どこかで、誰かの恋がはじまる
「――我が名は、《漆黒の紅蓮》。封印されし右腕を持つ者……お前、俺の眷属になれ」
始業前の教室、窓際の席で突然立ち上がった黒羽くろば夜叉やしゃに、クラス中の視線が一斉に突き刺さった。しかし、この光景は今日に始まったことではない。夜叉は入学以来、毎朝なにかしらの中二病スイッチが入り、謎の宣言をぶちかますことで有名だった。
「はいはい、朝から元気だね黒羽くん。今日は何の設定? 昨日は『闇の使徒』だったよね」
呆れた声で応じたのは、隣の席の風見かざみ紫苑しおんだった。整った顔立ちに、クラスでも一目置かれる成績優秀者。だが、その口調は同級生に対するものにしては、ずいぶんと遠慮がない。
「紫苑。貴様、俺の《真名》を軽々しく呼ぶな。今この瞬間から、貴様は俺の《眷属候補》第一号だ」
「候補で結構です。ていうか、なんで毎回私が指名されるの」
「貴様の瞳の奥に、眠れる魔力の輝きを感じるからだ」
「それただの乱視だから。眼鏡忘れてコンタクトにしてるだけだから」
にべもなく切り捨てる紫苑に、夜叉は片手で顔を覆い、芝居がかった仕草でよろめいた。
「くっ……この《紅蓮の右腕》が疼く……! 貴様の辛辣な言霊が、俺の封印にヒビを入れていく……!」
「はいはい疼く疼く。早く席座って、先生来るよ」
紫苑はそう言いながらも、夜叉の鞄からはみ出していた黒いマントもどきの布をこっそり直してやっていた。その様子にクラスメイトたちはくすくすと笑いを漏らす。二人のこのやり取りは、もはやこのクラスの朝の風物詩だった。
* * *
昼休み、屋上に続く階段の踊り場。紫苑が一人で弁当を広げていると、案の定、夜叉が黒いマントを翻しながら現れた。
「紫苑。今日もここにいたか。俺の《気配察知》からは逃れられんぞ」
「気配察知じゃなくて、私がいつもここでご飯食べてるの知ってるだけでしょ」
「……そうとも言う」
素直に認めた夜叉に、紫苑は思わず噴き出した。中二病全開の割に、変なところで正直なのがこの男の面白いところだった。
「はい、これ。お母さんが多めに作りすぎたから、余った分」
紫苑が差し出した卵焼きに、夜叉は一瞬言葉を詰まらせる。
「……貴様、これは、施しのつもりか」
「施しじゃなくて、ただの余りもの。いらないなら別に」
「いる。……いや、頂こう。眷属の献上物として」
素直じゃない言い方をしながらも、夜叉はしっかりと卵焼きを頬張った。その顔が、ほんの少しだけ緩んでいるのを、紫苑は見逃さなかった。
「美味い。貴様の母君の作る飯は、いつも俺の封印を溶かしていく」
「褒めてるんだか分かんない言い方やめて」
「褒めている。……その、いつも、ありがとう」
急に素の口調に戻った夜叉に、紫苑の方が動揺した。普段は中二病全開の彼が、たまにこうして素顔を見せる瞬間があることを、紫苑はクラスの誰よりも知っている。そしてそのギャップに、少しずつ、確実に、絆されている自分がいることも。
「……べ、別にお礼とか言わなくていいし」
「なぜ照れる」
「照れてない!」
思わず声を荒らげた紫苑に、夜叉はにやりと笑った。
「照れておる。貴様の頬、紅く染まっておるぞ」
「うるさい、闇の眷属とやらは黙っててよ!」
* * *
放課後、教室に人がいなくなった頃、夜叉は黒板の前でぼんやりと外を眺めていた。紫苑が忘れ物を取りに戻ると、珍しく静かなその横顔があった。
「あれ、めずらしい。今日はもう変身しないの?」
「……今日は、少し疲れた」
意外な返答に、紫苑は足を止めた。
「なにかあったの?」
