『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』

「覚えてるのか」

「……かなり」

「そうか」

「……それだけ?」

「何が」

「もっと何かないんですか」

「例えば」

「私が変なこと言ってたとか……」

ほんの一瞬。

遼河さんの口元が動いた。

私は見逃さなかった。

「今、笑いました?」

「笑ってない」

「絶対笑った」

「気のせいだ」

「……もういいです。覚えてますから」

「なら聞く必要ないだろ」

「確認したかったんです」

「何を」

何を。

その一言で。

言葉が止まった。

本当に確認したいことは。

そこではない。

昨夜。

何度も聞いた。

酔った頭でも理解した。

それでも。

今の私が。

何の言い訳もできない、素面の私が。

もう一度。

ちゃんと聞きたかった。

「……蘭とのこと」

遼河さんの表情が変わった。

わずかに残っていた笑みが消える。

「覚えてるんだな」

「うん」

「なら、もう一度言う」

遼河さんは、まっすぐ私を見た。

「俺と蘭さんが婚約した事実は、一度もない」

胸が。

小さく跳ねる。

「俺が受け入れたこともない。両親も了承していない」

昨夜と同じ言葉だった。

なのに。

お酒の入っていない頭で聞くその言葉は。

昨日より何倍も重かった。

十三年間。

絶対に変わらない事実だと思っていたものが。

音もなく。

崩れていく。

「……本当に?」

「ああ」

「一度も?」

「一度もない」

「お家同士で……そういう話になったことも?」

「周囲が勝手に口にしたことはあった」

遼河さんの眉間に、わずかに皺が寄る。

「でも、俺も両親も受け入れていない。正式に話が進んだことも一度もない」

「……じゃあ」

声が出なかった。

喉の奥が詰まる。

嬉しい。

嬉しいはずなのに。

なぜか泣きたくなった。

十三年間。

何度も自分へ言い聞かせた。

仕方ない。

遼河さんには蘭がいる。

私は妹みたいなもの。

好きでいる方がおかしい。

諦めなければいけない。

そうやって。

何度も。

何度も。

自分で自分の気持ちを押し潰してきた。

それが。

全部。

必要なかったのだとしたら。

「じゃあ……」

もう一度、声を絞り出した。

「私……何してたんだろう」

「綾乃?」

「十三歳の時」

自分の声が震えているのが分かった。

「蘭から聞いたの。遼河さんと婚約するって。家同士でも決まってるって……」

初めてだった。

ずっと胸の奥へしまい込んでいたあの日を。

本人へ話すのは。

「私ね……あの時、すごく嫌だった」

言葉にした途端。

十三歳の自分が、急に胸の中へ戻ってきた。

何も知らなくて。

好きという感情の扱い方すら分からなくて。

それでも。

遼河さんに会える日は嬉しくて。

何を話そう。

今日は笑ってくれるかな。

そんなことばかり考えていた少女。

「でも、嫌だって思う自分の方が悪いんだと思った」

目の奥が熱くなる。

「だって遼河さんは六歳も年上で、私はまだ子どもで。蘭は嬉しそうに“婚約者になるんだ”って言ってて……」

あの日の蘭の顔まで。

思い出した。

得意げで。

嬉しそうで。

それを聞いた私は。

笑うしかなかった。

「だから……私が遼河さんを好きでいる方がおかしいんだって思った」