翌週の日曜日。
俺は凛の家の前で、手土産の袋を持ち直していた。
「……俺、髪変じゃない?」
「さっきから三回目。変じゃないよ。」
「そっか。」
一周年の日に、自分から会いたいと言った。
なのに、いざ玄関を前にすると、何を最初に話すかさえ怪しくなっていた。
凛が俺を見上げた。
「いつもどおりで大丈夫。」
「それ、一番不安じゃね?」
「少しだけ、話す前に考えてね。」
「やっぱ不安なんじゃん。」
凛は笑いながら、玄関の扉を開けた。
出迎えてくれた凛の母親に挨拶をして、居間へ通された。
父親も待っていたので、俺は改めて背筋を伸ばした。
「佐藤夏樹です。凛さんとお付き合いしています。」
自分の口から出た「凛さん」が、妙にむず痒かった。
緊張していたのは、最初の十分くらいだった。
大学の話になって、就職の話になって。
営業の仕事を選んだ理由を聞かれた頃には、俺も顔を上げて話せるようになっていた。
「人と話すのが好きなのもあるんですけど。相手が何を必要としてるのか、ちゃんと聞けるようになりたくて。」
凛の父親が頷いた。
「話すより、聞く方が難しいこともあるからね。」
「はい。俺、先に口が動くことが多いので。」
隣から、視線を感じた。
「……今、すごい頷いた?」
「自覚があってよかったと思って。」
凛の母親が笑って、俺もつられて笑った。
食後、皿を運ぶ凛について台所へ向かった。
棚から迷わず布巾を取る手つきも、母親に返す短い返事も、大学で見る姿とは少し違っていた。
「凛、これどこ置く?」
「そこに置いてくれれば大丈夫。ありがとう。」
皿を受け取った凛の向こうで、母親がこちらを見た。
「来てくれてよかったわ。凛、今朝から時計ばかり見ていたから。」
「お母さん。」
「え、そうなの?」
「佐藤くんが道に迷わないか心配だっただけ。」
駅まで迎えに来てくれたのに?
そう言いかけて、やめた。
代わりに凛を見ると、目を逸らされた。
帰りは、凛が駅まで送ってくれた。
住宅街の庭先から、夕飯の匂いが漂っていた。
俺はようやく肩の力を抜いて、大きく息を吐いた。
「緊張したあ。」
「途中から、ずいぶん楽しそうだったよ。」
「うん。楽しかった。また来てもいいかな。」
「……お母さんも、今度は夕飯も食べていってって。」
「行く。」
即答すると、凛が笑った。
「今度、俺の実家にも一緒に行かない? 母さん、会いたがってる。」
「私のこと、話してるの?」
「してる。しすぎて、この前電話で『凛ちゃんの話は分かったから、あんたの近況は?』って言われた。」
「自分の話もしてあげて。」
呆れた声だったけれど、そのあとで小さく付け足された。
「……ご都合のいい日、聞いてもらえる?」
「うん。ただ、実家まで電車で二時間くらいかかるんだよな。」
「じゃあ、朝から行ける日がいいね。」
俺は頷いて、さっそくスマホの予定表を開いた。
空いている日曜日を探すうち、来年の四月は、こんなふうには決められないのかもしれないと思った。
「働き始めたらさ。平日、今みたいには会えないよな。」
「そうだね。帰る時間も、まだ分からないし。」
「一人暮らしだとさ、疲れた日は飯も適当になるんだよな。」
「じゃあ、今のうちに簡単に作れるものを増やしておいたら?」
「凛、教えてくれる?」
「一緒に作るなら。」
「作る。洗い物もする。」
凛は少し考えてから、「じゃあ、簡単なものから」と頷いた。
その返事が嬉しくて、俺はつい先のことまで口にしていた。
「いつかさ。同じ家に帰れたら、いいよな。」
凛の足が止まった。
俺も二歩先で立ち止まり、振り返った。
「……今すぐって話じゃなくて。仕事に慣れて、ちゃんと生活できるようになったら。」
小さな顔を見下ろしながら、言葉を足した。
「一緒に夕飯作ったり、今日あったこと話したり。そういうの、凛とできたらいいなって。」
凛はしばらく黙っていた。
それから、俺の隣まで歩いてきた。
「家事は、ちゃんと分担してね。」
「する。」
「私も働くんだから。」
「うん。」
そこでようやく、凛が顔を上げた。
「……私も、そうなれたら嬉しい。」
危うく、道の真ん中でにやけたまま動けなくなるところだった。
「じゃあ、まず料理だな。」
「その前に卒業論文。」
「田中と同じこと言うじゃん。」

笑いながら、また駅へ向かって歩き出した。
一人暮らしの部屋に戻ってから、母親に凛と帰省したいと連絡した。
すぐに返ってきたのは、空いている日程と、好きな食べ物を聞いておいて、という返事だった。
俺はその画面を閉じて、凛とのトークを開いた。
次に一緒に食べる夕飯のことを、もう考えていた。
