私のことを嫌いなはずの幼なじみが、 未来から結婚指輪を持ってきた

十月二十日。
私の十八歳の誕生日。
あの夜から二十九日。何も起きない日が続くほど、かえって今日が近づくのが怖かった。
それでも私は、その日から二十九回、ちゃんと朝を迎えた。そして今日も、こうして息をしている。
朝、目を覚ました瞬間から心臓が落ち着かなかった。
でも隣の家を出ると、湊が門の前に立っていた。
「おはよ」
「……生きてるな」
「朝一番の挨拶がそれ?」
「重要だろ」
「まあ、そうだけど」
湊は私の顔をじっと見てから、少しだけ笑った。
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
その普通の言葉が、泣きそうなくらい嬉しかった。
*
学校では、美月たちが小さなケーキを用意してくれた。
休み時間のたびに湊が顔を出す。
「また朝倉くん来たよ」
「もう彼氏なんだからいいでしょ」
言ってから自分で照れた。
美月が机を叩いて喜んだ。
「え、ついに!?」
「声大きい!」
一瞬だけ、普通の十八歳の誕生日だった。
その時間がずっと続けばいいと思った。
でも放課後。
校門を出る前に、湊のスマホが鳴った。
父親からのメッセージだった。
『今日は校内で待て。家の近くで例の車を見た。警察にも連絡した』
湊の顔が変わる。
「先生に言う?」
「言う。俺たちは勝手に動かない。迎えが来るまで中にいる」
以前の湊なら、一人で何とかしようとした。
今は違う。
職員室へ寄り、事情を知る先生に話す。
警察にも現在地を伝え、私たちは職員室の近くで迎えを待つことになった。
十分ほどして、正門前まで来たパトカーの赤色灯が窓から見えた。事情を知る先生と一緒に、私たちは昇降口を出る。
それでも。
ところが正門へ向かう途中、道路の向こうに見覚えのある黒い車が停まっているのが見えた。
「湊」
「見えてる」
これまで何度も見た車。
窓が開き、中の男と目が合った。次の瞬間、後部座席から二人の男が飛び出した。
「中に戻れ!」先生の声と同時に、黒い車がこちらへ向かって動き出す。
「走るぞ」
「うん!」
私たちは校舎へ戻ろうとした。
けれど通用口側から別のワゴンが入り込み、戻る道を塞いだ。
ほんの数十秒。パトカーがすぐそこにいるのに、私たちと校舎の間だけが切り取られたみたいに塞がれた。
「こっち!」
湊が校舎脇から外へ抜ける細い路地へ私を引っ張った。
走りながらスマホの緊急共有を押す。
現在地が警察と両親へ送られる。背後では先生が大声で警察官を呼んでいた。
「ちゃんと押した?」
「押した!」
「えらい!」
「褒めるとこそこ!?」
怖いのに、そんなやり取りだけで少し呼吸が戻る。
背後から複数の足音。
路地の先は――行き止まりだった。
「嘘でしょ……」
「俺の道選び、最悪だな」
「今言う!?」
湊が私を背にかばう。
男が三人、ゆっくり近づいてきた。
「朝倉の坊っちゃん。話をしようか」
「高校生追い回してする話なんかねえよ」
「大人しく来れば、その子には何もしない」
「信用できるか」
男の一人が私へ視線を向けた。
「その子がいると、お前は言うことを聞くだろ?」
身体が冷たくなる。
未来の湊が言っていた通りだ。
私が、湊の弱み。
「紗奈、後ろにいろ」
「でも」
「今回は言うこと聞け」
男が一歩近づく。
その瞬間。
ポケットの中の指輪が、火傷しそうなほど熱くなった。
「っ……!」
風が吹いた。
ありえない。
狭い路地なのに、神社の木の葉が擦れるような音が聞こえた。
「――今度は間に合った」
低い声。
湊の隣に、もう一人の湊が立っていた。
二十四歳の、未来の湊。
「あんた……!」
現在の湊が息を呑む。
未来の湊は男たちを見た。
その顔から、いつもの苦笑が消えている。
「この路地だった」
「え?」
「元の未来でも、ここで追い詰められた」
「あとで警察から見せられた防犯カメラを、俺は何度も見た。何度も――止められる場所を探した」
私の背筋が凍る。
未来の湊は現在の自分へ言った。
「右の非常扉。今は鍵が壊れてる。押せば開く」
現在の湊がすぐに確認する。
古い雑居ビルの鉄扉。
体当たりすると、確かに開いた。
「紗奈、こっち!」
男たちが動く。
私は防犯ブザーを思い切り引いた。
甲高い音が路地中に響く。
窓がいくつも開き、人の声がする。
「何だ!?」
「警察呼ぶぞ!」
「もう呼んでます!」
私も叫んだ。
その直後。
遠くからサイレンが聞こえた。
男の一人が舌打ちする。
それでも別の一人が湊の腕を掴もうとした。
未来の湊が間に入り、その腕を払い落とす。
「二度と、触るな」
声が震えていた。
怒りだけじゃない。
七年間の後悔が、全部そこにあるみたいだった。
サイレンが近づく。
男たちは逃げようとする。
路地の反対側から警察官が駆け込んできた。
「動かないで!」
その声を聞いた瞬間。
膝から力が抜けた。
湊が私を支える。
「紗奈」
「……うん」
「今、何時」
震える手でスマホを見る。
午後五時四十二分。
画面を見つめているうちに、時刻表示が午後五時四十三分へ変わった。
でも。
未来の湊が、静かに笑っていた。
「ここだ」
「え?」
「元の未来で、紗奈が死んだ時間」
午後五時四十二分。
私は生きている。
湊の手を握っている。
胸がいっぱいになって、涙が溢れた。
「越えた……?」
未来の湊が頷く。
「ああ」
その輪郭が、ゆっくり透け始めた。
「未来が変わった」
その言葉を聞いた瞬間、初めて「未来」という言葉が怖くなかった。