ノンデリ男の敗北  ~モテる俺が法学部女子に告白したら「私は好きではありません」と普通に振られた~

四月最初の日曜日。
待ち合わせより一時間早く、俺はいつもの花屋に寄った。

白い壁と、深い緑色の屋根。
店先には、春の花が並んでいた。

初めてここで花を買ったときは、渡す理由さえ、うまく説明できなかった。
今日は、何のために贈るのか決めて来ていた。

「白い花を入れて、花束にしてもらえますか。」

大きすぎず、凛が持って歩きやすいものを頼んだ。
淡い色の花が重ねられていくのを見ながら、コートのポケットの中で手を握った。

伝えたいことは、何度も考えた。
スマホにも書いて、読み返した。

それなのに、包んでもらった花束を受け取った途端、最初の一言が飛んだ。

……大丈夫か、俺。

花を潰さないように持ち直して、駅へ向かった。

◇

改札から出てきた凛は、俺の手元を見て足を緩めた。

「花?」

「うん。今日は、凛に渡したくて。」

差し出すと、凛は両手で受け取った。
白い花に顔を近づけ、少し笑った。

「ありがとう。……何かの日だった?」

「四月だなと思って。」

「それは、そうだけど。」

もっともな返事に、俺も笑った。

「俺ら、初めて会ったの四月だったじゃん。」

凛が顔を上げた。

「もう三年になるんだね。」

「な。今日は、大学のほう歩いてみない?」

「うん。久しぶりに行きたい。」

空いた手をつなぎ、改札に背を向けた。

大学へ続く道には、新しい店ができていた。
よく寄ったコンビニはそのままで、凛が好きだったパンを窓越しに探した。

「あれ、まだ売ってる。」

「帰りに買う?」

「うん。明日の朝の分。」

そんな話をしながら、ゆっくり歩いた。

花束の包みが、凛の腕の中で小さく鳴った。
そのたびに、言おうとしていた言葉が頭の中を回った。

◇

大学の近くの小さな公園で、ベンチに座った。

木の枝には桜が残っていて、足元にも花びらが落ちていた。
凛は花束を膝に置き、包み紙の端を整えた。

「今日、静かだね。」

「俺?」

「うん。歩いてるときから。」

やっぱり、気づかれていた。

「……ちょっと緊張してる。」

凛がこちらを向いた。
俺は、つないでいた手を一度緩めた。
手のひらが汗ばんでいた。

「凛に、ちゃんと話したいことがあって。」

「うん。」

凛は急かさず、待ってくれた。

顔を見たら、用意していた最初の一言を思い出した。
でも、丸暗記した順番どおりに話せる気はしなかった。

「最初に会ったとき、俺、ひどいこと言ったじゃん。」

「中学生かって?」

「……はい。」

「覚えてるよ。」

即答だった。
俺は思わず頭を下げた。

「あれは、本当にごめん。」

「うん。」

凛は小さく笑った。
それから、俺の次の言葉を待つように口を閉じた。

「最初は、凛に会えるだけで嬉しくて。もっと話したいとか、好きになってほしいとか、そればっかだった。」

膝の上で、自分の指を握った。

「付き合ってからも、かっこいいとこ見せたかった。頼ってもらいたかったし。」

「うん。」

「でも、この前、仕事で失敗した話しただろ。」

凛が頷いた。

「ああいう話、前はしたくなかったんだよ。情けないし、がっかりされたら嫌だし。でも、話せてよかった。」

凛の指が、花束の上で止まった。

「今は、うまくいかなかった日にも、凛に会いたい。」

一度口にすると、その先は出てきた。

「凛が疲れた日も、会いたい。話したかったら聞きたいし、何もしゃべりたくなかったら、一緒に飯だけ食べてもいい。」

凛が、ゆっくり瞬きをした。

「俺、これからも余計なこと言うと思う。気づけなくて、言われてからわかることもあると思う。」

「……うん。」

そこは否定されなくて、少し笑った。
緊張で強張っていた肩が、ようやく下がった。

「でも、言ってもらったこと、そのままにはしたくない。凛がどうしたいか、ちゃんと聞いて、一緒に考えたい。」

今度は、自分から手を差し出した。
凛が花束を片腕で支え、空いた手を重ねてくれた。

小さな手を握って、顔を見た。

「凛。俺と結婚してください。」

口にしてから、胸が大きく鳴った。

「これからも、隣にいてほしい。」

凛の唇が、わずかに開いた。
声になるまでの間、俺はその手を握ったまま待った。

凛は一度目を伏せた。
花束の白い花を見て、息を整えるように、ゆっくり吐いた。

「……嬉しい。」

小さな声だった。

顔を上げた凛の目が、潤んでいた。
俺は何か言いかけて、飲み込んだ。
まだ、続きを話そうとしていた。



「一緒に住むところの話、したでしょ。」

「うん。」

「駅が近いとか、スーパーがあるとか。そういうの考えるのも、楽しかったけど。」

凛の指に、少し力が入った。

「この前、一緒に洗い物してたとき、こういう毎日になるのかなって思ったの。」

俺も、あの狭いキッチンを思い出した。
凛に渡された布巾と、並べた二つのマグカップ。

「疲れてても、疲れたって言えて。自分にできることがあったら、私もできて。」

「……うん。」

「私、夏樹くんと、そうやって暮らしたい。」

凛は唇を結んでから、もう一度開いた。

「かっこいいところも、好きだよ。」

不意に言われて、喉が詰まった。

「でも、失敗した日も話してほしい。私も、聞いてほしいこと、きっとあるから。」

頷くと、凛も頷いた。

「私も、これからずっと一緒にいたい。」

目が合った。
凛は、泣きそうな顔で笑った。

「はい。私でよければ、結婚してください。」

「……凛がいい。」

考えるより先に出た。

「凛と、結婚したい。」

「うん。」

返事を聞いた途端、目の前がぼやけた。

凛が俺の顔をのぞき込んだ。

「夏樹くんまで泣くの?」

「いや、ちょっと待って。今、すごい嬉しくて。」

凛は笑って、指で自分の目元を拭った。
俺も空いた手で顔を覆った。

伝えたあとに言うことは、何も考えていなかった。
ただ、握った手を離したくなかった。

◇

しばらくして、凛が花束を少し持ち上げた。

「だから、今日お花くれたんだね。」

「うん。……あと、指輪なんだけど。」

凛が俺を見た。

「一緒に選びに行きたい。凛が好きなの、贈りたいから。」

「うん。選びたい。」

凛の指には、大学生の頃に買ったペアリングがあった。
重なった手の中で、それが俺の指に触れた。

「親にも、二人で話しに行こうな。」

「うん。いつ行けるか聞いてみる。」

「俺も聞く。」

住む家も、結婚する日も、これから決めることがたくさんあった。
凛の口から次の約束が出てくるたび、少しずつ実感が湧いた。

ベンチを立つ前に、凛が花束を見下ろした。

「この花、帰ったらちゃんと飾るね。」

「うん。」

「見るたびに、今日のこと思い出せそう。」

そんなことを言うから、また顔を見られなくなった。

「……凛。」

「何?」

「もうちょっとだけ、このまま座っててもいい?」

凛は俺の手を握り直した。

「私も、そう言おうと思ってた。」

肩に、そっと重みが寄った。
俺はつないだ手を二人の間に置き、もう少しだけ、凛の隣で春の風に当たっていた。