その日から、湊はまた私を避けるようになった。
「おはよ」
「……」
無視。
そっけない返事すらなくなった。
でも、不思議と腹は立たなかった。
あの神社で見た顔は、「嫌いな相手」を見る顔じゃなかったから。
もっと別のもの。
焦りとか、怯えとか。
私を遠ざけなければならない理由がある人の顔だった。
*
一週間後の放課後。
美月は塾で、私は一人で帰っていた。
商店街を抜け、駅前の横断歩道へ差しかかる。
信号は青。
いつも通り、一歩踏み出した。
その瞬間。
「紗奈、危ない!」
背後から、怒鳴るような声。
次いで、身体が強く引かれた。
「え――」
尻もちをついた私の目の前を、大型トラックが猛スピードで横切った。
赤信号を無視して。
タイヤが水たまりを弾き、濁った水が歩道まで飛んでくる。
あと一歩前にいたら。
考えた瞬間、指先が冷たくなった。
「大丈夫か!」
肩を掴んでいたのは湊だった。
息が荒い。
制服のシャツが背中に張りつくほど汗をかいている。
「み、湊……?」
「どこか痛いとこないか。手、見せろ」
「だ、大丈夫。たぶん」
「たぶんじゃねえ!」
怒っている。
でも、その手は震えていた。
「なんで……」
「なんでって」
「なんでここにいたの」
湊が言葉に詰まる。
「……たまたま」
「たまたまで、あんな遠くから私が轢かれそうなの見える?」
「……」
答えない。
代わりに、視線だけが道路の向こうへ向いた。
私もそちらを見る。
走り去るトラック。
そのさらに後ろ。
黒いセダンが一台、ゆっくりと交差点を曲がっていった。
ただ走り去っただけなのに、窓の向こうからこちらを見られていた気がして、背中に冷たいものが這った。
窓は濃く、運転席の顔は見えない。
「湊?」
「……帰るぞ」
「え?」
「今日は送る」
「私のこと嫌いなのに?」
意地悪で言ったわけじゃない。
でも湊は、ひどく苦しそうな顔をした。
右手が、耳へ伸びかけて止まる。
「……嫌いでも、人が死にかけてたら助けるだろ」
「ふーん」
「なんだよ」
「なんでもない」
怒っているように聞こえる。でも、私の肩を掴むその手は、私よりずっと震えていた。
少し前を歩く湊の背中を見ていると、昔と同じ距離なのに、ずっと遠く感じる。
「湊」
「なんだよ」
「私のこと、守ってる?」
足が止まった。
「馬鹿か」
「だって、ずっと見てたんでしょ」
「見てねえ」
「じゃあなんで、あのタイミングで走ってきたの」
「……」
右耳。
また触れた。
「分かりやすいね」
「うるせえ!」
顔を真っ赤にして先へ行く。
私は思わず笑った。
けれど、笑いは長く続かなかった。
未来の湊の言葉が蘇る。
――お前は、十八歳の誕生日に死ぬ。
今日のトラック。
黒いセダン。
偶然だと思いたい。
でも、胸の奥のどこかが告げていた。
これはまだ、始まりにすぎない。
帰り道、いつもの神社の前を通りかかった。
湊は、何も言わずに、少しだけ歩調を緩めた。
石段の上、鳥居の奥に見える境内を、二人でぼんやり眺める。
「懐かしいな」
湊が、ぽつりと言った。
「小学生の頃、よくここで絵馬書いたよね」
「書いた書いた。お前、変なこと書いてただろ」
「変なことって何よ」
「忘れたふりすんな」
私は、思い出そうとした。
小学四年生の、七夕の頃。
近所の子供たちと、境内の露店で絵馬を買ってもらって。
みんなでふざけながら、願い事を書いた。
私は――何を書いただろう。
「湊は覚えてるの?」
「覚えてない」
「今、覚えてないって言った」
「気のせいだろ」
湊は、そそくさと歩き出した。
私は、その背中を追いながら、なんとなく、心に引っかかるものを感じていた。
思い出せそうで、思い出せない記憶。
まるで、大事なことを、うっかり置き忘れてきたような感覚だった。
