夜も深くなったキャンプスペースでは
真帆と達也の飲み比べが続いていた
真帆のペースについていけたら
美月の学生時代の話を教える
そんな約束で始まった勝負だった
テーブルの上には
空になった缶がいくつも並んでいる
「ま、まだ……」
達也が飲みかけの缶を持ち上げる
「まだ……いけるぜ……」
その身体は
さっきから左右へふらふらと揺れていた
向かいに座る真帆は
頬杖をつきながら達也を見る
「達也さん」
「もうやめた方がいいんじゃない?」
「なに言ってんだよ……」
達也はぐらぐらと揺れながら真帆を指差した
「俺は……」
「酔いつぶれたことなんか……」
「一度も……」
ゴン
達也の額がテーブルへ落ちた
真帆が瞬きをする
「達也さん?」
返事はない
「達也さ~ん?」
「大丈夫?」
真帆が指で達也の頭をつつく
「美月さん……」
「私は真帆ですよ~」
真帆は立ち上がると
テーブルから少し離れた場所に置かれていた水を取ってきた
達也の肩を揺する
「ほら、達也さん」
「お水飲んで」
「う……」
達也がゆっくり顔を上げる
真帆はペットボトルを達也の口元へ持っていった
「ちゃんとお水を飲んでから寝なさい」
「美月さん……」
「はいはい、美月ですよ~」
「いい子だから、飲みましょうね~」
達也は半分眠ったまま
水を何口か飲んだ
そのまま身体がぐらりと傾く
「ちょっと!」
真帆が慌てて肩を支えた
「危なっ」
「もう完全に駄目じゃん」
真帆は呆れたようにため息をつく
達也が座っていた
丸太を半分に割って作られた長椅子へ
その身体を横たえた
「重いって……」
なんとか寝かせると
真帆は自分の肩に掛けていた
薄手のブランケットを外した
それを達也の身体へ掛ける
達也は目を閉じたまま
小さく口を動かした
「美月さん……」
「ほんと、美月のこと好きね」
真帆は少し笑った
それから自分の席へ戻る
コテージの方で
小さく物音がした
真帆は気にする様子もなく
新しい缶を一本開けた
ぷしゅっという音が
静かな夜に響く
「でもまあ」
真帆は一口飲んで
横になった達也を見る
「敢闘賞ってところかな~」
返事はない
真帆は缶を揺らした
「約束だしね」
「教えてあげるよ」
「昔の美月の話」
焚き火の炎が
静かに揺れる
真帆はその炎を見つめながら
昔の話を始めた
* * *
高校へ入学したばかりの春
真新しい制服
まだ誰も
自分の居場所を決めきれていない教室
中学から同じ学校へ来た者同士で固まる子
近くの席へ積極的に声を掛ける子
一人で教科書を眺めている子
新しいクラスは
まだどこか落ち着かなかった
その中で
佐伯真帆は
見事に浮いていた
理由は分かっている
真帆は自分の髪を指先でつまむ
明るい茶色
生まれた時からこの色だ
しかも、目つきが鋭い
それに
真帆の耳たぶには
生まれつき小さなくぼみがあった
それがどうやら
ピアスを外した跡に見えるらしい
ピアスなんか……
一度も開けたことないのに……
そんな真帆は
周囲から不良に見られることが多かった
今に始まったことではない
中学の頃からずっとそうだった
廊下ですれ違っただけで
睨まれたと言われた
普通に誘いを断っただけなのに
怖かったと言われた
髪を染めている
悪い人たちと遊んでいる
そんな噂まで流された
真帆は小さく息を吐く
あー、もう……
くだらない
ほんとうにくだらない奴ら
ここでも……
きっと同じ……
