

笑った凛の指が、俺の手を握り返した。