翌朝、ライラは慣れない部屋の中で、ゆっくりと目を覚ました。
柔らかな寝台に暖かな毛布。
朝日が差し込む大きな窓。
どれも、今までのライラには縁のないものだった。
「……夢では、ないのね」
小さく呟いて、ライラは自分の手を見る。
昨日から何度も夢じゃないかと思った。
ここでは怒られることはない。
誰かの機嫌が悪いからと言って謝る必要もない。
ただ、大切に扱われている。
それがライラには不思議だった。
「ライラ殿下、お目覚めでしょうか?」
扉の外から声が響く。
「はい」
返事をすると、セレーヌが二人の女性を連れて部屋に入ってきた。
「おはようございます、殿下。本日より殿下のお世話をする侍女たちを紹介させてくださいませ」
「はい」
「おはようございます、殿下。ミリアと申します、精一杯、努めさせて頂きます」
「リズと申します。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ミリアとリズにライラはペコリと頭を下げた。セレーヌは、その様子を微笑ましく見ていた。王妃となるライラに相応しくない所作ではあった。けれど、少しずつ覚えていけば良いのだと思いながら声をかける。
「朝食の準備が整っております。本日は陛下もご一緒される予定ですよ」
「陛下も……?」
ライラの表情が少し強張る。それに気付いたセレーヌが首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……その……」
ライラは言葉を探す。
王と食事をする。それは王妃となるライラには必要なことなのだろう。けれど、ソレイユ光国ではそんな機会はなかった。王族の籍こそ与えられたものの、姉であるルミナリアとは違い、ライラは家族として扱われることはなかったのだ。
「……失礼のないようにしなければと思いまして」
その言葉に、セレーヌの表情が僅かに曇る。
「ライラ殿下」
「はい」
「陛下は、殿下を試すためにお呼びしているのではありません」
「……」
「ただ、一緒に朝食を取りたいと思っているだけなのです。後々は作法を覚えなければならないでしょう。けれど今は婚約者とのお食事を楽しむ機会だと思ってくださいませ」
「婚約者……」
(そうだわ、あの方は私の夫となる方だもの)
自分達は婚約者同士なのだと今さらながらにライラは意識する。確かに婚約者同士ならば、交流のために一緒に食事をすることもあるだろう。それはそれで別の意味で緊張するけれど、王族との会食と言われるよりは肩の荷が降りた。
⸻
朝食の準備された部屋にライラ達が入ると、すでにルシアンは席についていた。
「おはよう、ライラ王女」
「おはようございます、陛下」
微笑みながら挨拶をしたルシアンにライラはつられるように微笑んだ。するとルシアンは嬉しそうに笑みを深めた。
「よく眠れたかい?」
「はい。……あの、とても素敵なお部屋をありがとうございます」
「気に入ってくれたなら良かった。張り切って準備していたセレーヌたちも、その甲斐があっただろうね」
「セレーヌ様たちが、あのお部屋を……あの、とても安心して眠ることが出来ました」
昨日からのセレーヌたちの優しさを思い出しながらライラはふわりと柔らかく笑った。
その答えに、ルシアンの笑みが深くなった。苛立ちを隠す時の彼の癖だ。その言葉が出ること自体、彼女がどんな場所で過ごしてきたのかを物語っていた。そんな扱いは不当だとルシアンの心は、ささくれ立ったが、それをライラに悟らせたくはなかった。
「それは良かった。今日は、良ければ王城を案内したいと思うんだけど。疲れは残っていないかい?」
「陛下が、私に、案内して下さるのですか?」
「もちろん、君が嫌でなければ」
「ですが……陛下はお忙しいのでは?」
「まぁ、暇だと言えば嘘になるだろうね。けれど迎えたばかりの君と過ごす以上に急ぎの仕事はないよ」
柔らかな声で、けれど断れないように言い募ったルシアンを側近達は少し驚いた目で見つめた。彼は他人の感情に聡く、誰かに無理を強いるような王ではない。と同時に理解した。そんな彼が強く言わなければライラは頷けないだろうと。
「……ありがとうございます」
小さく告げたライラに、ルシアンは微笑んだ。
そのまま和やかに朝食は進んだ。
ライラは最初こそ緊張していたものの、ルシアンが仕事の話ではなく王都の名物や王城の庭園の話をしてくれたおかげで、少しずつ肩の力が抜けていった。
「王城の庭園には季節ごとに違う花が咲くんだ。今の時期なら東の薔薇園が見頃かな」
「東の薔薇園ですか?」
「ああ。王城の中を見てから案内しようと思っていたけれど、興味があるなら薔薇園から向かおうか」
ライラは嬉しそうに笑って小さく頷いた。その小さな笑顔が心からのものに思えてルシアンも釣られて微笑んだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
朝食を終えると、ルシアンは席を立ってライラに手を差し出した。ライラはその手を、おずおずと取って立ち上がる。
「では行こうか」