その時だった
「佐伯さん」
横から声を掛けられた
真帆が顔を向ける
隣の席に座っている女子生徒だった
相沢美月
黒い髪はきれいに整えられ
制服も着崩していない
表情は明るく
入学してまだ間もないというのに
すでに周囲の子たちと自然に話していた
いかにも優等生
そんな感じの女の子だった
美月がにこりと笑う
「今日さ」
「この辺の席の子たちで」
「カラオケに行こうって話してるんだけど」
「佐伯さんも行かない?」
「私?」
「うん」
……この子、私のこと全然怖がってない
真帆の実家は
都下の外れにある農家だった
学校までは
電車とバスを乗り継いで2時間以上掛かる
乗り継ぎが悪ければ3時間近くかかることもあった
好きでこんな遠くまで通っているわけではない
地元では
見た目のせいで面倒なことも多かった
だから真帆は
少しでも離れた高校を選んだ
そして合格できたのが
この高校だった
だから放課後に遊ぶ時間なんて
真帆には無かった
美月の後ろでは
何人かの女子がこちらを気にしていた
その子たちの視線には
見慣れた警戒が混じっていた
真帆は鞄へ教科書を入れる
「悪いけど無理かな~」
「家、遠いから」
「あ、そうなんだ」
「うん」
真帆は立ち上がった
「じゃあね」
「うん、また明日」
美月は手を振った
真帆はそのまま教室を出た
廊下を歩いていると
背後から小さな声が聞こえてきた
「やっぱり怖くない?」
「なんで相沢さんを睨むんだろう」
真帆の足が止まりかける
私は……
睨んでなんかいないのに……
でも、振り返ることはしなかった
まただ
勝手に怖がってなさいよ
それから真帆は
隣の席に座る美月を
自然と気にするようになった
美月はクラス委員を引き受け
先生に頼まれた仕事も
嫌な顔一つせずにこなしていた
女子たちとは
服や化粧
気になる男の子
可愛い店や甘い物の話で
盛り上がっていた
「駅前のお店、行ってみたい!」
「私も!」
美月がにこりと笑う
男子からもよく声を掛けられていた
「相沢、これ教えてくれない?」
「いいよ」
そこでも
美月は同じように笑っていた
誰に対しても同じ
そして……真帆にも
「佐伯さん」
「購買行かない?」
真帆は一瞬
返事に詰まった
声を掛けてくれたことは
嬉しかった
けれど
その後ろでは
美月とよく話している女子たちが
冷たい目でこちらを見ていた
真帆はすぐに目を逸らす
「行かない」
「買う物ないから」
「佐伯さん」
「これから図書室行くんだけど」
「一緒に行く?」
「行かない」
「本、読まないから」
断っても、断っても
次の日には
また同じ顔で笑いかけてくる
また
あの笑顔
本当に……楽しいと思ってるの?
女子と話している時も
男子と話している時も
私と話している時も
全部同じじゃん
その笑顔のどこまでが
本当なのよ
それから数日後の昼休み
真帆が一人で弁当を取り出していると
また横から声がした
「佐伯さん」
顔を上げる
また美月だった
「今からみんなでお昼食べるんだけど」
「佐伯さんも一緒に食べない?」
また
あの笑顔
誰にでも配ってる
量産品みたいな笑顔
その笑顔を自分にまで向けてくることに
真帆は少し苛立っていた
「悪いけど」
「パスかな~」
「一人の方が気楽だし」
「そっか」
「残念だな」
それでも美月は笑っている
真帆はその顔を見た
本当は……
なにも感じていないんでしょ?
