この恋は、業務提携外につき。 ―最悪の相手と、最高の商品を。―

ーアカリside.ー




あの地獄のような会議から、たった二日後。


私は今。

レンタカーのハンドルを握っていた。




「……」

隣には、ハン・スヒョン。

…最悪だ。

ここへ来るまでだって、十分、最悪だった。

父の本当に本当に、本当に余計すぎる計らいによって。

新幹線の席まで隣同士だった。

…なんでそこまでしなくちゃいけないの。

別に現地集合でいいじゃない。

いや百歩譲って同じ新幹線でもいい。

でもなんで隣?

父に問い詰めたら、『せっかくだから移動中に交流を深めればいいだろう』

なんて満面の笑みで言われた。

深まるわけないでしょ。

むしろ、深まるのは溝ばかり。

「……」

新幹線に乗っていた間。

会話らしい会話は、ほぼなかった。

最初に「おはようございます」と私が言って。

「おはようございます」と返ってきた。

以上。

あとはお互い、好き勝手。

私は資料を見たり、スマホを触ったり、少し寝たり。

隣のスヒョンは、パソコンを開いて、ずっと何か仕事をしたり、たまに席を立って電話しに行ったり。

……いや、私だって話しかけてない。

それは分かってる。

分かってるけど。

なんか、それでも腹立つ。

少しくらい何か話しかけてくるもんじゃないの?

今日の工場について、とか、今回のプロジェクトについて、とか。

何でもあるでしょ。

なのにこの人は、本当に何も言わない。

新幹線を降りて、レンタカーを借りて、私が運転席に座る。

スヒョンが助手席。

そこから約一時間。

「……」

まだ無言。

私は前を向きながら、ちらっと横目で助手席を見る。

スヒョンは窓の外を見ていた。

……何なの。

別に私だって喋りたいわけじゃない。

むしろ喋ったらまた喧嘩しそうだし。

でもだからって、本当に一言も話さない?

「あの」

耐えきれず。

私から口を開いた。

「はい」

返事だけは早い。

「今日行く工場なんですけど」

「はい」

「白樹の中でも、かなり古い工場です」

「そうですか」

「……」




終わった。

会話。

三往復もしてない。

「でも設備自体は何度も更新してますし、品質管理もかなり厳しくやってます」

「そうなんですね」

「……はい」

また終わった。

…何これ。

私だけが、必死に会話繋ごうとしてるみたいじゃん。

……もういい。気を遣って損した。

私は前を向く。

そこからまた無言。

カーナビの案内音とタイヤが道路を走る音だけが、車内に響いていた。

本当に感じ悪い。

いや、会議で喧嘩した相手と仲良くお喋りしろと言う方が難しいと思う。

しかも二人きりで車内に閉じ込められて。

でも今日の目的は工場見学。

一応仕事なんだから、多少はコミュニケーション取るでしょ。

しばらくして、工場の大きな看板が見えてきた。

「あ」

私は少しだけ姿勢を変える。

「着きます」

スヒョンは相変わらず窓の外へ視線を向ける。

敷地内へ入り、来客用の駐車スペースへ車を停めた。

エンジンを切ると、私はシートベルトを外して、隣を見る。

「着きましたけど」

「……ああ」

……ああ?

それだけ?…ありがとうとかないの?

「……」

私は無言で自分側のドアを開ける。

バタン!!

