私のことを嫌いなはずの幼なじみが、 未来から結婚指輪を持ってきた

警察官たちが男たちを確保していく。
私はまだ、湊の手を離せずにいた。
午後五時四十二分。
元の未来で私が死んだ時間を、私は生きたまま越えた。
それだけで、世界の色が変わったように見えた。
「紗奈」
未来の湊が呼ぶ。
輪郭はさっきより薄い。
「もう、俺の役目は終わりだ」
「待って」
分かっていた。
未来が変われば、この人は消える。
それでも、まだ聞いていないことがある。
「約束したよね。指輪のこと、全部話すって」
未来の湊は目を伏せた。
「……ああ」
私はポケットから指輪を出した。
六年後の日付。
**MINATO & SANA**
「これ、本当に私たちの結婚指輪だったの?」
長い沈黙。
やがて未来の湊は、かすかに首を振った。
「半分、嘘だ」
「え……?」
「俺たちは、結婚できなかった」
胸が痛んだ。
「紗奈は十八歳で死んだ。俺は、そのあともずっと引きずった」
未来の湊が笑う。
泣きそうな笑顔だった。
「覚えてるか。子どもの頃、この神社の絵馬に書いたこと」
――二十三歳になったら、ここで結婚する。
「あ……」
「六年後、その約束の日になった。俺は一人で指輪を二つ作った」
未来の湊は自分の左手を見る。
「一つは俺。もう一つは、お前のため」
「じゃあ、この日付は……」
「結婚した日じゃない。結婚したかった日だ」
「した日」と「したかった日」。ほんの数文字の違いなのに、その間に横たわる時間の重さが、胸の奥へ一気に落ちてきた。
私がいない未来で、湊は一人で、子どもの約束の日までたどり着いたのだ。
言葉が出なかった。
「お前の指輪は墓前に置くつもりだった。でも置けなかった。二つとも持って神社に来た」
「それから一年経っても、俺はその指輪を手放せなかった。二十四歳になった雨の夜、二つとも持ってこの神社に来た」
雨の夜。
御神木の前。
『一度でいいから、あの日に戻してくれ』
その願いが、七年の時間を越えた。
「だから最初に、結婚指輪って言ったの?」
「……ああ」
「ずるい」
「悪かった」
「すごくずるい」
「ごめん」
でも、怒れなかった。
目の前の人が、どれだけ長い間この指輪に縋っていたのか分かってしまったから。
未来の湊が、現在の湊を見る。
「これは俺の未練だ」
そして私を見る。
「お前たちは、こんな指輪に未来を決められるな」
指輪が、私の手のひらで淡く光った。
刻印が少しずつ薄れていく。
「え……」
銀色の輪そのものが、光の粒へ変わっていく。
「待って!」
「いいんだ」
未来の湊は笑った。
「今度は、お前たちが本物を作れ」
指輪が消える。
同時に、未来の湊の身体も透き通っていく。
「未来の俺」
現在の湊が呼んだ。
「なんだ」
「……ありがとな」
未来の湊は、一瞬だけ目を見開いた。
「俺に礼言うの、気持ち悪いな」
「うるせえ。俺は、あんたが欲しかった未来まで、紗奈と一緒に行く」
未来の湊は目を伏せ、それから、肩の力を抜くように笑った。
「……頼んだ」
「うるせえ」
二人が笑った。
同じ笑い方だった。
未来の湊は最後に、私へ向き直る。
「幸せにな、紗奈」
「うん」
「今度こそ」
「うん」
涙で顔がぐしゃぐしゃになる。
でも、最後は笑った。
「ありがとう、湊」
未来の湊は満足そうに頷く。
そして、夕暮れの光へ溶けるように消えた。
今度こそ、本当に。
*
その後。
湊のお父さんが保管していた脅迫メッセージ、湊が撮っていた車の写真、私たちへの接触記録が証拠になり、警察の捜査は大きく進んだ。
すべてが数日で魔法みたいに解決したわけじゃない。
押収された端末からは、あの日のトラックの運転手へ送られた指示も見つかった。
青信号の横断歩道へ突っ込んできたあの車も、偶然ではなかったのだと後から知った。
それでも、家の前に黒い車が停まることはなくなった。
朝倉家には少しずつ普通の夜が戻ってきた。
おじさんは弁護士にも相談し、正規の借金と脅迫の問題を切り分けて、生活を立て直し始めた。
そして私には、十九歳になる未来ができた。
二十歳になる未来も。
その先も。
*
数週間後。
放課後、いつもの神社へ行った。
湊と二人。
「なあ、紗奈」
「なに」
湊がポケットから小さな箱を出した。
「これ」
「……まさか」
開けると、細い銀色のリングが入っていた。
未来から来たものとは違う。
刻印もない。
高そうな宝石もない。
「高校生だから、こんなんしか無理」
「いや、十分びっくりしてるんだけど」
「婚約指輪とかじゃないからな」
「先に否定された」
「約束の指輪」
湊は少し照れた顔で続ける。
「未来の俺が持ってきたやつは、俺の未練だったんだろ」
「うん」
「だからこれは、今の俺の意思で渡す」
「湊……」
「二十三歳になったときも、お前が隣にいてくれたら」
「……うん」
「そのときは、今度こそ俺が本物の結婚指輪を渡す」
「……それ、ほとんどプロポーズじゃない?」
「予約だよ。未来の」
私は笑った。
「じゃあ、予約ね」
「何が」
「二十三歳の私」
湊の顔が赤くなる。
「……予約しとく」
「ちゃんと覚えててよ」
「忘れるわけないだろ」
湊が私の左手を取る。
指輪は少しだけ大きかった。
「サイズ合ってない」
「うるさい。初めて買ったんだよ」
「未来の湊はぴったりだったのに」
「だから比べるな!」
笑い声が境内に響いた。
笑いが落ち着いたころ、湊が急に真面目な顔になった。
「紗奈」
「なに?」
「目、閉じろ」
「……なんで?」
「いいから」
絶対に何か企んでいる顔だった。けれど右耳には触れていない。
私は少しだけ迷って、目を閉じた。
次の瞬間、唇にやわらかなものが触れた。
ほんの一瞬。驚いて目を開けたときには、湊の方が私より真っ赤になっていた。
「……今の、ずるくない?」
「約束の指輪だけ渡して終わるの、なんか足りないと思った」
「そういうの、先に言ってよ」
「言ったら逃げるだろ。……これは、今の俺がしたかった」
胸の奥が、指輪よりずっと熱くなった。
御神木の葉が風に揺れる。
昔、子どもの私たちは、未来を勝手に決めた。
未来から来た湊は、その未来に縋り続けた。
でも今は違う。
私はまだ十八歳で。
湊もまだ十七歳で。
結婚なんて、ずっと先の話だ。
喧嘩もするだろう。
気持ちがすれ違う日もあるかもしれない。
それでも。
今日、私は未来に言われたからではなく、自分の意思でこの人を選ぶ。
明日も、その次の日も、また自分で選べたらいいと思う。
未来は約束されたものじゃない。
私たちが、一日ずつ選んでいくものだから。
左手の指輪を見つめる。
未来から持ってきた結婚指輪ではなく。
今の湊が、自分の意思で選んだ指輪。
その銀色の輪の向こうに。
今度こそ、私がちゃんと生きてたどり着く未来が見えた気がした。
私は、朝倉湊が好きだ。
今度は――「たぶん」なんかじゃない。
**完**