そして
つい口にしてしまった
「それにさ」
「ん?」
「あんたの笑顔って」
「嘘っぽくて気持ち悪いのよね」
美月の笑顔が固まった
真帆は姿勢を正して美月に頭を下げた
「お気遣いありがとうございます」
「でも、こんなことしなくていいから」
「何かの点数稼ぎなら」
「私以外でやりなさいよ」
美月の顔が引きつった
「へー」
「そんな顔もするんだ」
「そっちは嘘っぽくないね」
真帆は弁当の蓋を開ける
美月を無視するように食べ始めた
美月はしばらくその場に立っていたが
やがて小さく息を吐いて
少しだけ声が低くなった
「そう……」
「余計なことして」
「ごめんね」
これが
美月と真帆の出会いだった
その日の夜
美月は自宅のちゃぶ台の前に座り
クッションを強く抱きしめて声を上げた
「信じられない!」
淡いピンクの薄手パーカーに
白いショートパンツ
足元には
ふわふわのルームソックス
かわいらしい部屋着姿だった
「笑顔が気持ち悪いとかひどくない!?」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
美月の母は
キッチンで夕食を作りながら振り返る
大きな丸眼鏡
魔法少女のイラストが描かれたTシャツに
紺色のジャージを着ていた
「でも、その子」
「面白そうじゃない」
「どこがよ!」
美月は頬を膨らませる
「家が遠いって言うから」
「お昼だけでも一緒にって思ったのに」
「あんなこと言われるなんて」
「思ってもいなかったわよ!」
「まあまあ」
「高校入ったばっかりなんだから」
「色んな子がいるわよ」
「それに」
「本当にヤバいと思ったら――」
美月が母の声にかぶせた
「『走って逃げろ~』でしょ」
「もう耳にタコができたわ」
「私、子供じゃないから」
「呪文みたいに繰り返さないでよ」
母がくすりと笑った
「お見それしました」
美月はテーブルのリモコンを取る
テレビをつけ
録画していたアニメを再生した
画面にオープニング映像が流れ始める
「あ!」
母が振り返った
「ちょっと待ってよ!」
「私も見るんだから!」
「オープニングの歌を聴くだけだって」
「駄目!」
母は慌てて火を弱める
「みっちゃん」
「いつもそうやって一人だけ先に見るんだから!」
「だってママ料理してるじゃん」
「あとで巻き戻してよ」
「リアルタイム感が大事なの!」
「録画なんだからリアルタイムじゃないじゃん」
「一人だけずるいー!」
「私が料理してるときに見ないで!」
「最初からそう言ってよ!」
やがて
食卓へ料理が並んだ
母と美月は
テレビに向かって並んで座る
「せーの」
二人で手を合わせる
「いただきま~す」
「いただきま~す」
アニメを見ながら
二人の夕食が始まった
母が味噌汁をすすりながら言う
「でもさ」
「みっちゃんの言ってた子」
「鋭いわよね~?」
「なにが?」
「笑顔が嘘っぽいって」
「言われたんでしょ?」
美月の箸が止まった
「学校では猫かぶりすぎて」
「バレてるんじゃないの?」
「猫かぶってるわけじゃないもん」
「じゃあ学校でもそのテンションで話してる?」
「しないけど」
「アニメとか、同人誌の話は?」
「するわけないでしょ」
「ほら」
美月はむっとする
「私はオタクだけど」
「オタクっぽく生きたくないの」
「ちゃんと女の子してるだけじゃん」
美月は母親を指差した
「ママもその格好やめてよね」
「いかにもって感じで嫌なんだから」
母は自分のジャージを見下ろす
そして胸を張った
「この姿は私の真の姿よ」
「捨て去ることなど、できやしないわ」
「いや」
「そのジャージ脱ぐだけでしょ」
「みっちゃんにはまだ分からないのね」
「いつの日か、このクロスを引き継ぐ日が来るわ」
「その時こそ」
「あなたのコスモは燃え上がるのよ」
「私、そのアニメ」
「観てないからよくわからないんだけど」
「どんな顔すればいいのよ」
母ははっとして美月を見た
そして柔らかく微笑む
「笑えばいいと思うよ」
「うるさいわね!」
「イラっとくるからやめてちょうだい!」
母は肩をすくめた
「あ、そうだ」
「みっちゃん」
「ん?」
「次の即売会」
「買ってきてほしい本があるんだけど」
「私、仕事入っちゃってね」
美月はアニメを見ながら口を動かす
「別にいいよ」
「どうせ私も行くし」
「ほんと!?」
母の顔が輝く
「それじゃあ」
母は即売会の配置図と
欲しい本を書き込んだ購入リストを
美月の前へ広げた
「これと」
「これと」
「あとこれ」
「それからこっちのサークルと」
「この新刊も絶対」
「ちょっと待って!」
まだまだ母の注文は続いた
「これもね」
「どんだけあるのよ!?」
「こんなに重くて持てないわよ!」
母は部屋の隅に置かれていた
大きなリュックをぽんと叩いた
黒くて無骨な
登山用にも見える大容量のリュックだった
「大丈夫」
「これを使いなさい」
「あなたの力になるはずよ」
「いや、大丈夫じゃないから!」
母は眼鏡をくいっと押し上げる
「体力のないオタクなんか駄目よ」
「そんな弱い子に育てた覚えはないわ」
「なんの教育方針よ!」
その時だった
外から
パンッ!
