『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』

翌朝。

目を覚ました瞬間。

昨夜、洗面台の前で見た二本の線が、真っ先に頭へ浮かんだ。

まだ眠気の残る身体を起こし、何となく布団の上からお腹へ手を置く。

当然、昨日までと何も変わらない。

触れたところで、何かが分かるはずもない。

それなのに。

そこに手を置いたまま、しばらく動けなかった。

――ここに、いるかもしれない。

そう思うだけで。

今まで何気なく触れていた自分の身体が、急に大切な何かを抱えているように思えてくる。

「……まず、病院だよね」

声に出すと。

少しだけ頭が整理された。

遼河さんには、まだ何も言っていない。

昨夜は何度もスマートフォンを手に取った。

電話を掛けようとしてやめ。

メッセージを打っては消した。

伝えたくないわけではない。

むしろ。

本当なら、一番に伝えたい。

ただ。

今は検査薬で陽性が出ただけだ。

本当に妊娠しているのか。

順調なのか。

まずは自分の目と耳で、ちゃんと確かめたかった。

幸い。

今日は、もともと仕事が休みだった。

出勤日なら、きっとこうはいかなかっただろう。

突然休むなどと言えば。

遼河さんが「分かった」で済ませるとは、到底思えない。

何があった。

どこが悪い。

病院へ行くのか。

迎えに行く。

おそらく。

そこまで一気に来る。

「……今日が休みで良かった」

苦笑しながら身支度を整え、リビングへ向かった。

扉を開けると。

すぐに違和感に気づいた。

いつもならキッチンから食器の音がしている時間なのに。

今日は妙に静かだった。

「おはようございます、綾乃お嬢様」

「おはよう……」

声のした方へ顔を向けて。

足が止まった。

佐知子さんが、ダイニングテーブルの前に座っていた。

しかも。

妙に姿勢がいい。

そして何より。

顔が神妙だった。

「……何?」

「綾乃お嬢様。こちらへ」

「何、その顔。朝から怖いんだけど」

「いいから、お座りください」

嫌な予感しかしない。

言われるまま向かいへ腰を下ろすと。

佐知子さんはすぐには何も言わず、じっと私の顔を見た。

この顔には覚えがある。

子どもの頃から、何度も見てきた。

何かを隠して。

自分では上手く誤魔化せているつもりなのに。

結局すべて見抜かれてしまった時の顔だ。

「綾乃お嬢様」

「……はい」

「私が気づいていないとでも思いましたか?」

心臓が跳ねた。

それでも反射的に。

「何に?」

と、聞き返してしまった。

佐知子さんの片眉が。

ほんの少し上がる。

――駄目だ。

これは誤魔化せない。

そう悟った直後。

佐知子さんが傍らに置いていたものを手に取った。

「……あ」

妊娠検査薬の箱だった。

昨夜。

洗面所のゴミ箱の奥へ押し込んだはずのもの。

「今朝、洗面所のゴミをまとめた時に見つけました」

「……結構、奥に入れたんだけど」

「詰めが甘いですね」

「最近、そればっかり言われる……」

ぼやくと。

佐知子さんの口元が、ほんの少し緩んだ。

「ですが、この箱を見て初めて気づいたわけではありませんよ」

「え?」

「最近のお嬢様を見ていれば、何となく分かります。コーヒーの香りを避けるようになって、食事の好みも少し変わったでしょう。眠そうになさっていることも増えましたし」

「そんなに分かるもの?」

「長くお世話していれば、それくらいは分かります。それに――」

佐知子さんの表情が、ふっと柔らかくなる。

「私も女性ですし、母ですから。うふふ」

「……何、その笑い」

「何でもありませんよ」

「絶対、何か分かってる顔してる」

「さて、何のことでしょう」

何食わぬ顔で箱をテーブルへ置く佐知子さんに。

私は小さく息を吐いた。

昔から。

この人には敵わない。

少しして。

佐知子さんの表情が、また真面目なものへ戻った。

「聞くべきかどうかは迷いました。お嬢様には、お嬢様のお考えがありますから」

そして。

声を少し落とす。

「まだ、どなたにもお話ししておりません」

私は思わず顔を上げた。

「……遼河さんにも?」

「もちろんです」

迷いのない返事だった。

「これは綾乃お嬢様ご自身がお話しになることです。私が勝手に藤和様へお知らせすることではありません」

「……ありがとう」

自分でも分かるほど。

肩から力が抜けた。

昨日から。

一人で抱えていた。

嬉しいのか。

怖いのか。

これからどうしたいのか。

自分でもまだ答えが出ていないまま。

二本の線だけを見つめていた。

誰かに知られるのが怖かったはずなのに。

佐知子さんに知られた今は。

不思議と少し安心している。

「まだ藤和様には、お話しにならないんですか?」

「話したくないわけじゃないの。昨日分かったばっかりでしょう? まだ検査薬だけだし……」

膝の上で組んだ指へ目を落とす。

「だから、まず病院へ行きたい。本当に妊娠してるのか、ちゃんと診てもらって。それから話す」