『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』

正面に、一人の男性が立っていた。

端正なスーツ姿。

柔らかな表情。

けれど、立ち姿には一分の隙もない。

私が降りると、男性は穏やかに頭を下げた。

「お待ちしておりました。鷹宮綾乃さんですね」

「はい」

「秘書課長の城之内譲と申します。本日はよろしくお願いいたします」

差し出された名刺を両手で受け取る。

「初めまして。鷹宮綾乃です。本日は、よろしくお願いいたします」

久しぶりに、日本企業の場で改まった日本語を使う。

最後で少し噛みそうになった。

危ない。

初対面で名前と挨拶を噛むところだった。

表情には出さない。

城之内さんも何も気づいていない。

……たぶん。

「それでは、ご案内いたします。弊社の主要メンバーがお待ちしております」

「よろしくお願いいたします」

城之内さんのあとに続く。

フロアは明るく、開放的だった。

ガラスで仕切られた会議室。

社員同士が自由に意見を交わせる共有スペース。

壁面の大型モニター。

社員たちはそれぞれ端末を手にしながら、忙しそうに行き交っている。

活気がある。

けれど、騒がしくない。

一人ひとりが、自分の仕事を理解して動いている。

そんな印象を受けた。

「こちらです」

会議室へ案内される。

中には、すでに数名の男女が座っていた。

そして。

その中の一人が立ち上がった。

“Welcome to KS Science, Ayano.”
(KSサイエンスへようこそ、綾乃)

「ジュリアン?」

思わず声が出た。

トーマスの甥で。

今回、この仕事を私へ紹介したジュリアン・マクレガー。

KSサイエンスの共同経営者で、副社長兼最高法務責任者。

彼がここにいること自体は、もちろん知っていた。

けれど。

今日、わざわざこの会議室で待っているとは聞いていない。

“You look surprised.”
(驚いた顔をしているね)

“Of course I’m surprised. I didn’t expect you to be waiting for me here.”
(驚くに決まっているでしょう。ここで待っているなんて聞いてないもの)

“I wanted to see your face when you walked in.”
(入ってきた時の顔が見たかったんだ)

「相変わらず、いい性格してる」

思わず日本語で呟く。

“What was that?”
(今、何て?)

“Nothing.”
(何も)

ジュリアンが声を上げて笑った。

「やはり、君を日本へ呼んで正解だった」

今度は流暢な日本語。

その切り替えに、城之内さんがわずかに目を見張る。

ジュリアンは気にする様子もなく、室内の面々へ視線を向けた。

「では、紹介しよう。ここにいるのは、創業当初から現在まで、それぞれの立場でKSサイエンスを支えてきた主要メンバーだ」

最初に立ち上がったのは、落ち着いた雰囲気の男性だった。

「企業担当部長の笹倉富雄。企業間交渉と大口契約を担当している」

「笹倉です。ジュリアンからお話は伺っています。よろしくお願いします」

「鷹宮綾乃です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

次に、親しみやすい笑顔を浮かべた男性。

「広報課長の一ノ瀬守。広報とメディア対応を担当している」

「一ノ瀬です。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。うち、見た目ほど怖い会社じゃありませんから」

「一ノ瀬」

すかさず城之内さんの声が飛ぶ。

「初対面の方へ余計なことを言わないでください」

「ほら。こういう堅い人はいますけど」

「……聞こえていますよ」

思わず笑ってしまった。

次は、品のある女性。

「総務課長の白鳥貴恵。総務、人事、福利厚生など社内全般を見ている」

「白鳥です。帰国されたばかりだと伺っています。困ったことがあれば何でも聞いてくださいね」

「ありがとうございます。とても心強いです」

最後は、タブレットを手にした若い男性だった。

「情報管理システム部長の真崎隆哉。システムと情報セキュリティを統括している」

「真崎です。よろしくお願いします」

短い。

そしてすぐに、タブレットへ視線を戻す。

ジュリアンが苦笑する。

「真崎は少々言葉が足りない」

「必要なことは話しています」

画面を見たまま真崎さんが返し、一ノ瀬さんが吹き出した。

短いやり取りだけでも。

この人たちが、それぞれ違う立場から長く会社を支えてきたことが分かる。

先輩。

同期。

後輩。

年齢も性格も違う。

けれど、互いの能力を信頼している。

いい会社なのかもしれない。

素直に、そう思った。