乾いた音が響いた
続いて
ひゅるるるという音
美月が窓を見る
「なに?」
母も窓へ近づく
二人で窓から外を覗いた
下の階に住んでいる中学生たちが
アパートの庭で花火をしていた
数人で騒ぎながら
ロケット花火を次々と打ち上げている
「うわぁ……」
「迷惑ね……」
美月が眉をひそめカーテンを閉めようとした
その時
ガラッ
母が勢いよく窓を開けた
外に向けて身を乗り出す
「こら!」
「ガキども!」
美月の肩が跳ねた
下にいた中学生たちも
一斉にこちらを見上げる
「このアパートは火気厳禁よ!」
「火事になったらどうするの!」
「近所迷惑を考えなさい!」
「す、すみません!」
「すみませんでした!」
少年たちは慌てて頭を下げる
そして
急いで花火を片づけ始めた
「分かればいいのよ!」
母は満足そうに窓を閉めた
何事もなかったように
食卓へ戻っていく
美月は呆然とその背中を見る
母が振り返った
「……どうしたの?」
「いや」
美月は瞬きをした
「ママって」
「たまにすごいよね」
「たまにってなによ」
「褒めてるんだからいいじゃん」
「ならよ~し!」
真帆と達也の飲み比べが続いていた
真帆のペースについていけたら
美月の学生時代の話を教える
そんな約束で始まった勝負だった
テーブルの上には
空になった缶がいくつも並んでいる
「ま、まだ……」
達也が飲みかけの缶を持ち上げる
「まだ……いけるぜ……」
その身体は
さっきから左右へふらふらと揺れていた
向かいに座る真帆は
頬杖をつきながら達也を見る
「達也さん」
「もうやめた方がいいんじゃない?」
「なに言ってんだよ……」
達也はぐらぐらと揺れながら真帆を指差した
「俺は……」
「酔いつぶれたことなんか……」
「一度も……」
ゴン
達也の額がテーブルへ落ちた
真帆が瞬きをする
「達也さん?」
返事はない
「達也さ~ん?」
「大丈夫?」
真帆が指で達也の頭をつつく
「美月さん……」
「私は真帆ですよ~」
真帆は立ち上がると
テーブルから少し離れた場所に置かれていた水を取ってきた
達也の肩を揺する
「ほら、達也さん」
「お水飲んで」
「う……」
達也がゆっくり顔を上げる
真帆はペットボトルを達也の口元へ持っていった
「ちゃんとお水を飲んでから寝なさい」
「美月さん……」
「はいはい、美月ですよ~」
「いい子だから、飲みましょうね~」
達也は半分眠ったまま
水を何口か飲んだ
そのまま身体がぐらりと傾く
「ちょっと!」
真帆が慌てて肩を支えた
「危なっ」
「もう完全に駄目じゃん」
真帆は呆れたようにため息をつく
達也が座っていた
丸太を半分に割って作られた長椅子へ
その身体を横たえた
「重いって……」
なんとか寝かせると
真帆は自分の肩に掛けていた
薄手のブランケットを外した
それを達也の身体へ掛ける
達也は目を閉じたまま
小さく口を動かした
「美月さん……」
「ほんと、美月のこと好きね」
真帆は少し笑った
それから自分の席へ戻る
コテージの方で
小さく物音がした
真帆は気にする様子もなく
新しい缶を一本開けた
ぷしゅっという音が
静かな夜に響く
「でもまあ」
真帆は一口飲んで
横になった達也を見る
「敢闘賞ってところかな~」
返事はない
真帆は缶を揺らした
「約束だしね」
「教えてあげるよ」
「昔の美月の話」
焚き火の炎が
静かに揺れる
真帆はその炎を見つめながら
昔の話を始めた
* * *
高校へ入学したばかりの春
真新しい制服
まだ誰も
自分の居場所を決めきれていない教室
中学から同じ学校へ来た者同士で固まる子
近くの席へ積極的に声を掛ける子
