運命の番の妹様は、溺愛されて幸せです!〜今更、私が番だったと言われても困ります〜

――今日も私には名前がない。
「様……、妹様」
 俯いていた顔を上げる。
 侍女のダヴィが困ったような顔をして私を覗き込んでいた。
「どうして、呼びかけにこたえてくださらないのですか?」
 だって、私は妹様なんて名前じゃない。私にはアオリ・ウィルソンという名前があるの。
 そういいかけた言葉を呑み込む。もう何回も何百回も言ったその言葉。
 私が何度言っても、それでも名を呼んでくれないのは――そういうこと、なのだ。

「ええ、ごめんなさい」
 眉を下げて申し訳なさそうに謝る。
 ダヴィは小さく首を振り、微笑んだ。
「しっかりなさってくださいね。もうすぐ、番のスカーレット様と竜王陛下の結婚式なのですから」
 ……結婚式。華やかなその言葉とは裏腹に、私の心は重く沈んでいく。
「ふふ、スカーレット様はどんな花嫁衣装を着られるのでしょうね」
 まるで歌うようにうっとりと両手を握りしめながら、ダヴィは続ける。
「みんなとてもとても楽しみにしているのですよ。城内では、衣装の色の予想大会も白熱しているほどで……」
「……そう」

 私が興味なさげなのが気に食わなかったのか、ダヴィは頬を膨らませた。
「姉君のスカーレット様のことなのに――妹様は冷たいですね」
 冷たいのは、私の名前さえ知っているか怪しいダヴィの方ではないのかしら。
 ……なんて言われても、ダヴィも困るだけでしょうね。
 文句を言う代わりに、また、ごめんなさいと謝る。
 そんな私の瞳を覗き込んで、ダヴィは首をかしげた。
「……そういえば。妹様も、瞳の色以外は、似ておられる部分もありますね」
 けれど、久しぶりに合わせられた瞳はすぐに逸らされる。
「まあ、もうろん、竜王陛下の番であらせられるスカーレット様には及びませんが。スカーレット様といえば、私たちにもお優しくて──」
 ダヴィは熱烈な『竜王陛下の番』のファンだった。
 私の侍女に立候補したのも、『竜王陛下の番』の妹である私と関わることで、番である姉との接点が欲しかったのだと自ら言っていたくらいだ。

「…………」
 姉についてうっとりと語り出したダヴィに気づかれないように、息を吐く。
 
 貧乏男爵家出身の私がこんな王城で過ごせているのも、その番さまのお陰なのだから文句は言えないけれど。


◇◇
 ――私が名前を失くしてしまったのは、私が七歳、姉が九歳の時だった。

 一面の銀世界の中。
 姉と雪遊びをしていた。
 寒いねっていいあいながら、雪だるまをつくって遊んでいた。姉は私の不器用な雪だるまを見て、それでも可愛いといってくれた。
 私はそんな姉のことが大好きで――大切だった。
「迎えにきたよ、私の番」
 笑いあっていた私たちの前に突然、そのひとは現れた。

姉の瞳と似た真っ赤な髪に、黄金色の瞳。
 銀世界の中で、その鮮やかな色彩が際立っている。
 
そして何より、蕩けそうなほど甘い笑みを浮かべた美しい人。
 それは幼い私でも間違いなく理解できる美しさだった。
 きっと神様が創った芸術品とは、こういう人のことをいうのだろうとさえ思う。

 それなのに――なぜだか私はその人が怖くて怖くてたまらなかった。
 頭がガンガンと痛んで、立っていられない。
 それに、何故か焦燥感があった。
 はやく。はやく、逃げなければ。この人は──。



 ……だと、いうのに。
「お兄さん、だぁれ?」
 姉は無邪気に、その人に飛び付いた。


「君──だね、私の番」
 その人は、飛び付いた姉の頭を撫でながら、恐怖で足がすくんで動けない私を一瞥した後、その視界に存在を一切映そうとはしなかった。

 美しい人に無視されることよりも、安堵の方が勝った。
 ……良かった。私は今度こそ──……? 今度、こそ?

 頭に浮かんだ考えが霧散するのは、お父様が屋敷から駆けてきたからだった。
「スカーレット、アオリそろそろ屋敷に──り、竜王陛下!?」



 恐らくそれが、私がアオリと呼ばれた最後、だった。