勢いよく閉めた。

「……」

もう知らない。

私はそのまま一人で工場の入口へ向かって歩き出した。

後ろから少し遅れてスヒョンもついてくる。



「おはようございまーす!」

工場の自動ドアを抜けた瞬間。

さっきまでの苛立ちをいったん全部しまう。

さぁアカリ、切り替えて。

今日は白樹食品の代表として、ハンウ食品の事業本部長を案内する日。

この前みたいに取り乱して、私情を持ち込むわけにはいかないからね。

「おはようございます!」

受付にいた女性が、私を見るなり顔を明るくした。

「あっ、白樹部長!」

「お久しぶりです、田中さん」

「本当にお久しぶりですね!」

「この前来たの、三ヶ月前でしたっけ?」

「そうです、そうです。その時、検品ライン見て帰られましたよね」

「あ、そうかもしれません。ていうか田中さん」

私は笑う。

「髪切りました?」

「え?」

「短くなってる」

「分かります?」

「分かりますよ!短いの似合いますね」

「やだー、嬉しい!」

田中さんが笑う。

その隣にいた男性にも目を向ける。

「佐藤さん、お疲れ様です」

「お疲れ様です!」

「腰、大丈夫ですか?」

「え」

「前来た時、痛めたって言ってたじゃないですか」

「ああ!」

佐藤さんが驚いたように笑った。

「覚えてたんですか?」

「覚えてますよ〜佐藤さん辛そうにしてましたもん」

「もう大丈夫です」

「本当ですか?無理しないでくださいね」



そんな会話をしていると。

後ろから。

スヒョンが入ってきた。

私は振り返る。

「こちら、ハンウ食品のハン・スヒョン本部長です」

「よろしくお願いします」

スヒョンが。

丁寧に頭を下げる。

「社長からお話は承っております。本日はよろしくお願いします!」

工場側も一斉に頭を下げた。

「じゃあ、まず製造ラインから案内しますね」

私は歩き出す。

通路を進みながら、白衣と帽子を受け取る。

スヒョンも後ろで無言でそれに従う。

手洗い、消毒、エアシャワー。

一通りの衛生工程を終えて、製造エリアへ入る。

機械音が一気に大きくなる。

ゴウン、ゴウンと、一定のリズムで設備が動いている。

「ここが製麺のラインです」

私は、少し声を張る。

「小麦の配合から始まって、練り、水分調整、圧延、切り出しまで一気に進みます」

スヒョンは設備をじっと見る。

何か適宜頷きながら見ている。

すると、スヒョンも少し声を張って質問をしてきた。

「速度は?」

「商品によります。定番商品は速め、新商品や限定品は調整することもあります」

「ロス率は」

「平均で一パーセント台です。さらなる低下を目指しています。」

質問が速い。

さっきの車内とは違って、やっぱり仕事の話になると違う。

「かなり低いですね」

「改善を積み重ねてきたので」

そう言って、私は少し先にいる男性へ声を掛ける。

「高橋さーん!」

作業確認をしていた男性が、こちらを見る。

「おっ、アカリちゃん!」

「久しぶりー!」

ワイワイと駆け寄っていく。

その時、私は一瞬だけ止まる。

その横でスヒョンの視線がほんの少し動いた。

…なんだろう?

とりあえず気にせず続けた。

「ちょっと、高橋さん」

「何?」

「もう!会社でアカリちゃんやめてくださいって毎回言ってますよね」

「いいじゃん。小さい頃から知ってるんだから」

「もう28歳なんです。あと今、仕事中です」

「はいはい。白樹部長」

周りの社員たちが笑う。

私は恥ずかしくなって、少し顔をしかめる。

「こちら、ハンウ食品のハン本部長です」

「ああ!どうもどうも!」

高橋さんが慌てて姿勢を正す。

「いつも白樹部長にはお世話になってます」

「こちらこそ」

スヒョンが答える。

「高橋さんは、この工場にもう何年でしたっけ」

「三十二年」

「三十二年?」

「そう」

私はスヒョンを見る。

「製麺については、私よりこの人の方が何百倍も詳しいです」

「何百倍は言いすぎだ」

「いや、本当ですよ」

高橋さんが笑う。

「この子は昔から、何でも聞いてくるんですよ。小さい頃から仕事もしてないのに熱心な子でね。」

「もう!そんな子供みたいに。」

「この機械は何してるんですか、何でこの温度なんですか、何で今日は麺が違うんですかって」

「勉強してたんですよ!」

「一日中ついて回ってたよな」

「……学生の時の話ですから」

また笑いが起きる。

ふと、スヒョンを見る。

「……」

特に、何も言わない。

表情もほとんど変わっていない。

でもさっきまで、設備しか見ていなかった目が。

今は少しだけ、私の方へ向いている気がした。

「次、こちらです」

私は気にせず歩き出した。

製麺、乾燥、検品。

それぞれの工程を順番に案内していく。

途中、すれ違うたびに。

「あ、山本さん!」

「お久しぶりです!」

「鈴木さん、娘さん受験どうでした?」

「受かりましたよ!」

「本当!?おめでとうございます!」

「伊藤さん、この前の改善案ありがとうございました」

「あれ採用されたんですか?」

「もちろん。来月から試験導入します」

そんなやり取りが何度も続いた。

役職も部署も、年齢も関係ない。

私はできる限り、名前を覚えるようにしている。

話しかける時は、なるべく名前を呼べるように。

もちろん全員完璧に、とはいかない。

でも商品は人が作るものだから。

機械だけ見ても、工場のことは分からない。

誰が何を考えて、どこを工夫して、どこを守っているのか。

それを知らないまま商品開発なんて、できるはずがない。

「……ずいぶん、覚えているんですね」

突然隣から声がした。

「え?」

スヒョンだった。

「社員の名前」

「ああ」

私は少し笑う。

「何回も来てるので」

「それだけで覚えますか?」

「覚えようとはしてます」

「なぜ」

なぜ…?

そんなことを、真顔で聞かれると思わなかった。

「……一緒に商品作ってる人だからです」

私は答える。

「うちの会社は、メーカーです。

メーカーってどうしても開発とか広報とかがフォーカスされがちですけど、作ってくれてる工場の人がいないと会社自体機能しません。

でも本社にいると、どうしても数字とか企画書ばっかりになりますけど」

動いているラインを見る。

「…実際に作ってくれてるのは、ここにいる人たちなので、彼らへの感謝は常に忘れないようにしています。」

私はチラッとスヒョンを見る。

でも、スヒョンは何も言わなかった。

ただほんの少しだけ。

私を見る目が、一瞬だけ柔らかくなったような気がした。

…ま、気のせいかもしれないけど。