付き合い始めて、三日が経った。
とはいっても、何かが劇的に変わったわけじゃなかった。
大学で会えば一緒に昼飯を食うし、講義が終われば連絡する。
今までとほとんど同じだった。
違うのは――。
「凛ちゃん。」
「なんですか。」
「俺ら、付き合ってるんだよな。」
「三日前から何回確認するんですか。」
「だって、まだ信じらんない。」
俺の隣を歩いていた凛が、呆れたようにこっちを見た。
九月も終わりに近づいていたけど、夕方はまだ少し暑かった。
大学を出て、駅へ向かう道。
今日は美奈も詩織ちゃんもいない。
二人きりだった。
「凛ちゃん。」
「なんですか。」
「手、つないでいい?」
凛が俺を見上げた。
「花火大会では勝手につないだのに、今日は聞くんですね。」
「だってあの時は、はぐれそうだったし。」
「今日は?」
「彼女だからつなぎたい。」
「……そうですか。」
凛が手を差し出した。
俺はすぐにその手を握った。
小さい。
花火大会の時も思ったけど、俺の手の中にすっぽり収まる。
「凛ちゃん、手ちっちゃいね。」
「今さらですか。」
「身長百五十だもんな。」
「関係あります?」
「たぶん。」
「適当ですね。」
そんな会話をしながら歩いていたけど。
俺はさっきから、別のことを考えていた。
付き合った。
手もつないだ。
だったら、その次は。
駅が近づいて、人通りが増える前に足を止めた。
「凛ちゃん。」
「はい。」
「キスしていい?」
凛が止まった。
数秒、俺の顔をじっと見る。
「……そういうことは聞くんですね。」
「え?」
「今まで散々、私の都合を無視して距離を詰めてきたのに。」
「いや、だって。」
さすがにそれとこれとは違う。
「身体的接触には相手の同意が必要だろ。」
言ってから、自分でも違和感があった。
「……なんか俺、凛ちゃんみたいなこと言ってる。」
「私も今、思いました。」
凛の口元が少し緩んだ。
「で?」
「何がですか。」
「返事。」
凛は少しだけ視線を逸らした。
それから。
「……いいですよ。」
その瞬間、急に緊張した。
今まで、キスなんて何度もしたことがある。
なのに、凛を前にするとどうすればいいのか分からなくなった。
少しかがんで、ゆっくり顔を近づける。
凛が目を閉じた。
俺も目を閉じて、ほんの一瞬だけ唇を重ねた。
離れる。

「……。」
「……。」
なんだこれ。
心臓、うるさ。
「俺、今までキスでこんな緊張したことないかも。」
「それ、今まで付き合った人たちにかなり失礼ですよ。」
「だって凛ちゃんのほうが好きだし。」
「そういうところですよ。」
凛は呆れたように言った。
でも、少しだけ頬が赤かった。
それを見たら、また嬉しくなった。
「あ、そうだ。」
「なんですか。」
「もう付き合ったんだし、敬語やめない?」
前にも一度、同じことを言った。
あの時は、あっさり断られた。
俺と凛はあまり親しくないから、敬語がちょうどいいって。
凛は少し考えてから、俺を見た。
「前にも言いましたよね。」
「うん。断られた。」
「覚えてるんですね。」
「凛ちゃんに言われたこと、結構覚えてるよ。」
「そう。」
俺は足を止めた。
「……え?」
「何?」
「今、敬語じゃなかった。」
凛が少し笑った。
「付き合ったんだから、もういいかなと思って。」
「マジで?」
「うん。」
たったそれだけなのに、すげえ嬉しい。
「もう一回なんか言って。」
「嫌。」
「なんで?」
「面倒くさいから。」
「すげえ。凛ちゃんが俺にタメ口使ってる。」
「そんなに?」
「だってずっと敬語だったじゃん。」
凛は少し考えるように俺を見た。
「じゃあ。」
「ん?」
「名前も、夏樹くんにするね。」
固まった。
「……もう一回。」
「嫌。」
「お願い。」
「夏樹くん。」
やばい。
「もう一回。」
「調子に乗らないで。」
「一生聞ける。」
「私は一生言わない。」
「じゃあ明日は?」
「言わない。」
「今日だけ!?」
凛は俺の手を握ったまま、少しだけ笑った。
「夏樹くん。」
もう一度呼ばれて、また顔がにやける。
「やば。めっちゃ嬉しい。」
「大げさ。」
「だって、夏樹くんだよ?」
「自分で言ってどうするの。」
呆れたように言いながら、凛は手を離さなかった。
キスしたことも嬉しかった。
付き合えたことなんて、今でも信じられないくらい嬉しい。
でも。
凛の口から初めて聞いた俺の名前は、それとはまた違うくらい嬉しかった。
今までは、ずっと俺からだった。
俺から話しかけて。
俺から誘って。
俺から好きになって。
ずっと俺が凛を追いかけてた。
でも、「夏樹くん」は俺が頼んだんじゃない。
凛が自分から、一歩こっちに来てくれた。
そりゃ、嬉しいに決まってる。
「凛ちゃん。」
「何?」
「俺、今めっちゃ嬉しい。」
「……そう。」
つないだ手を、少しだけ握り返された。
それだけで、また嬉しくなった。



