七月の終わり、俺たちは一緒に暮らし始めた。
何度か足を運んで決めた部屋には、まだ段ボールが残っていた。
それでも玄関には二人分の靴が並び、洗面台には歯ブラシが二本立っていた。
引っ越した翌朝。
食器を棚へしまっていると、隣から凛に袖を引かれた。
「夏樹くん、そのお皿は下がいい。」
「こっちのほうが入るよ?」
「入るけど、私が届かない。」
「あ。」
手を止めて、持っていた皿を一段下へ移した。
「これなら?」
「うん。毎日使うものは、そこがいいな。」
一人で住んでいた頃は、空いている場所に入れればよかった。
今は、凛にも使いやすい場所を、一緒に探していた。
◇
その日の昼は、オムライスにした。
凛が炒めたチキンライスを二枚の皿に分け、俺はボウルに卵を割った。
「卵、俺がやっていい?」
「うん。お願い。」
フライパンにバターを落とすと、甘い匂いが広がった。
溶いた卵を流し込み、端が固まり始めたところで火を弱めた。
凛が、隣から手元をのぞいた。
「前にも、二人で作ったね。」
「俺の部屋で、映画見た日?」
「うん。」
一緒に住みたいと、初めて口にした日だった。
あのときは、今すぐじゃなくていいからと、慌てて付け足した。
一枚目の卵をライスにかぶせ、もう一度フライパンを火に戻した。
「ほんとに一緒に住んでるんだな。」
「今、実感したの?」
「卵、二人分焼いてたら。」
凛は笑って、引き出しからスプーンを二本取り出した。
二枚目は、端が少し破れた。
「あー。こっち俺の。」
「ケチャップかけたら、わからないよ。」
「じゃあ、うまく隠して。」
渡したボトルを受け取って、凛は破れたところに線を引いた。
俺ももう一皿にかけて、二人でテーブルへ運んだ。
食べ終わっても、凛は鞄を持たなかった。
「午後は、本を片づけたいな。」
「俺も手伝う。」
その先の時間まで一緒なのが、まだ少し不思議だった。
◇
八月に入った休日、凛といつもの花屋へ行った。
白い壁と、深い緑色の屋根。
何度も一人でくぐった入口を、その日は凛と並んで入った。
「ここで買ってくれてたんだね。」
「うん。最初のスズランも。」
凛は店先の鉢を見てから、店内へ視線を移した。
「一度、来てみたかったの。」
店主が俺に気づき、会釈した。
それから、隣にいる凛にも柔らかく笑いかけた。
「こんにちは。」
「今日は、家に飾る花を選びたくて。」
そう伝えると、小さな花瓶に生けやすい花をいくつか見せてくれた。
凛は白い花の前で足を止めた。
「これ、きれい。」
「白いの、好き?」
「うん。でも、こっちも気になる。」
指先が向いたのは、淡い黄色の花だった。
俺が選ぶときは、凛に似合いそうだと思って白い花を頼むことが多かった。
一緒に来ると、凛自身が迷うところまで見られた。
「両方にする?」
「花瓶、小さいよ。」
「じゃあ、一本ずつ。」
凛が頷いた。
二人で選んだ花を受け取り、店を出た。
帰りの電車では、凛が包みを持っていた。
花が隣の人に触れないよう、少しだけ自分のほうへ寄せていた。
「帰ったら、水に入れようね。」
「うん。」
同じ駅で降りて、同じ改札を抜けた。
スーパーに寄り、牛乳と卵も買った。
家に着くと、凛が花瓶を洗い、俺が包みを外した。
食卓の端に置いてから、二人で少し離れて眺めた。
「ここなら、ご飯のときも見えるね。」
凛がそう言ったので、俺もそこがよくなった。
◇
友人たちには、引っ越しの報告と一緒に、婚約したことを伝えた。
六人のグループにメッセージを送る前、凛に画面を見せた。
「これでいい?」
「うん。……夏樹くん、顔が嬉しそう。」
「嬉しい報告だから。」
送信すると、美奈からすぐに電話がかかってきた。
スピーカーに切り替えた途端、「おめでとう!」という声が部屋に響いた。
引っ越し祝いの日は、その電話の中で決まった。
九月の土曜日。
玄関を開けると、田中が飲み物の袋を持ち上げた。
「重い。早く受け取れ。」
「お祝いの第一声、それ?」
「おめでとう。で、重い。」
後ろで美奈が笑っていた。
詩織は小さな箱を両手で持ち、小川は大きな袋を提げていた。
テーブルに料理を並べると、少し窮屈だった。
普段の椅子に折り畳みの椅子を足して、六人で囲んだ。
「改めて、婚約と引っ越し、おめでとう。」