「はい」
セレーヌたちを伴い、一行は王城の廊下を歩き始めた。
朝の王城は慌ただしく、多くの文官や騎士が行き交っている。彼らはルシアンの姿を見つけると足を止め、礼を取った。
「陛下、おはようございます」
ルシアンは一人一人に穏やかな笑みを向ける。
「おはよう。今日もよろしく頼む」
王から声を掛けられた文官たちは嬉しそうに表情を緩めた。
その光景を見て、ライラは思わず足を止める。
(皆さん……嬉しそう)
ソレイユ光国でも臣下は王に頭を下げていた。けれど、その光景は、もっと冷たく緊張感に満ちていた。今、目の前に広がる景色とは、全く違う。敬意と信頼を新参者のライラでさえ感じられた。
「ライラ王女?」
立ち止まったライラに気付き、ルシアンが振り返る。
「あ……申し訳ありません」
「気になることでもあった?」
ライラは少し迷い、口を開く。
「皆様が、とても幸せそうだなと思って……」
その言葉に、ルシアンは少しだけ目を丸くした。
「そう見えたかい?」
「はい」
ルシアンは照れたように笑う。ライラの言葉はルシアンにとって最上級の褒め言葉だった。
「それなら嬉しいね」
「……?」
「国王は一人では国を守れない。文官も騎士も侍女も民も、皆がいて初めて国は成り立つ。彼らが国を作っている。だから彼らの努力の分、俺は彼らを幸せにしたい」
ライラは目を見開く。
(努力の分、幸せに……)
それはソレイユ光国では絶対に知ることができなかったであろう考えだ。
ルシアンは侍女たちの働きを当たり前とは言わなかった。ライラにも「ありがとう」と言ってくれた。その言葉が、この国では特別ではなく、誰にでも努力をすれば与えられる。冷たく恐ろしい場所だと教えられていたノクティス王国が、とても温かい場所にライラには思えた。
「ライラ王女」
「はい」
「君も、いずれ王妃として多くの者に支えられることになる」
ルシアンは穏やかに微笑む。
「だから、君にも、出来れば俺と同じ気持ちであって欲しい」
「……はい」
ライラは小さく頷いた。ルシアンやセレーヌにもらった優しさを返したいと思った。ルシアンの見る世界を見たいと思った。
その様子を後ろに付き従って見ていたセレーヌは、安堵したように微笑む。
ライラに今、必要なのは、あなたはここに必要なのだと教えることだ。
そうすればきっと、この小さな王女は少しずつ顔を上げて歩けるようになる。優しく素晴らしい王妃になるだろう。
セレーヌは、そんな予感を抱きながら二人を見つめた。
その時だった。慌ただしい足音が遠くから聞こえてきたのは……
柔らかな寝台に暖かな毛布。
朝日が差し込む大きな窓。
どれも、今までのライラには縁のないものだった。
「……夢では、ないのね」
小さく呟いて、ライラは自分の手を見る。
昨日から何度も夢じゃないかと思った。
ここでは怒られることはない。
誰かの機嫌が悪いからと言って謝る必要もない。
ただ、大切に扱われている。
それがライラには不思議だった。
「ライラ殿下、お目覚めでしょうか?」
扉の外から声が響く。
「はい」
返事をすると、セレーヌが二人の女性を連れて部屋に入ってきた。
「おはようございます、殿下。本日より殿下のお世話をする侍女たちを紹介させてくださいませ」
「はい」
「おはようございます、殿下。ミリアと申します、精一杯、努めさせて頂きます」
「リズと申します。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ミリアとリズにライラはペコリと頭を下げた。セレーヌは、その様子を微笑ましく見ていた。王妃となるライラに相応しくない所作ではあった。けれど、少しずつ覚えていけば良いのだと思いながら声をかける。
「朝食の準備が整っております。本日は陛下もご一緒される予定ですよ」
「陛下も……?」
ライラの表情が少し強張る。それに気付いたセレーヌが首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……その……」
ライラは言葉を探す。
王と食事をする。それは王妃となるライラには必要なことなのだろう。けれど、ソレイユ光国ではそんな機会はなかった。王族の籍こそ与えられたものの、姉であるルミナリアとは違い、ライラは家族として扱われることはなかったのだ。
「……失礼のないようにしなければと思いまして」
その言葉に、セレーヌの表情が僅かに曇る。
「ライラ殿下」
「はい」
「陛下は、殿下を試すためにお呼びしているのではありません」
「……」
「ただ、一緒に朝食を取りたいと思っているだけなのです。後々は作法を覚えなければならないでしょう。けれど今は婚約者とのお食事を楽しむ機会だと思ってくださいませ」
「婚約者……」
(そうだわ、あの方は私の夫となる方だもの)
自分達は婚約者同士なのだと今さらながらにライラは意識する。確かに婚約者同士ならば、交流のために一緒に食事をすることもあるだろう。それはそれで別の意味で緊張するけれど、王族との会食と言われるよりは肩の荷が降りた。
⸻