「おはよ」
「……」
無視。
そっけない返事すらなくなった。
でも、不思議と腹は立たなかった。
あの神社で見た顔は、「嫌いな相手」を見る顔じゃなかったから。
もっと別のもの。
焦りとか、怯えとか。
私を遠ざけなければならない理由がある人の顔だった。
*
一週間後の放課後。
美月は塾で、私は一人で帰っていた。
商店街を抜け、駅前の横断歩道へ差しかかる。
信号は青。
いつも通り、一歩踏み出した。
その瞬間。
「紗奈、危ない!」
背後から、怒鳴るような声。
次いで、身体が強く引かれた。
「え――」
尻もちをついた私の目の前を、大型トラックが猛スピードで横切った。
赤信号を無視して。
タイヤが水たまりを弾き、濁った水が歩道まで飛んでくる。
あと一歩前にいたら。
考えた瞬間、指先が冷たくなった。
「大丈夫か!」
肩を掴んでいたのは湊だった。
息が荒い。
制服のシャツが背中に張りつくほど汗をかいている。
「み、湊……?」
「どこか痛いとこないか。手、見せろ」
「だ、大丈夫。たぶん」
「たぶんじゃねえ!」
怒っている。
でも、その手は震えていた。
「なんで……」
「なんでって」
「なんでここにいたの」
湊が言葉に詰まる。
「……たまたま」
「たまたまで、あんな遠くから私が轢かれそうなの見える?」
「……」
答えない。
代わりに、視線だけが道路の向こうへ向いた。
私もそちらを見る。
走り去るトラック。
そのさらに後ろ。
黒いセダンが一台、ゆっくりと交差点を曲がっていった。
ただ走り去っただけなのに、窓の向こうからこちらを見られていた気がして、背中に冷たいものが這った。
窓は濃く、運転席の顔は見えない。
「湊?」
「……帰るぞ」
「え?」
「今日は送る」
「私のこと嫌いなのに?」
意地悪で言ったわけじゃない。
でも湊は、ひどく苦しそうな顔をした。
右手が、耳へ伸びかけて止まる。
「……嫌いでも、人が死にかけてたら助けるだろ」
「ふーん」
「なんだよ」
「なんでもない」
怒っているように聞こえる。でも、私の肩を掴むその手は、私よりずっと震えていた。
少し前を歩く湊の背中を見ていると、昔と同じ距離なのに、ずっと遠く感じる。
「湊」
「なんだよ」
「私のこと、守ってる?」
足が止まった。
「馬鹿か」
「だって、ずっと見てたんでしょ」
「見てねえ」
「じゃあなんで、あのタイミングで走ってきたの」
「……」
右耳。
また触れた。
「分かりやすいね」
「うるせえ!」
顔を真っ赤にして先へ行く。
私は思わず笑った。
けれど、笑いは長く続かなかった。
未来の湊の言葉が蘇る。
――お前は、十八歳の誕生日に死ぬ。
今日のトラック。
黒いセダン。
偶然だと思いたい。
でも、胸の奥のどこかが告げていた。
これはまだ、始まりにすぎない。
帰り道、いつもの神社の前を通りかかった。
湊は、何も言わずに、少しだけ歩調を緩めた。
石段の上、鳥居の奥に見える境内を、二人でぼんやり眺める。
「懐かしいな」
湊が、ぽつりと言った。
「小学生の頃、よくここで絵馬書いたよね」
「書いた書いた。お前、変なこと書いてただろ」
「変なことって何よ」
「忘れたふりすんな」
私は、思い出そうとした。
小学四年生の、七夕の頃。
近所の子供たちと、境内の露店で絵馬を買ってもらって。
みんなでふざけながら、願い事を書いた。
私は――何を書いただろう。
「湊は覚えてるの?」
「覚えてない」
「今、覚えてないって言った」
「気のせいだろ」
湊は、そそくさと歩き出した。
私は、その背中を追いながら、なんとなく、心に引っかかるものを感じていた。
思い出せそうで、思い出せない記憶。
まるで、大事なことを、うっかり置き忘れてきたような感覚だった。