「昔、《本物の力》を持っていたら、周りの人間を守れたのかもしれないと、そう思う日がある。今日は、そういう日だった」
いつになく静かな声だった。夜叉の家族が幼い頃に事故に遭い、彼一人だけが助けられなかった過去があることを、紫苑は以前、風の噂で聞いたことがあった。中二病という仮面の下に、彼が何を抱えているのか、初めてほんの少しだけ触れた気がした。
「……夜叉」
初めて呼ばれた本名に、夜叉が驚いたように振り向く。
「あなたに《本物の力》なんてなくても、私はちゃんと、あなたに助けられてる。毎朝、変な中二病トークで笑わせてくれるし、地味に気配り上手だし」
「……それは、力とは言わんだろう」
「力だよ。人を元気にする力。少なくとも、私にとっては、それで十分」
紫苑はまっすぐに夜叉を見つめた。夕陽に照らされた教室で、二人の視線がしっかりと絡み合う。
「紫苑、貴様……」
「言っとくけど、変な設定で誤魔化さないでよ。ちゃんと、素の言葉で聞きたいから」
「……分かった」
夜叉は一度深呼吸をすると、まっすぐに紫苑を見つめ直した。
「紫苑。俺は、貴様のことが好きだ。設定でも、演技でもなく、素の俺の言葉として」
「……うん。私も、夜叉のことが好き」
素直な答えが返ってきたことに、夜叉は目を見開いた。それから、いつもの調子を取り戻すように、にやりと笑う。
「ふ……ならば今この瞬間、貴様は正式に俺の《伴侶眷属》に任命された」
「そこはもう少しロマンチックな言い方できないの!?」
「これが俺なりの、精一杯のロマンチックだ」
呆れながらも笑ってしまう紫苑に、夜叉もつられて笑った。中二病も、ツンデレも、全部ひっくるめて、これが二人らしい始まり方なのかもしれない。夕焼けに染まる教室に、二人分の笑い声が、いつまでも響いていた。
「――我が名は、《漆黒の紅蓮》。封印されし右腕を持つ者……お前、俺の眷属になれ」
始業前の教室、窓際の席で突然立ち上がった黒羽くろば夜叉やしゃに、クラス中の視線が一斉に突き刺さった。しかし、この光景は今日に始まったことではない。夜叉は入学以来、毎朝なにかしらの中二病スイッチが入り、謎の宣言をぶちかますことで有名だった。
「はいはい、朝から元気だね黒羽くん。今日は何の設定? 昨日は『闇の使徒』だったよね」
呆れた声で応じたのは、隣の席の風見かざみ紫苑しおんだった。整った顔立ちに、クラスでも一目置かれる成績優秀者。だが、その口調は同級生に対するものにしては、ずいぶんと遠慮がない。
「紫苑。貴様、俺の《真名》を軽々しく呼ぶな。今この瞬間から、貴様は俺の《眷属候補》第一号だ」
「候補で結構です。ていうか、なんで毎回私が指名されるの」
「貴様の瞳の奥に、眠れる魔力の輝きを感じるからだ」
「それただの乱視だから。眼鏡忘れてコンタクトにしてるだけだから」
にべもなく切り捨てる紫苑に、夜叉は片手で顔を覆い、芝居がかった仕草でよろめいた。
「くっ……この《紅蓮の右腕》が疼く……! 貴様の辛辣な言霊が、俺の封印にヒビを入れていく……!」
「はいはい疼く疼く。早く席座って、先生来るよ」
紫苑はそう言いながらも、夜叉の鞄からはみ出していた黒いマントもどきの布をこっそり直してやっていた。その様子にクラスメイトたちはくすくすと笑いを漏らす。二人のこのやり取りは、もはやこのクラスの朝の風物詩だった。
* * *
昼休み、屋上に続く階段の踊り場。紫苑が一人で弁当を広げていると、案の定、夜叉が黒いマントを翻しながら現れた。
「紫苑。今日もここにいたか。俺の《気配察知》からは逃れられんぞ」