俺は凛の家の前で、手土産の袋を持ち直していた。
「……俺、髪変じゃない?」
「さっきから三回目。変じゃないよ。」
「そっか。」
一周年の日に、自分から会いたいと言った。
なのに、いざ玄関を前にすると、何を最初に話すかさえ怪しくなっていた。
凛が俺を見上げた。
「いつもどおりで大丈夫。」
「それ、一番不安じゃね?」
「少しだけ、話す前に考えてね。」
「やっぱ不安なんじゃん。」
凛は笑いながら、玄関の扉を開けた。
出迎えてくれた凛の母親に挨拶をして、居間へ通された。
父親も待っていたので、俺は改めて背筋を伸ばした。
「佐藤夏樹です。凛さんとお付き合いしています。」
自分の口から出た「凛さん」が、妙にむず痒かった。
緊張していたのは、最初の十分くらいだった。
大学の話になって、就職の話になって。
営業の仕事を選んだ理由を聞かれた頃には、俺も顔を上げて話せるようになっていた。
「人と話すのが好きなのもあるんですけど。相手が何を必要としてるのか、ちゃんと聞けるようになりたくて。」
凛の父親が頷いた。
「話すより、聞く方が難しいこともあるからね。」
「はい。俺、先に口が動くことが多いので。」
隣から、視線を感じた。
「……今、すごい頷いた?」
「自覚があってよかったと思って。」
凛の母親が笑って、俺もつられて笑った。
食後、皿を運ぶ凛について台所へ向かった。
棚から迷わず布巾を取る手つきも、母親に返す短い返事も、大学で見る姿とは少し違っていた。
「凛、これどこ置く?」
「そこに置いてくれれば大丈夫。ありがとう。」
皿を受け取った凛の向こうで、母親がこちらを見た。
「来てくれてよかったわ。凛、今朝から時計ばかり見ていたから。」
「お母さん。」
「え、そうなの?」
「佐藤くんが道に迷わないか心配だっただけ。」
駅まで迎えに来てくれたのに?
そう言いかけて、やめた。
代わりに凛を見ると、目を逸らされた。
帰りは、凛が駅まで送ってくれた。
住宅街の庭先から、夕飯の匂いが漂っていた。
俺はようやく肩の力を抜いて、大きく息を吐いた。
「緊張したあ。」
「途中から、ずいぶん楽しそうだったよ。」
「うん。楽しかった。また来てもいいかな。」
「……お母さんも、今度は夕飯も食べていってって。」
「行く。」
即答すると、凛が笑った。
「今度、俺の実家にも一緒に行かない? 母さん、会いたがってる。」
「私のこと、話してるの?」
「してる。しすぎて、この前電話で『凛ちゃんの話は分かったから、あんたの近況は?』って言われた。」
「自分の話もしてあげて。」
呆れた声だったけれど、そのあとで小さく付け足された。
「……ご都合のいい日、聞いてもらえる?」
「うん。ただ、実家まで電車で二時間くらいかかるんだよな。」
「じゃあ、朝から行ける日がいいね。」
俺は頷いて、さっそくスマホの予定表を開いた。
空いている日曜日を探すうち、来年の四月は、こんなふうには決められないのかもしれないと思った。
「働き始めたらさ。平日、今みたいには会えないよな。」
「そうだね。帰る時間も、まだ分からないし。」
「一人暮らしだとさ、疲れた日は飯も適当になるんだよな。」
「じゃあ、今のうちに簡単に作れるものを増やしておいたら?」
「凛、教えてくれる?」
「一緒に作るなら。」
「作る。洗い物もする。」
凛は少し考えてから、「じゃあ、簡単なものから」と頷いた。
その返事が嬉しくて、俺はつい先のことまで口にしていた。
「いつかさ。同じ家に帰れたら、いいよな。」
凛の足が止まった。
俺も二歩先で立ち止まり、振り返った。
「……今すぐって話じゃなくて。仕事に慣れて、ちゃんと生活できるようになったら。」
小さな顔を見下ろしながら、言葉を足した。
「一緒に夕飯作ったり、今日あったこと話したり。そういうの、凛とできたらいいなって。」
凛はしばらく黙っていた。
それから、俺の隣まで歩いてきた。
「家事は、ちゃんと分担してね。」
「する。」
「私も働くんだから。」
「うん。」
そこでようやく、凛が顔を上げた。
「……私も、そうなれたら嬉しい。」
危うく、道の真ん中でにやけたまま動けなくなるところだった。
「じゃあ、まず料理だな。」
「その前に卒業論文。」
「田中と同じこと言うじゃん。」

笑いながら、また駅へ向かって歩き出した。
一人暮らしの部屋に戻ってから、母親に凛と帰省したいと連絡した。
すぐに返ってきたのは、空いている日程と、好きな食べ物を聞いておいて、という返事だった。
俺はその画面を閉じて、凛とのトークを開いた。
次に一緒に食べる夕飯のことを、もう考えていた。