一人で教科書を眺めている子
新しいクラスは
まだどこか落ち着かなかった
その中で
佐伯真帆は
見事に浮いていた
理由は分かっている
真帆は自分の髪を指先でつまむ
明るい茶色
生まれた時からこの色だ
しかも、目つきが鋭い
それに
真帆の耳たぶには
生まれつき小さなくぼみがあった
それがどうやら
ピアスを外した跡に見えるらしい
ピアスなんか……
一度も開けたことないのに……
そんな真帆は
周囲から不良に見られることが多かった
今に始まったことではない
中学の頃からずっとそうだった
廊下ですれ違っただけで
睨まれたと言われた
普通に誘いを断っただけなのに
怖かったと言われた
髪を染めている
悪い人たちと遊んでいる
そんな噂まで流された
真帆は小さく息を吐く
あー、もう……
くだらない
ほんとうにくだらない奴ら
ここでも……
きっと同じ……
その時だった
「佐伯さん」
横から声を掛けられた
真帆が顔を向ける
隣の席に座っている女子生徒だった
相沢美月
黒い髪はきれいに整えられ
制服も着崩していない
表情は明るく
入学してまだ間もないというのに
すでに周囲の子たちと自然に話していた
いかにも優等生
そんな感じの女の子だった
美月がにこりと笑う
「今日さ」
「この辺の席の子たちで」
「カラオケに行こうって話してるんだけど」
「佐伯さんも行かない?」
「私?」
「うん」
……この子、私のこと全然怖がってない
真帆の実家は
都下の外れにある農家だった
学校までは
電車とバスを乗り継いで2時間以上掛かる
乗り継ぎが悪ければ3時間近くかかることもあった
好きでこんな遠くまで通っているわけではない
地元では
見た目のせいで面倒なことも多かった
だから真帆は
少しでも離れた高校を選んだ
そして合格できたのが
この高校だった
だから放課後に遊ぶ時間なんて
真帆には無かった
美月の後ろでは
何人かの女子がこちらを気にしていた
その子たちの視線には
見慣れた警戒が混じっていた
真帆は鞄へ教科書を入れる
「悪いけど無理かな~」
「家、遠いから」
「あ、そうなんだ」
「うん」
真帆は立ち上がった
「じゃあね」
「うん、また明日」
美月は手を振った
真帆はそのまま教室を出た
廊下を歩いていると
背後から小さな声が聞こえてきた
「やっぱり怖くない?」
「なんで相沢さんを睨むんだろう」
真帆の足が止まりかける
私は……
睨んでなんかいないのに……
でも、振り返ることはしなかった
まただ
勝手に怖がってなさいよ
それから真帆は
隣の席に座る美月を
自然と気にするようになった
美月はクラス委員を引き受け
先生に頼まれた仕事も
嫌な顔一つせずにこなしていた
女子たちとは
服や化粧
気になる男の子
可愛い店や甘い物の話で
盛り上がっていた
「駅前のお店、行ってみたい!」
「私も!」
美月がにこりと笑う
男子からもよく声を掛けられていた
「相沢、これ教えてくれない?」
「いいよ」
そこでも
美月は同じように笑っていた
誰に対しても同じ
そして……真帆にも
「佐伯さん」
「購買行かない?」
真帆は一瞬
返事に詰まった
声を掛けてくれたことは
嬉しかった
けれど
その後ろでは
美月とよく話している女子たちが
冷たい目でこちらを見ていた
真帆はすぐに目を逸らす
「行かない」
「買う物ないから」
「佐伯さん」
「これから図書室行くんだけど」
「一緒に行く?」
「行かない」
「本、読まないから」
断っても、断っても
次の日には
また同じ顔で笑いかけてくる
また
あの笑顔
本当に……楽しいと思ってるの?