朝食の準備された部屋にライラ達が入ると、すでにルシアンは席についていた。
「おはよう、ライラ王女」
「おはようございます、陛下」
微笑みながら挨拶をしたルシアンにライラはつられるように微笑んだ。するとルシアンは嬉しそうに笑みを深めた。
「よく眠れたかい?」
「はい。……あの、とても素敵なお部屋をありがとうございます」
「気に入ってくれたなら良かった。張り切って準備していたセレーヌたちも、その甲斐があっただろうね」
「セレーヌ様たちが、あのお部屋を……あの、とても安心して眠ることが出来ました」
昨日からのセレーヌたちの優しさを思い出しながらライラはふわりと柔らかく笑った。
その答えに、ルシアンの笑みが深くなった。苛立ちを隠す時の彼の癖だ。その言葉が出ること自体、彼女がどんな場所で過ごしてきたのかを物語っていた。そんな扱いは不当だとルシアンの心は、ささくれ立ったが、それをライラに悟らせたくはなかった。
「それは良かった。今日は、良ければ王城を案内したいと思うんだけど。疲れは残っていないかい?」
「陛下が、私に、案内して下さるのですか?」
「もちろん、君が嫌でなければ」
「ですが……陛下はお忙しいのでは?」
「まぁ、暇だと言えば嘘になるだろうね。けれど迎えたばかりの君と過ごす以上に急ぎの仕事はないよ」
柔らかな声で、けれど断れないように言い募ったルシアンを側近達は少し驚いた目で見つめた。彼は他人の感情に聡く、誰かに無理を強いるような王ではない。と同時に理解した。そんな彼が強く言わなければライラは頷けないだろうと。
「……ありがとうございます」
小さく告げたライラに、ルシアンは微笑んだ。
そのまま和やかに朝食は進んだ。
ライラは最初こそ緊張していたものの、ルシアンが仕事の話ではなく王都の名物や王城の庭園の話をしてくれたおかげで、少しずつ肩の力が抜けていった。
「王城の庭園には季節ごとに違う花が咲くんだ。今の時期なら東の薔薇園が見頃かな」
「東の薔薇園ですか?」
「ああ。王城の中を見てから案内しようと思っていたけれど、興味があるなら薔薇園から向かおうか」
ライラは嬉しそうに笑って小さく頷いた。その小さな笑顔が心からのものに思えてルシアンも釣られて微笑んだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
朝食を終えると、ルシアンは席を立ってライラに手を差し出した。ライラはその手を、おずおずと取って立ち上がる。
「では行こうか」
「はい」
セレーヌたちを伴い、一行は王城の廊下を歩き始めた。
朝の王城は慌ただしく、多くの文官や騎士が行き交っている。彼らはルシアンの姿を見つけると足を止め、礼を取った。
「陛下、おはようございます」
ルシアンは一人一人に穏やかな笑みを向ける。
「おはよう。今日もよろしく頼む」
王から声を掛けられた文官たちは嬉しそうに表情を緩めた。
その光景を見て、ライラは思わず足を止める。
(皆さん……嬉しそう)
ソレイユ光国でも臣下は王に頭を下げていた。けれど、その光景は、もっと冷たく緊張感に満ちていた。今、目の前に広がる景色とは、全く違う。敬意と信頼を新参者のライラでさえ感じられた。
「ライラ王女?」
立ち止まったライラに気付き、ルシアンが振り返る。
「あ……申し訳ありません」
「気になることでもあった?」
ライラは少し迷い、口を開く。
「皆様が、とても幸せそうだなと思って……」
その言葉に、ルシアンは少しだけ目を丸くした。
「そう見えたかい?」
「はい」
ルシアンは照れたように笑う。ライラの言葉はルシアンにとって最上級の褒め言葉だった。
「それなら嬉しいね」
「……?」
「国王は一人では国を守れない。文官も騎士も侍女も民も、皆がいて初めて国は成り立つ。彼らが国を作っている。だから彼らの努力の分、俺は彼らを幸せにしたい」
ライラは目を見開く。
(努力の分、幸せに……)
それはソレイユ光国では絶対に知ることができなかったであろう考えだ。
ルシアンは侍女たちの働きを当たり前とは言わなかった。ライラにも「ありがとう」と言ってくれた。その言葉が、この国では特別ではなく、誰にでも努力をすれば与えられる。冷たく恐ろしい場所だと教えられていたノクティス王国が、とても温かい場所にライラには思えた。
「ライラ王女」
「はい」
「君も、いずれ王妃として多くの者に支えられることになる」
ルシアンは穏やかに微笑む。
「だから、君にも、出来れば俺と同じ気持ちであって欲しい」
「……はい」
ライラは小さく頷いた。ルシアンやセレーヌにもらった優しさを返したいと思った。ルシアンの見る世界を見たいと思った。
その様子を後ろに付き従って見ていたセレーヌは、安堵したように微笑む。
ライラに今、必要なのは、あなたはここに必要なのだと教えることだ。
そうすればきっと、この小さな王女は少しずつ顔を上げて歩けるようになる。優しく素晴らしい王妃になるだろう。
セレーヌは、そんな予感を抱きながら二人を見つめた。
その時だった。慌ただしい足音が遠くから聞こえてきたのは……
