入社二日目。
午前七時五十分。
KSサイエンスの地下駐車場へ車を滑り込ませながら、私は小さく息を吐いた。
昨日より、ほぼ三十分も早い。
理由は簡単。
昨夕、遼河さんに言われたからだ。
『明日の予定を全部組み直せ』
あの一言のおかげで、帰宅してからも頭の中ではずっと予定表が回っていた。
もちろん、仕事そのものを家へ持ち帰ったわけではない。
機密資料は社外へ出せない。
ただ。
あの会議をここへ移して。
移動時間を確保して。
海外との時差を考えたら、この案件は午前中。
昼食時間も最低三十分は確保して――。
考え始めたら止まらなくなった。
「完全に仕事人間の思考になってる……」
車を指定されたスペースへ停める。
昨日とは違い、今日は迎えなど必要ない。
社員証もある。
入館方法も分かった。
何より。
CEO自ら地下駐車場で待ち構えられる心配もない。
車を降り、社員用エレベーターへ向かう。
「今日は平和に始まりそう」
そう思った。
――甘かった。
CEOフロアへ到着し、秘書課のデスクへ向かった瞬間。
「おはよう、鷹宮さん」
城之内さんが声をかけてきた。
「おはようございます」
「早いですね」
「昨日、予定を組み直すよう言われましたので、念のため早めに」
「なるほど」
城之内さんが、少しだけ遠い目をした。
「藤和CEOの洗礼を受けましたね」
「洗礼……」
「本人は無茶を言っているつもりがないので、余計に厄介なんです」
ですよね。
危うく全力で頷きそうになった。
「鷹宮さん」
「はい」
「今、同意しかけました?」
「しておりません」
「そうですか」
絶対にばれてる。
自分のデスクへ向かい、業務端末を立ち上げる。
昨日組み直した予定を最終確認する。
八時三十分。
経営戦略会議。
十時。
国内開発部門レビュー。
十一時。
欧州支社とのオンライン会議。
十二時。
昼食。
十三時。
M&A案件事前協議。
十五時。
大手通信企業との商談。
十七時。
役員会。
十九時。
会食。
昨日よりは。
ほんの少しだけ余白がある。
本当に、ほんの少しだけだけど。
「これなら昨日よりマシ……」
「何がマシなんだ?」
背後から声がした。
「っ!」
振り返る。
遼河さんが立っていた。
「藤和CEO。おはようございます」
「ああ」
「いつからそこに?」
「今来た」
絶対嘘。
また独り言を聞かれた気がする。
「予定を見せろ」
「はい」
端末を渡す。
遼河さんの目が、上から下まで素早く動く。
数秒。
「昼が三十分ある」
「あります」
「昨日は十五分だった」
「昨日が短すぎたんです」
「十五分あれば食べられる」
「食べられるかどうかではありません」
遼河さんが顔を上げる。
「午後の判断力を落とさないためにも、最低限の休憩は必要です。移動時間も昨日より余裕を持たせました」
「会議が延びたら?」
「そのための余白です」
「十五時の商談前に三十分空いているな」
「予備時間です。資料確認にも使えます」
「十九時の会食まで一時間」
「移動と着替えを含めています」
そこまで答えたところで。
遼河さんが端末を返した。
「問題ない」
「……それだけですか?」
「何がだ」
「昨日、全部組み直せと仰ったので」
「組み直せている」
「はい」
「なら問題ない」
褒めるでもなく。
文句を言うでもなく。
ただ、それだけ。
なのに。
なぜか少し嬉しい。
昨日から、何なの。
この感覚。
「それから」
嫌な予感。
「はい」
「コーヒー」
やっぱり。
「午前は十時前でしたよね」
「ああ」
「覚えています」
「ならいい」
「自分で淹れるという選択肢は?」
「ある」
「あるんですか」
「ああ」
「では――」
「だが、お前がいる」
そう来る?