女子と話している時も
男子と話している時も
私と話している時も
全部同じじゃん
その笑顔のどこまでが
本当なのよ
それから数日後の昼休み
真帆が一人で弁当を取り出していると
また横から声がした
「佐伯さん」
顔を上げる
また美月だった
「今からみんなでお昼食べるんだけど」
「佐伯さんも一緒に食べない?」
また
あの笑顔
誰にでも配ってる
量産品みたいな笑顔
その笑顔を自分にまで向けてくることに
真帆は少し苛立っていた
「悪いけど」
「パスかな~」
「一人の方が気楽だし」
「そっか」
「残念だな」
それでも美月は笑っている
真帆はその顔を見た
本当は……
なにも感じていないんでしょ?
そして
つい口にしてしまった
「それにさ」
「ん?」
「あんたの笑顔って」
「嘘っぽくて気持ち悪いのよね」
美月の笑顔が固まった
真帆は姿勢を正して美月に頭を下げた
「お気遣いありがとうございます」
「でも、こんなことしなくていいから」
「何かの点数稼ぎなら」
「私以外でやりなさいよ」
美月の顔が引きつった
「へー」
「そんな顔もするんだ」
「そっちは嘘っぽくないね」
真帆は弁当の蓋を開ける
美月を無視するように食べ始めた
美月はしばらくその場に立っていたが
やがて小さく息を吐いて
少しだけ声が低くなった
「そう……」
「余計なことして」
「ごめんね」
これが
美月と真帆の出会いだった
その日の夜
美月は自宅のちゃぶ台の前に座り
クッションを強く抱きしめて声を上げた
「信じられない!」
淡いピンクの薄手パーカーに
白いショートパンツ
足元には
ふわふわのルームソックス
かわいらしい部屋着姿だった
「笑顔が気持ち悪いとかひどくない!?」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
美月の母は
キッチンで夕食を作りながら振り返る
大きな丸眼鏡
魔法少女のイラストが描かれたTシャツに
紺色のジャージを着ていた
「でも、その子」
「面白そうじゃない」
「どこがよ!」
美月は頬を膨らませる
「家が遠いって言うから」
「お昼だけでも一緒にって思ったのに」
「あんなこと言われるなんて」
「思ってもいなかったわよ!」
「まあまあ」
「高校入ったばっかりなんだから」
「色んな子がいるわよ」
「それに」
「本当にヤバいと思ったら――」
美月が母の声にかぶせた
「『走って逃げろ~』でしょ」
「もう耳にタコができたわ」
「私、子供じゃないから」
「呪文みたいに繰り返さないでよ」
母がくすりと笑った
「お見それしました」
美月はテーブルのリモコンを取る
テレビをつけ
録画していたアニメを再生した
画面にオープニング映像が流れ始める
「あ!」
母が振り返った
「ちょっと待ってよ!」
「私も見るんだから!」
「オープニングの歌を聴くだけだって」
「駄目!」
母は慌てて火を弱める
「みっちゃん」
「いつもそうやって一人だけ先に見るんだから!」
「だってママ料理してるじゃん」
「あとで巻き戻してよ」
「リアルタイム感が大事なの!」
「録画なんだからリアルタイムじゃないじゃん」
「一人だけずるいー!」
「私が料理してるときに見ないで!」
「最初からそう言ってよ!」
やがて
食卓へ料理が並んだ
母と美月は
テレビに向かって並んで座る
「せーの」
二人で手を合わせる
「いただきま~す」
「いただきま~す」
アニメを見ながら
二人の夕食が始まった
母が味噌汁をすすりながら言う
