『十五年越しの願いは、歪んだ家族に砕かれて――身ごもり秘書は幼馴染CEOの重すぎる執着愛から逃げられない』

「……」

胸の奥へ。

小さな何かが落ちた。

布団から少しだけ顔を出す。

「……責任?」

「ああ」

遼河さんの表情は真剣だった。

「中途半端なことをするつもりはない」

その言葉が。

嫌だったわけではない。

むしろ。

遼河さんらしいと思った。

昨日。

あれだけ気持ちを伝えてくれた。

何年も探してくれていた。

愛されていないなどとは。

もう思っていない。

それでも。

“責任”という二文字だけが。

幸せで満たされていた胸の中へ。

ほんの小さな棘のように残った。

「……そんなに急がなくてもいいんじゃない?」

「急いでない」

「十分早いです」

「俺は十三年待った」

「私も十三年です」

「なら問題ない」

「あります」

「どこに」

「そういうところ」

遼河さんが笑う。

私は少し膨れながら。

その横顔を見ていた。

この人は。

たぶん。

ずっとこうなのだ。

私が一歩進むと。

もう三歩も四歩も先を見ている。

恋人になったら。

次は結婚。

その先の生活。

将来。

守るもの。

全部を考える。

それが。

遼河さんの愛し方なのだと思う。

分かっている。

嬉しくないわけではない。

だけど。

私は。

やっと。

一歩目を踏み出したばかりだった。

ずっと閉じていた扉を。

ようやく開けたところ。

だから。

もう少しだけ。

今を歩きたかった。

恋人として。

好きな人と。

普通に笑って。

普通に出掛けて。

一緒にいる時間を重ねて。

その先で。

自分の意思で未来を選びたかった。

その時はまだ。

この小さなずれが。

後になって私を悩ませることになるなんて。

考えてもいなかった。



それからの日々は。

不思議なくらい。

同じ景色なのに。

違って見えた。

会社へ行けば。

遼河さんは今まで通り。

藤和CEOだった。

会議室へ入れば、空気が変わる。

役員たちが背筋を伸ばし。

遼河さんの一言で。

大きな金額と。

大勢の人間が動いていく。

私は。

その隣に立つ専属秘書。

「藤和CEO、十四時の会議資料です」

「ああ」

仕事中は。

それだけ。

なのに。

資料を手渡す一瞬。

指先がわずかに触れただけで。

あの夜のことを思い出す。

慌てて手を離せば。

遼河さんの目が。

一瞬だけ笑っている。

――絶対わざと。

そう思って睨んでも。

本人は何もなかったように資料へ目を落とす。

会議中なのに。

こっちだけが落ち着かない。

ある日。

一ノ瀬さんが、ふと首を傾げた。

「最近さ」

「はい?」

「藤和CEO、機嫌よくない?」

持っていたタブレットを落としかけた。

「……そうですか?」

「うん」

一ノ瀬さんは真剣な顔で考える。

「怖さ二割減」

「それでも八割怖いんですね」

「そこは変わらない」

思わず笑って。

何とか誤魔化した。

でも。

仕事を離れれば。

もっと大変だった。

『夕飯は』

突然届くメッセージ。

『食べました』

数秒後。

『何を』

『尋問ですか?』

『確認だ』

『ちゃんと食べました』

『何を』

しつこい。

『……パスタ』

『野菜は』

思わず画面を睨む。

『お母さんですか』

少しして。

『違う』

それだけ返ってきた。

「分かってますよ……」

一人で呟いてから。

笑っている自分に気づく。

会食が終われば。

迎えに来る。

遅くなれば。

当たり前のように送る。

休みの日には。

知らないうちに私の予定へ入り込んでいる。

ある休日。

マンションを出たところで。

壁にもたれて待っている遼河さんを見つけた。

「……今日、来るって言いました?」

「言ってない」

「じゃあ何でいるの」

「会いたかったから」

あまりにも。

普通に言われた。

それが当然だと言わんばかりの顔で。

返事ができなくなった。

十三年前。

一度でも。

そんな言葉を聞けていたら。

私はどうしていただろう。

きっと。

嬉しくて眠れなかった。

たった一言を。

何日も大事に抱えていたと思う。

でも。

もう。

過去の自分ばかり見ていたくなかった。

今。

目の前にいる遼河さんを。

ちゃんと見ていたかった。

少しずつ。

恋人という関係にも慣れていった。

手を繋ぐこと。

隣を歩くこと。

何でもない夜に。

二人で食事をすること。

車の中で。

仕事とは関係のない。

くだらない話をすること。

「それ、笑うところ?」

「面白いから笑った」

「私、真面目に話してるんですけど」

「だから面白い」

「失礼」

そんなやり取りすら。

愛おしかった。

誰にでもありそうな。

何でもない時間。

それが。

私には全部。

新しかった。

そして。

嬉しかった。