「気配察知じゃなくて、私がいつもここでご飯食べてるの知ってるだけでしょ」
「……そうとも言う」
素直に認めた夜叉に、紫苑は思わず噴き出した。中二病全開の割に、変なところで正直なのがこの男の面白いところだった。
「はい、これ。お母さんが多めに作りすぎたから、余った分」
紫苑が差し出した卵焼きに、夜叉は一瞬言葉を詰まらせる。
「……貴様、これは、施しのつもりか」
「施しじゃなくて、ただの余りもの。いらないなら別に」
「いる。……いや、頂こう。眷属の献上物として」
素直じゃない言い方をしながらも、夜叉はしっかりと卵焼きを頬張った。その顔が、ほんの少しだけ緩んでいるのを、紫苑は見逃さなかった。
「美味い。貴様の母君の作る飯は、いつも俺の封印を溶かしていく」
「褒めてるんだか分かんない言い方やめて」
「褒めている。……その、いつも、ありがとう」
急に素の口調に戻った夜叉に、紫苑の方が動揺した。普段は中二病全開の彼が、たまにこうして素顔を見せる瞬間があることを、紫苑はクラスの誰よりも知っている。そしてそのギャップに、少しずつ、確実に、絆されている自分がいることも。
「……べ、別にお礼とか言わなくていいし」
「なぜ照れる」
「照れてない!」
思わず声を荒らげた紫苑に、夜叉はにやりと笑った。
「照れておる。貴様の頬、紅く染まっておるぞ」
「うるさい、闇の眷属とやらは黙っててよ!」
* * *
放課後、教室に人がいなくなった頃、夜叉は黒板の前でぼんやりと外を眺めていた。紫苑が忘れ物を取りに戻ると、珍しく静かなその横顔があった。
「あれ、めずらしい。今日はもう変身しないの?」
「……今日は、少し疲れた」
意外な返答に、紫苑は足を止めた。
「なにかあったの?」
「昔、《本物の力》を持っていたら、周りの人間を守れたのかもしれないと、そう思う日がある。今日は、そういう日だった」
いつになく静かな声だった。夜叉の家族が幼い頃に事故に遭い、彼一人だけが助けられなかった過去があることを、紫苑は以前、風の噂で聞いたことがあった。中二病という仮面の下に、彼が何を抱えているのか、初めてほんの少しだけ触れた気がした。
「……夜叉」
初めて呼ばれた本名に、夜叉が驚いたように振り向く。
「あなたに《本物の力》なんてなくても、私はちゃんと、あなたに助けられてる。毎朝、変な中二病トークで笑わせてくれるし、地味に気配り上手だし」
「……それは、力とは言わんだろう」
「力だよ。人を元気にする力。少なくとも、私にとっては、それで十分」
紫苑はまっすぐに夜叉を見つめた。夕陽に照らされた教室で、二人の視線がしっかりと絡み合う。
「紫苑、貴様……」
「言っとくけど、変な設定で誤魔化さないでよ。ちゃんと、素の言葉で聞きたいから」
「……分かった」
夜叉は一度深呼吸をすると、まっすぐに紫苑を見つめ直した。
「紫苑。俺は、貴様のことが好きだ。設定でも、演技でもなく、素の俺の言葉として」
「……うん。私も、夜叉のことが好き」
素直な答えが返ってきたことに、夜叉は目を見開いた。それから、いつもの調子を取り戻すように、にやりと笑う。
「ふ……ならば今この瞬間、貴様は正式に俺の《伴侶眷属》に任命された」
「そこはもう少しロマンチックな言い方できないの!?」
「これが俺なりの、精一杯のロマンチックだ」
呆れながらも笑ってしまう紫苑に、夜叉もつられて笑った。中二病も、ツンデレも、全部ひっくるめて、これが二人らしい始まり方なのかもしれない。夕焼けに染まる教室に、二人分の笑い声が、いつまでも響いていた。
