朝食は、懐かしい味だった。
焼き魚。
ふんわりとした卵焼き。
具だくさんの味噌汁。
炊きたてのご飯。
向かいに座る佐知子さんと昔の話をしていると、五年前までの記憶が次々と蘇ってくる。
早紀子さんや蘭に見つからないよう、二人でこっそり残ったおかずを食べたこと。
形の崩れた卵焼きを「味見」と言って分けてもらったこと。
辛い記憶ばかりだったはずのあの家にも。
佐知子さんと過ごした時間だけは、確かに温かかった。
そんな話をしているうちに、佐知子さんが何気なく尋ねた。
「ところで、綾乃お嬢様。本日のご予定は?」
「今日はKSサイエンスで顔合わせ。十一時から――」
言いながら、時計を見る。
九時を少し回っていた。
「……九時?」
「九時十二分でございます」
手にしていたコーヒーカップが止まる。
「佐知子さん」
「はい」
「どうして、もう少し早く言ってくれなかったの?」
「綾乃お嬢様が、あまりにも楽しそうにお話しされておりましたので」
悪びれもしない。
「……私も忘れてたけど」
そこは認めるしかない。
「まだ十分に間に合いますよ」
「初日から慌てて到着するのは嫌なの」
コーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「支度してくる」
寝室へ戻り、リビングに積まれた段ボールを見たところで。
私は固まった。
スーツ。
ブラウス。
靴。
バッグ。
どの箱に入っているのか、まったく分からない。
出発前の荷造りは、マクレーン家のスタッフにも随分手伝ってもらった。
つまり。
自分で詰めていない箱がかなりある。
「……まずい」
適当に一箱開ける。
本。
書類。
違う。
もう一箱。
小物。
これも違う。
「佐知子さん!」
声を上げると、すぐにリビングから返事がした。
「はい?」
「私の仕事用の服、どこに入ってるか分からない」
佐知子さんが寝室へ入ってくる。
なぜか、少し楽しそうだった。
「そうなるだろうと思っておりました」
「え?」
「お仕事に必要なお洋服でしたら、すべてクローゼットにございますよ」
「……クローゼット?」
昨日。
広いな、とは思った。
けれど、中までまともに確認していない。
扉を開ける。
そして――
「……何これ」
思わず声が漏れた。
スーツ。
ブラウス。
ワンピース。
コート。
どれも色や用途ごとに美しく並べられている。
引き出しには、ストッキングやハンカチ。
アクセサリーまで揃っていた。
しかも。
全部、私の好み。
「お母様ね……」
「はい。真悠子様から、細かなご指示をいただいております」
「細かすぎない?」
「綾乃お嬢様は、帰国初日に荷ほどきをしないだろう、と」
完全に読まれていた。
「……お母様には敵わない」
「母親でございますから」
佐知子さんはそう言って、濃紺のパンツスーツとアイボリーのブラウスを取り出した。
「本日の顔合わせでしたら、こちらはいかがでしょう?」
「うん。これにする」
「お靴も、バッグもご用意しております」
「……完璧」
思わず呟く。
「五年ぶりに綾乃お嬢様のお支度のお手伝いができますので、私も少々張り切ってしまいました」
「帰国した本人より、周りの方が私の生活を把握してない?」
「それだけ皆様が、お嬢様のことを大切に思っていらっしゃるのでございますよ」
その言葉に。
一瞬だけ、胸が詰まった。
昔は。
自分が誰かに大切にされているなんて、考えたこともなかった。
でも今は違う。
「……そうね」
小さく笑い、ブラウスへ袖を通した。
長い髪を整え、仕事用の控えめなメイクをする。
最後に、小ぶりなパールのピアスをつけた。
鏡の中にいるのは――
五年前。
何も分からないまま、日本を追われるように出ていった私ではない。
今日から、新しい場所で働く鷹宮綾乃だ。