「でもさ」
「みっちゃんの言ってた子」
「鋭いわよね~?」
「なにが?」
「笑顔が嘘っぽいって」
「言われたんでしょ?」
美月の箸が止まった
「学校では猫かぶりすぎて」
「バレてるんじゃないの?」
「猫かぶってるわけじゃないもん」
「じゃあ学校でもそのテンションで話してる?」
「しないけど」
「アニメとか、同人誌の話は?」
「するわけないでしょ」
「ほら」
美月はむっとする
「私はオタクだけど」
「オタクっぽく生きたくないの」
「ちゃんと女の子してるだけじゃん」
美月は母親を指差した
「ママもその格好やめてよね」
「いかにもって感じで嫌なんだから」
母は自分のジャージを見下ろす
そして胸を張った
「この姿は私の真の姿よ」
「捨て去ることなど、できやしないわ」
「いや」
「そのジャージ脱ぐだけでしょ」
「みっちゃんにはまだ分からないのね」
「いつの日か、このクロスを引き継ぐ日が来るわ」
「その時こそ」
「あなたのコスモは燃え上がるのよ」
「私、そのアニメ」
「観てないからよくわからないんだけど」
「どんな顔すればいいのよ」
母ははっとして美月を見た
そして柔らかく微笑む
「笑えばいいと思うよ」
「うるさいわね!」
「イラっとくるからやめてちょうだい!」
母は肩をすくめた
「あ、そうだ」
「みっちゃん」
「ん?」
「次の即売会」
「買ってきてほしい本があるんだけど」
「私、仕事入っちゃってね」
美月はアニメを見ながら口を動かす
「別にいいよ」
「どうせ私も行くし」
「ほんと!?」
母の顔が輝く
「それじゃあ」
母は即売会の配置図と
欲しい本を書き込んだ購入リストを
美月の前へ広げた
「これと」
「これと」
「あとこれ」
「それからこっちのサークルと」
「この新刊も絶対」
「ちょっと待って!」
まだまだ母の注文は続いた
「これもね」
「どんだけあるのよ!?」
「こんなに重くて持てないわよ!」
母は部屋の隅に置かれていた
大きなリュックをぽんと叩いた
黒くて無骨な
登山用にも見える大容量のリュックだった
「大丈夫」
「これを使いなさい」
「あなたの力になるはずよ」
「いや、大丈夫じゃないから!」
母は眼鏡をくいっと押し上げる
「体力のないオタクなんか駄目よ」
「そんな弱い子に育てた覚えはないわ」
「なんの教育方針よ!」
その時だった
外から
パンッ!
乾いた音が響いた
続いて
ひゅるるるという音
美月が窓を見る
「なに?」
母も窓へ近づく
二人で窓から外を覗いた
下の階に住んでいる中学生たちが
アパートの庭で花火をしていた
数人で騒ぎながら
ロケット花火を次々と打ち上げている
「うわぁ……」
「迷惑ね……」
美月が眉をひそめカーテンを閉めようとした
その時
ガラッ
母が勢いよく窓を開けた
外に向けて身を乗り出す
「こら!」
「ガキども!」
美月の肩が跳ねた
下にいた中学生たちも
一斉にこちらを見上げる
「このアパートは火気厳禁よ!」
「火事になったらどうするの!」
「近所迷惑を考えなさい!」
「す、すみません!」
「すみませんでした!」
少年たちは慌てて頭を下げる
そして
急いで花火を片づけ始めた
「分かればいいのよ!」
母は満足そうに窓を閉めた
何事もなかったように
食卓へ戻っていく
美月は呆然とその背中を見る
母が振り返った
「……どうしたの?」
「いや」
美月は瞬きをした
「ママって」
「たまにすごいよね」
「たまにってなによ」
「褒めてるんだからいいじゃん」
「ならよ~し!」
