『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』

翌朝。

どこからか漂ってくる、懐かしい出汁の香りで目が覚めた。

「……朝?」

ぼんやりと天井を見つめる。

昨日はシャワーを浴びて、少しだけ休むつもりでベッドへ入った。

そこまでは覚えている。

けれど――

「私、ご飯も食べないで朝まで寝たの?」

荷ほどきどころか、何ひとつ片づけていない。

「……やらかした」

身体を起こしたところで、今度は味噌汁の香りに混じって、魚の焼ける匂いがした。

さすがにおかしい。

昨日、冷蔵庫の中に佐知子さんの料理が入っているのは見た。

でも。

勝手に温まるわけではない。

「まさか……」

ベッドを抜け出し、そのまま寝室を出る。

リビングを抜け、キッチンを覗いた瞬間。

私は足を止めた。

そこにいたのは、五年前とほとんど変わらない後ろ姿だった。

「……佐知子さん?」

女性が振り返る。

そして、私を見た途端、懐かしい笑顔を浮かべた。

「あら。綾乃お嬢様、おはようございます」

あまりにも昔と変わらない調子で言うものだから。

一瞬だけ、五年間という時間が消えてしまったような気がした。

「どうして……ここに?」

「朝食をお作りしております」

「それは見れば分かる」

思わず返すと、佐知子さんが目を丸くした。

それから、小さく笑う。

「まあ。少しお口が達者になられましたね」

「五年も経ったもの」

昨日、志水さんにも似たようなことを言った気がする。

佐知子さんは笑いながら火を弱め、エプロンで手を拭いた。

「旦那様から管理用のセキュリティカードをお預かりしております。これからはこちらへ伺う際に使わせていただくことになっておりますので」

「ああ……だから入れたのね」

納得しかけたところで、佐知子さんが改めて私の前へ立つ。

その表情が、少しずつ変わった。

笑っているのに。

目だけが潤んでいく。

「あら……私としたことが」

「佐知子さん?」

「一番大切なご挨拶を忘れておりました」

そう言って。

佐知子さんは、ゆっくりと頭を下げた。

「お帰りなさいませ、綾乃お嬢様」

胸の奥へ、温かなものが一気に込み上げた。

昨日。

志水さんにも、お父様にも同じ言葉をかけてもらった。

それでも。

この人に言われる「お帰りなさい」は、どこか違った。

長い間。

鷹宮の家で、誰にも言えないものを抱えていた私を。

ずっと近くで見ていてくれた人だから。

「……ただいま、佐知子さん」

気づけば、私は彼女を抱き締めていた。

「会いたかった」

「私もでございます」

背中へ回された腕に、力がこもる。

「ずっと、ずっとお待ちしておりました」

声も。

手の温もりも。

何ひとつ変わっていない。

五年ぶりに帰ってきた日本で。

ようやく本当の意味で、「ただいま」と言えた気がした。