『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』

ただ。

ふとした時。

胸のどこかへ。

あの言葉が戻ってくる。

――俺は責任を取る。

遼河さんが。

将来を考えてくれていることは嬉しい。

結婚が嫌なわけでもない。

この人と生きていく未来を。

考えたことがないわけでもない。

むしろ。

考えれば。

幸せだと思う。

それでも。

私が欲しいのは。

“責任”の先にある未来ではなかった。

好きだから。

一緒にいたいから。

この人と生きたいから。

そうやって。

二人で選ぶ未来が欲しかった。

その小さな違いを。

私は。

まだ言葉にはしなかった。



一か月ほど経った頃。

最初の違和感は。

本当に些細なものだった。

朝。

いつものように淹れたコーヒー。

香りが広がった瞬間。

なぜか。

鼻についた。

「……今日、豆変えた?」

思わず聞くと。

佐知子さんが不思議そうに振り返った。

「いいえ。いつもと同じですよ」

「そう?」

カップへ顔を近づける。

普段なら好きな香り。

それなのに今日は。

やけに濃く感じる。

「濃く淹れた?」

「いつもと同じですけどねぇ」

「じゃあ、気のせいかな」

その日は。

それだけだった。

数日後。

会食で出された魚料理を一口食べた瞬間。

箸が止まった。

嫌いではない。

むしろ。

好きな料理だった。

焼きたての魚。

添えられた香草。

普段なら食欲をそそる香り。

なのに。

その日は。

匂いが鼻へ届いた瞬間。

胃の奥がむっとした。

「……」

水を一口飲む。

しばらくすると。

治まった。

疲れてるのかな。

そう思った。

仕事も忙しかった。

お父様のこともある。

帰国してから。

環境は大きく変わった。

何より。

遼河さんとの関係が変わった。

生活のリズムも。

少し変わっている。

身体が追いついていないだけ。

そう思った。

さらに一週間ほどすると。

朝。

起きるのが妙に辛くなった。

目覚ましを止めても。

身体が重い。

昼を過ぎる頃には。

どうしようもなく眠くなる。

夕方になると。

お腹は空く。

なのに。

いざ食べようとすると。

思ったほど入らない。

「綾乃」

車の中で。

遼河さんが横目で私を見た。

「最近、疲れてないか」

「大丈夫」

「顔色悪いぞ」

「寝不足です」

「何時に寝た」

「……一時」

「遅い」

「仕事してたんです」

「持ち帰るな」

「誰の仕事ですか」

「俺の」

「でしょう?」

そう返すと。

遼河さんは何も言わなくなった。

しばらくして。

「減らす」

「何を」

「仕事」

「それは困ります」

「お前が倒れる方が困る」

そんな会話で。

私は誤魔化した。

自分でも。

まだ。

何も疑っていなかった。

――いや。

もしかすると。

心のどこかで。

ほんのわずかに。

気づき始めていたのかもしれない。

でも。

考えないようにしていた。

考えた瞬間。

何かが大きく変わってしまう気がしたから。

そして。

さらに数日後。

仕事中。

翌月の予定を確認するため、スケジュール帳を開いていた時だった。

会議。

出張。

来客。

予定を指で追って。

ふと。

止まった。

「……あれ?」

何か。

忘れている。

会議?

違う。

提出期限?

それも違う。

仕事ではない。

もっと。

個人的な。

身体に関わること。

私は机の下でスマートフォンを取った。

カレンダーを開く。

今月。

前月。

その前。

指先で日付を辿る。

そして。

あるところで。

指が止まった。

「……え?」

予定日。

とっくに。

過ぎている。

一日。

二日。

そんなものではない。

私はもう一度。

日付を数え直した。

間違っている気がした。

いや。

間違っていてほしかったのかもしれない。

「……嘘」

背中が。

すっと冷たくなる。

頭の中で。

これまで感じていた違和感が。

一つずつ。

繋がり始めた。

コーヒーの匂い。

魚。

眠気。

食欲。

身体の重さ。

そして。

遅れている。

あの日から。

もう。

十分に。

あり得る時期だった。

「……まさか」

口にした瞬間。

心臓が大きく鳴った。