思わず、お父様を見る。
その言葉の奥に。
私の知らない五年間と。
それよりもずっと長い後悔が込められているような気がした。
お父様と志水さんは、それ以上長居することなく帰っていった。
扉が閉まると、広い部屋に静寂が戻る。
窓から差し込む暖かな陽射し。
そしてリビングの一角には、カリフォルニアから送った段ボールやスーツケースが、すでに綺麗にまとめられていた。
「……そういえば」
私は、この荷物が日本のどこへ届けられるのかさえ知らなかった。
出発前。
お母様に尋ねても、
『トーマスに任せておけば大丈夫よ。住むところも、日本へ着けば分かるわ』
そう言われただけだった。
よく、それだけの説明で帰ってきたものだ。
「私も随分、大らかになったわね」
五年前の私なら、行き先も分からないまま飛行機に乗るなんて、不安で仕方なかっただろう。
一人で小さく笑いながら、キッチンへ向かう。
「とりあえず、冷蔵庫を見て……シャワー浴びて、少し寝てから片づけようかな」
大きな冷蔵庫を開く。
「……え?」
思わず目を見開いた。
中には、私の好きな料理がいくつも作られ、一食分ずつ丁寧に小分けされている。
温めればすぐに食べられるもの。
野菜。
果物。
デザート。
飲み物。
そして、どの容器にも中身と日付が書かれていた。
見覚えのある字。
「……佐知子さん?」
一つ手に取り、指先で文字をなぞる。
懐かしい。
五年経っても、全然変わっていない。
それだけで胸の奥が温かくなった。
用意されているのは、食事だけではなかった。
洗面室には、愛用しているドライヤーやヘアアイロン。
美容器具。
基礎化粧品やメイク用品。
そのストックまで揃っている。
「……これは、お母様ね」
ここまで完璧に私の好みを把握している人は、そう何人もいない。
そして寝室へ入った瞬間。
今度は、思わず笑ってしまった。
家具の配置。
ベッドリネンの色。
カーテンの柔らかな風合い。
まるで、カリフォルニアで使っていた自分の部屋が、そのまま日本へ移ってきたみたいだった。
違うのは、窓の外に広がる景色だけ。
「本当に、何から何まで……」
呆れたように呟きながらも、不思議なほど心は落ち着いていた。
知らない家へ来たはずなのに。
初めて足を踏み入れた場所とは思えない。
お父様も。
お母様も。
トーマスも。
そして、きっと佐知子さんも。
私が不安なく新しい生活を始められるように、知らないところで色々と準備してくれていたのだろう。
そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
シャワーを浴び、柔らかなベッドへ身体を横たえる。
「ちょっとだけ……」
片づける前に、少しだけ休もう。
そう思ったところまでは覚えている。
長時間の移動で、思っていた以上に疲れていたらしい。
まぶたが、ゆっくりと重くなる。
明日は、ジュリアンが紹介してくれたKSサイエンスで顔合わせ。
新しい仕事。
新しい生活。
五年ぶりの日本。
これから先のことを考えれば、不安がないわけではない。
それでも。
もう、五年前の私ではない。
今度は自分で選び、自分の足で歩いていく。
そう思っていた。
――この時までは。
日本へ置いてきたはずの過去が、すぐ目の前まで近づいていることにも気づかずに。
私は、懐かしい香りと包み込まれるような安心感の中で、そのまま深い眠りへ落ちていった。