詩織がグラスを上げた。
俺たちも持ち上げ、軽く合わせた。
「ありがとう。」
隣で凛も頭を下げていた。
「凛、どう?一緒に住んでみて。」
美奈に聞かれ、凛は少し考えた。
「夏樹くんが、物を高いところに置く。」
「それ、今、直してるから。」
「あと、帰ってくるとすぐわかる。」
「うるさい?」
「ただいまの声が大きい。」
田中が吹き出した。
「想像つくわ。」
「嬉しいんだって。帰ったら凛がいるの。」
口にすると、隣から膝を軽く押された。
凛の耳が赤くなっていた。
「そういうの、普通に言うよね。」
美奈が笑い、小川が料理を取りながら頷いた。
「そこは変わんないな。」
大学の頃みたいに、話があちこちへ飛んだ。
仕事のこと、最近見た映画、次に集まれる日。
空いた皿を下げに立つと、凛も腰を浮かせた。
「座ってて。まだ食べてるだろ。」
「じゃあ、あとで洗うね。」
皿を重ねて戻ってきたとき、詩織が凛に小さく笑いかけていた。
凛も笑って、グラスを持ち直した。
◇
夕方、四人を駅まで見送った。
改札の向こうで美奈が手を振り、田中がその隣で軽く片手を上げた。
小川と詩織の姿も見えなくなってから、俺たちは来た道を戻った。
風が少し涼しくなっていた。
「楽しかったね。」
「うん。また来てもらおうな。」
差し出す前に、凛の手が俺の手に触れた。
そのまま指を絡めて歩いた。
前なら、ここから凛を送っていた。
これからは、二人で家まで歩ける。
玄関を開けると、昼間の賑やかさが残っているようだった。
流しには皿が重なり、食卓には花瓶と、詩織たちが持ってきてくれた焼き菓子の箱があった。
「お茶、飲む?」
凛が靴を脱ぎながら聞いた。
「飲む。洗い物してからにしよ。」
並んで流しに立った。
凛が洗った皿を、俺が拭いた。
棚へ戻そうとして、一度手を止めた。
毎日使う皿は、下の段だった。
隣を見ると、凛が気づいて笑った。
「覚えたね。」
「毎日使ってるから。」

最後の一枚をしまい、マグカップを二つ出した。
凛はもう、時計を見て帰り支度をしなくてよかった。
俺は湯を沸かしながら、焼き菓子の箱を開ける凛に、どれを食べたいか聞いた。
何度か足を運んで決めた部屋には、まだ段ボールが残っていた。
それでも玄関には二人分の靴が並び、洗面台には歯ブラシが二本立っていた。
引っ越した翌朝。
食器を棚へしまっていると、隣から凛に袖を引かれた。
「夏樹くん、そのお皿は下がいい。」
「こっちのほうが入るよ?」
「入るけど、私が届かない。」
「あ。」
手を止めて、持っていた皿を一段下へ移した。
「これなら?」
「うん。毎日使うものは、そこがいいな。」
一人で住んでいた頃は、空いている場所に入れればよかった。
今は、凛にも使いやすい場所を、一緒に探していた。
◇
その日の昼は、オムライスにした。
凛が炒めたチキンライスを二枚の皿に分け、俺はボウルに卵を割った。
「卵、俺がやっていい?」
「うん。お願い。」
フライパンにバターを落とすと、甘い匂いが広がった。
溶いた卵を流し込み、端が固まり始めたところで火を弱めた。
凛が、隣から手元をのぞいた。
「前にも、二人で作ったね。」
「俺の部屋で、映画見た日?」
「うん。」
一緒に住みたいと、初めて口にした日だった。
あのときは、今すぐじゃなくていいからと、慌てて付け足した。
一枚目の卵をライスにかぶせ、もう一度フライパンを火に戻した。
「ほんとに一緒に住んでるんだな。」
「今、実感したの?」
「卵、二人分焼いてたら。」
凛は笑って、引き出しからスプーンを二本取り出した。
二枚目は、端が少し破れた。
「あー。こっち俺の。」
「ケチャップかけたら、わからないよ。」
「じゃあ、うまく隠して。」
渡したボトルを受け取って、凛は破れたところに線を引いた。
俺ももう一皿にかけて、二人でテーブルへ運んだ。
食べ終わっても、凛は鞄を持たなかった。
「午後は、本を片づけたいな。」
「俺も手伝う。」
その先の時間まで一緒なのが、まだ少し不思議だった。
◇
八月に入った休日、凛といつもの花屋へ行った。
白い壁と、深い緑色の屋根。
何度も一人でくぐった入口を、その日は凛と並んで入った。
「ここで買ってくれてたんだね。」
「うん。最初のスズランも。」
