消して、奪って、きみだけを


 転校まで彼はこのまま学校へは来ないという話だったけれど、わたしは担任に食い下がって引っ越しの日を聞き出した。

 母にこのことを伝えると、縋るような思いで尋ねた。
 叶人くんはどうなっちゃうの……?

 彼は、彼のお母さんと離れて暮らすことになる。
 震えるわたしを落ち着かせるように抱き締め、傷だらけの手を握ってくれながら母はそう言った。

 その瞬間、糸が切れて、声を上げながらまた泣いた。

 果てしなく大きく重い罪悪感に押し潰され、あまりの苦しさに息ができなくなった。

 叶人くんの望み通り、優しいお母さんに戻って欲しかった。
 彼にひどいことをしないで欲しかった。

 それだけだったのに、まさかこんなことになってしまうなんて。

 お母さんは叶人くんにとって唯一の家族なのに、もう一緒に暮らせなくなってしまうんだ。
 正真正銘、ひとりぼっちになってしまう。
 わたしが、そうさせた。
 
 心の内側を()ぎ落とされ、その残骸(ざんがい)とともに底なしの闇に飲み込まれていく。

 さらなる深淵(しんえん)へ落ちていくのが怖くて、涙に溺れながら母にしがみついた。



 ────当日は、朝から雨だった。

 空を覆うどんよりと厚い灰色の雲から、とめどなく細い雫が降り注いでいる。

 そんな空模様より重たい足取りで、憂鬱な心持ちで、わたしは慣れた道をひとり歩いた。

 彼に会いたい。だけど、会いたくない。
 それでも会わなきゃいけない。
 最後に伝えるべき言葉がある。

 彼の家が見えてくると、思わず足を止めてしまった。
 濡れたつま先が水溜まりを跳ねる。

 門前には見慣れない白いワゴン車が停まっていて、知らない大人が数人立っていた。
 中にはこの間のおじさんの姿もある。

 連なる黒い傘や透明の傘は、まるでお城を守る兵士の盾だった。

 近づけないでいるうちに、玄関のドアが開いた。
 カランカラン、と涼しげに澄んだベルの音が響いてくる。

 こんなときでもその音だけは変わらなくて、そのことに少し妙な心地がした。

 お城の兵士が動いて、車まで傘の道が作られる。
 彼らのよそいきの笑い声がここまで聞こえてきて、たまらず心臓がぎゅっとした。

『……っ』

 思わず半歩踏み出しかけたけれど、それ以上は進めなかった。
 彼の姿が見えたからだ。

 大人たちの隙間から目が合いそうになった瞬間、気づけば身体を引っ込めていた。

 さっき縮んだ心臓がばくばく激しく打って、息苦しくなってくる。
 傘の()を握り締める手の感触もとっくにない。

 塀に隠れたまま、ただ立ち尽くした。
 強く唇を噛んで目を瞑る。
 合わせる顔なんてない。