「相手の名前、口を割らないのよ」
「……」
いったいどんな人を好きになったのか、もちろん夏樹も聞いた。だが光琉は「俺の勝手な片想いだから」と言うだけだった。
「脅しても、交換条件つきつけても、泣き真似してもよ!」
「……」
光琉が誰にも言わないと決めているのなら、それだけ相手の女が大切で守りたいのだろう。
だったら聞いたところで惨めになるだけだ。
「挙句に、ナツを好きな気持ちは一ミリの変わってないって。その『好き』を超えてしまったから別れたんだ、だって。はあ? 自分に酔ってんじゃねえよって」
「ふっ」
日向が笑みを漏らした。「――あ、ごめん、続けて」
そしてすぐにしおらしく引いた。
舞華は興奮のまま、まくしたてた。
「あいつ、こうも言ったのよ。ナツに新しい恋人ができるまで、自分は誰ともつきあわない、って。いったい誰の好感度狙ってるわけ?」
「……なにそれ」
それはさすがにカチン、とくる。
勝手に別れを切り出されて、そんな責任まで押し付けられるのか……。
「私が言ったとおりになったね。ハズれてほしい予感だったよ」
舞華は歯噛みした。
確かに舞華は、光琉の猛烈なアプローチに最初から引いていた。
『ああいう惚れっぽい男は他の女にも惚れっぽいからね、気をつけて』
……本当に、その通りだったんだ。
夏樹は首をすくめた。
「次は逆のタイプとつきあいなね。誠実な男と」
「うん。もうよく知らない人とはつきあわない」
「だったら友達から始めるのもありかもね」
「……そうだよね」
そうは言っても、次の恋愛なんてまったく考えられなかった。
「――日向、今日は寝坊か?」
後ろから先輩警察官が声を掛けてきた。
「おはようございます」
日向からワンテンポ遅れ、夏樹も舞華も朝の挨拶をした。
「おはようございます」
……やっぱり、日向君は今日いつもより遅いんだって。時計見間違えてるんじゃないかな。
なんて思っていると、日向は先輩警察官の歩幅に合わせて歩き出した。
背中に向けられた手がひらひらと揺れた。その後ろ姿を夏樹も舞華もそのまま見送った。
「日向君って掴みどころがないよね。優しいのか冷たいのか、明るいのか暗いのか、さっぱりだ」
舞華が難しそうな顔をして言った。
夏樹は遠ざかっていく日向を見ながら「なるほどね」と曖昧に答えた。周囲の日向への評価はだいたい同じらしい。
「なんにしてもさ、手柄を横取りするような上司にならないことを祈るけどね」
舞華は両手を掲げてあきらめてるように言った。
「うんうん」
夏樹も大いに頷いた。
男社会の警察組織において、警察官と一般職員の関係はなかなか難しい。事務職の成果を当たり前のように手柄にする者もいれば、あからさまに見下してくる者もいる。
夏樹が一階の『会計課』に出戻ってきたのも、本庁のエリートが犯した、懲戒免職になりかねないミスをうっかり見つけてしまったことが原因だった。
「でもあのカラダはたまらんね。あの顔で、肩幅と腹筋のギャップがさ」
「こらこら、同僚を不埒な目で見ないの」
そう言いながら、夏樹も思い出してしまった。
舞華とロッカー室を通りかかった時、開け放たれた窓の向こうで着替えていた日向。
……確かにあれは、“目の毒”だった。
「それより! 私は何が何でも、絶対、光琉の女を見つけ出して暴いてやるわ」
「マイマイ……、もういいよ」
夏樹は、興奮している舞華にそっと言った。
小さく笑いかけながら。
「なんでよっ、ナツは悔しくないのっ?」
「悔しくないわけないよ。けどさ、離れた気持ちは戻らないよ」
別れた直後であれば、自分の傷心で精一杯だっただろう。
舞華の行動力に頼って、光琉が好きになった女を一目見てみたい――とも思っただろう。
けれどもう、その時期は過ぎた。
「はあ――わかったよ。いったん引くわ」
納得はしていない表情だったが、舞華は溜息とともに結論を出した。
「でもナツが仕返ししたくなったら全力で力貸すからね」
「はは。ありがとう」
「とにかく、あいつが全女子の敵に回ったことだけは間違いな――わっ」
「おっと」
舞華が段差で躓いた。
夏樹は咄嗟に腰を抱き止めた。
「……ああ、焦った。ナツ、ありがとう」
そのまま抱き着かれ、通勤ラッシュの警察署前で注目を浴びた。
「あんたはいつも漢前すぎるのよ。大好き」
舞華は気にすることなく腕に絡まってきた。