凛は店先の鉢を見てから、店内へ視線を移した。
「一度、来てみたかったの。」
店主が俺に気づき、会釈した。
それから、隣にいる凛にも柔らかく笑いかけた。
「こんにちは。」
「今日は、家に飾る花を選びたくて。」
そう伝えると、小さな花瓶に生けやすい花をいくつか見せてくれた。
凛は白い花の前で足を止めた。
「これ、きれい。」
「白いの、好き?」
「うん。でも、こっちも気になる。」
指先が向いたのは、淡い黄色の花だった。
俺が選ぶときは、凛に似合いそうだと思って白い花を頼むことが多かった。
一緒に来ると、凛自身が迷うところまで見られた。
「両方にする?」
「花瓶、小さいよ。」
「じゃあ、一本ずつ。」
凛が頷いた。
二人で選んだ花を受け取り、店を出た。
帰りの電車では、凛が包みを持っていた。
花が隣の人に触れないよう、少しだけ自分のほうへ寄せていた。
「帰ったら、水に入れようね。」
「うん。」
同じ駅で降りて、同じ改札を抜けた。
スーパーに寄り、牛乳と卵も買った。
家に着くと、凛が花瓶を洗い、俺が包みを外した。
食卓の端に置いてから、二人で少し離れて眺めた。
「ここなら、ご飯のときも見えるね。」
凛がそう言ったので、俺もそこがよくなった。
◇
友人たちには、引っ越しの報告と一緒に、婚約したことを伝えた。
六人のグループにメッセージを送る前、凛に画面を見せた。
「これでいい?」
「うん。……夏樹くん、顔が嬉しそう。」
「嬉しい報告だから。」
送信すると、美奈からすぐに電話がかかってきた。
スピーカーに切り替えた途端、「おめでとう!」という声が部屋に響いた。
引っ越し祝いの日は、その電話の中で決まった。
九月の土曜日。
玄関を開けると、田中が飲み物の袋を持ち上げた。
「重い。早く受け取れ。」
「お祝いの第一声、それ?」
「おめでとう。で、重い。」
後ろで美奈が笑っていた。
詩織は小さな箱を両手で持ち、小川は大きな袋を提げていた。
テーブルに料理を並べると、少し窮屈だった。
普段の椅子に折り畳みの椅子を足して、六人で囲んだ。
「改めて、婚約と引っ越し、おめでとう。」
詩織がグラスを上げた。
俺たちも持ち上げ、軽く合わせた。
「ありがとう。」
隣で凛も頭を下げていた。
「凛、どう?一緒に住んでみて。」
美奈に聞かれ、凛は少し考えた。
「夏樹くんが、物を高いところに置く。」
「それ、今、直してるから。」
「あと、帰ってくるとすぐわかる。」
「うるさい?」
「ただいまの声が大きい。」
田中が吹き出した。
「想像つくわ。」
「嬉しいんだって。帰ったら凛がいるの。」
口にすると、隣から膝を軽く押された。
凛の耳が赤くなっていた。
「そういうの、普通に言うよね。」
美奈が笑い、小川が料理を取りながら頷いた。
「そこは変わんないな。」
大学の頃みたいに、話があちこちへ飛んだ。
仕事のこと、最近見た映画、次に集まれる日。
空いた皿を下げに立つと、凛も腰を浮かせた。
「座ってて。まだ食べてるだろ。」
「じゃあ、あとで洗うね。」
皿を重ねて戻ってきたとき、詩織が凛に小さく笑いかけていた。
凛も笑って、グラスを持ち直した。
◇
夕方、四人を駅まで見送った。
改札の向こうで美奈が手を振り、田中がその隣で軽く片手を上げた。
小川と詩織の姿も見えなくなってから、俺たちは来た道を戻った。
風が少し涼しくなっていた。
「楽しかったね。」
「うん。また来てもらおうな。」
差し出す前に、凛の手が俺の手に触れた。
そのまま指を絡めて歩いた。
前なら、ここから凛を送っていた。
これからは、二人で家まで歩ける。
玄関を開けると、昼間の賑やかさが残っているようだった。
流しには皿が重なり、食卓には花瓶と、詩織たちが持ってきてくれた焼き菓子の箱があった。
「お茶、飲む?」
凛が靴を脱ぎながら聞いた。
「飲む。洗い物してからにしよ。」
並んで流しに立った。
凛が洗った皿を、俺が拭いた。
棚へ戻そうとして、一度手を止めた。
毎日使う皿は、下の段だった。
隣を見ると、凛が気づいて笑った。
「覚えたね。」
「毎日使ってるから。」

最後の一枚をしまい、マグカップを二つ出した。
凛はもう、時計を見て帰り支度をしなくてよかった。
俺は湯を沸かしながら、焼き菓子の箱を開ける凛に、どれを食べたいか聞いた。



