そこに愛は?




 昼休みの食堂で、スマホを眺めていると日向がやってきた。
「ここ、いい?」
 トレーにはカレーライスが乗っていた。
「どうぞどうぞ」
 夏樹はテーブルの上をささっと空けた。
 少し前まで同僚たちと一緒だったが、用事があると先に食堂を出て行ったところだった。
「今日はパンなんだね」
「あ、うん」
 夏樹は売店で買ったサンドイッチを食べ終えていた。

「警務課には慣れた?」
 夏樹は、「いただきます」とカレーを前に手を合わせた日向を見ながら話しかけた。
「だいたいね。でも慣れた頃にまた別の課に行くからなあ」
 日向は現場修習の最終段階として、警察署の各課を回っているのだ。
「日勤の課にいる間は定時出勤、定時退社だからいいよね」
 日向はきれいな手つきでカレーをすくって言った。
 夏樹はその所作をぼんやり眺めながら、「そういえば引っ越しも多いもんね」と気づいて言った。
「そうなんだよね。本庁と警校と、地方実修もあって……」
 といって日向は指を数えた。
「それはハードだね」
 キャリアっぽいなあ……と思いながら、会話を続けた。
「この修習が終わったら本庁に戻るの?」
 胸元の階級章と、その下に並ぶ金属の識別プレートが自然と目に入った。
「どうだろう」
 日向は自分のことなのにあまり興味がなさそうに見えた。
「人事が決めることだしね。できればもう少しここにいたいけど」
 日向はこの職場が気に入っているらしい。
「俺ね、警察学校の実務研修が“ここ”だったの」
 日向は指を床に向けた。
「そうなの?」
 夏樹は少し驚いた。
 ……ってことは、光琉と一緒に配属されてきたってこと?
「――はは、結城さん」
 日向が小さく笑いながら、夏樹の眉間を指で押した。
 えっ、と驚くより先に言われた。
「ここにシワ。《《嫌なこと》》考えてるときのクセだよね」
「!」
 自分でも気づかなかった。おもわずシワになっただろう眉間を撫でた。
「あぶないクセだね、気をつけよう」
 深く刻まれたらシャレにならない……。
「うん。またなったら教えてあげるよ」
   
 ――なんていう中身があるようなないような会話をしていると、あっという間に時間が過ぎた。

「そうだ、日曜日のこと決めたいんだけど」
 席を立とうしたタイミングで言われた。
「日曜日までに一回、いつでもいいから時間空けてくれると嬉しい」
「あ、この前言っていた、アレね」
 また座り直した。
 もちろん忘れてはいない。
 いつ言い出されるのかと気にしていたのは事実だった。
「結城さんにしか頼めないことだから、できればふたりで会いたい」
 日向はまた目を伏せた。
 ……もしかして『情報管理課』の頃の、内部資料の件かな……。誰かに頼まれたのかな?
 その心当たりに、心の一か所が重くなる。

「時間は結城さんに合わせるよ」
「いつでもいいけど」
 光琉を待つ夜はなくなったし。
「連絡先交換できる?」
「うん」
 夏樹はスマホを出した。


 
 **

 日向から指定されたイタリアンの店は、普段から夏樹が同僚たちとよく行く店だった。当然、光琉とも何度も来た。
 
 ……日向君、大丈夫かな。
 光琉と別れた余波が疾風のように駆け抜けている今の時期、たとえ同僚との仕事の話だとしても周りにはそう見えないのではないだろうか。日向に迷惑が掛かってしまう。
 ……場所変更できないかメールしてみよう。
 焦ってスマホを取り出した。

「おまたせ」
「!」
 文字を打ち込む前に日向が到着してしまった。
「――ん? 遅かったかな?」
 日向が申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 夏樹は否定した。
「そうじゃなくて……別の店にした方がいいんじゃないかと」
「なにかあった?」
「ここ知り合いもよく来るし」
「なんだ。そんなこと。だったら大丈夫。結城さん、この店好きでしょ」
 日向が椅子を引いて向かいの席に座った。
「そういう問題じゃ……私『話題の人』だし、日向君巻き込んじゃうよ」
「別にいいけど?」
 肝が据わっているのか、日向は一向に気にしない。
 はあ――。
 夏樹は溜息を落とし、引いた。

「実を言うと、ここ入ってみたかったんだよね」
 日向が片手を口元に持ってきて、内緒話のような小声を向けてきた。  
「来たことないの? すっごく美味しいのに」
「だろうね。前に通った時、結城さんが頬張ってるの、見た」
「うぅっ……」
 ガラス張りの店内の弊害だ。
 夏樹は恥ずかしさに耐えた。  
「ははっ、冗談だよ。お詫びにおごるから。そうだ、今日はコースで頼まない?」
「いいけど……、自分の分は払うから」
「そこは甘えてよ。俺が誘ったんだし、お願いしたいことあるし」
「それとこれとは……」
「俺の気持ちの問題、かっこつけさせて」
「――じゃあ、お言葉に甘えて、ご馳走になります」 

 前菜とワインが運ばれてきた。
 安定の美味しさに頬が喜ぶ中、一緒に「美味しいね」と笑い合っていた日向がワインをテーブルに置いた。
「結城さん」
 静かな声に名前を呼ばれる。
「俺の彼女になってくれない?」
「……」
 夏樹は笑っていた頬を、少しずつ引きしめた。 
「――え、なんて?」
「フリでいいんだ」
 日向は笑っていなかった。
 夏樹はようやく、日向が真剣に言っていることに気づいた。

「私が? 日向君の彼女の、フリ?」
「頼めないかな」
 
「……」
 夏樹は唾を飲み込んだ。
 軽く頷けるような話じゃなかった。