「……専属秘書って、本当に何でもありなんですね」
「昨日理解しただろう」
「理解したくなかっただけです」
「聞こえているぞ」
「今日は聞こえるように言いました」
遼河さんの口元が、わずかに緩んだ。
「慣れてきたな」
「何にですか」
「俺に」
一瞬。
言葉が止まる。
さらっと言わないで。
「……仕事にです」
言い返す。
「そうか」
遼河さんは、それ以上何も言わず執務室へ入っていった。
午前七時五十分。
KSサイエンスの地下駐車場へ車を滑り込ませながら、私は小さく息を吐いた。
昨日より、ほぼ三十分も早い。
理由は簡単。
昨夕、遼河さんに言われたからだ。
『明日の予定を全部組み直せ』
あの一言のおかげで、帰宅してからも頭の中ではずっと予定表が回っていた。
もちろん、仕事そのものを家へ持ち帰ったわけではない。
機密資料は社外へ出せない。
ただ。
あの会議をここへ移して。
移動時間を確保して。
海外との時差を考えたら、この案件は午前中。
昼食時間も最低三十分は確保して――。
考え始めたら止まらなくなった。
「完全に仕事人間の思考になってる……」
車を指定されたスペースへ停める。
昨日とは違い、今日は迎えなど必要ない。
社員証もある。
入館方法も分かった。
何より。
CEO自ら地下駐車場で待ち構えられる心配もない。
車を降り、社員用エレベーターへ向かう。
「今日は平和に始まりそう」
そう思った。
――甘かった。
CEOフロアへ到着し、秘書課のデスクへ向かった瞬間。
「おはよう、鷹宮さん」
城之内さんが声をかけてきた。
「おはようございます」
「早いですね」
「昨日、予定を組み直すよう言われましたので、念のため早めに」
「なるほど」
城之内さんが、少しだけ遠い目をした。
「藤和CEOの洗礼を受けましたね」
「洗礼……」
「本人は無茶を言っているつもりがないので、余計に厄介なんです」
ですよね。
危うく全力で頷きそうになった。
「鷹宮さん」
「はい」
「今、同意しかけました?」
「しておりません」
「そうですか」
絶対にばれてる。
自分のデスクへ向かい、業務端末を立ち上げる。
昨日組み直した予定を最終確認する。
八時三十分。
経営戦略会議。
十時。
国内開発部門レビュー。
十一時。
欧州支社とのオンライン会議。
十二時。
昼食。
十三時。
M&A案件事前協議。
十五時。
大手通信企業との商談。
十七時。
役員会。
十九時。
会食。
昨日よりは。
ほんの少しだけ余白がある。
本当に、ほんの少しだけだけど。
「これなら昨日よりマシ……」
「何がマシなんだ?」
背後から声がした。
「っ!」
振り返る。
遼河さんが立っていた。
「藤和CEO。おはようございます」
「ああ」
「いつからそこに?」
「今来た」
絶対嘘。
また独り言を聞かれた気がする。
「予定を見せろ」
「はい」
端末を渡す。
遼河さんの目が、上から下まで素早く動く。
数秒。
「昼が三十分ある」
「あります」
「昨日は十五分だった」
「昨日が短すぎたんです」
「十五分あれば食べられる」
「食べられるかどうかではありません」
遼河さんが顔を上げる。
「午後の判断力を落とさないためにも、最低限の休憩は必要です。移動時間も昨日より余裕を持たせました」
「会議が延びたら?」
「そのための余白です」
「十五時の商談前に三十分空いているな」
「予備時間です。資料確認にも使えます」
「十九時の会食まで一時間」
「移動と着替えを含めています」
そこまで答えたところで。
遼河さんが端末を返した。
「問題ない」
「……それだけですか?」
「何がだ」
「昨日、全部組み直せと仰ったので」
「組み直せている」
「はい」
「なら問題ない」
褒めるでもなく。
文句を言うでもなく。
ただ、それだけ。
なのに。
なぜか少し嬉しい。
昨日から、何なの。
この感覚。
「それから」
嫌な予感。
「はい」
「コーヒー」
やっぱり。
「午前は十時前でしたよね」
「ああ」
「覚えています」
「ならいい」
「自分で淹れるという選択肢は?」
「ある」
「あるんですか」
「ああ」
「では――」
「だが、お前がいる」
そう来る?
「……専属秘書って、本当に何でもありなんですね」
「昨日理解しただろう」
「理解したくなかっただけです」
「聞こえているぞ」
「今日は聞こえるように言いました」
遼河さんの口元が、わずかに緩んだ。
「慣れてきたな」
「何にですか」
「俺に」
一瞬。
言葉が止まる。
さらっと言わないで。
「……仕事にです」
言い返す。
「そうか」
遼河さんは、それ以上何も言わず執務室へ入っていった。
