消して、奪って、きみだけを


 あの日は朝から雨だった。

 空を覆うどんよりと厚い灰色の雲から、とめどなく細い雫が降り注いでいる。

 そんな空模様より重たい足取りで、憂鬱な心持ちで、わたしは慣れた道をひとり歩いた。

 彼に会いたい。だけど、会いたくない。
 それでも会わなきゃいけない。
 伝えるべき言葉がある────。

 だって、こうなったのはぜんぶわたしのせい。

 彼の家が見えてくると、思わず足を止めてしまった。
 濡れたつま先が水溜まりを跳ねる。

 門前には見慣れない白いワゴン車が停まっていて、知らない大人が数人立っていた。
 連なる黒い傘や透明の傘は、まるでお城を守る兵士の盾だった。

 近づけないでいるうちに、玄関のドアが開いた。
 カランカラン、と涼しげに澄んだベルの音が響いてくる。

 彼の家のドアにはベルがあって、開けたり閉めたりすると綺麗な音が鳴る。
 こんなときでもその音だけは変わらなくて、そのことに少し妙な心地がした。

 お城の兵士が動いて、車まで傘の道が作られる。
 彼らのよそいきの笑い声がここまで聞こえてきて、たまらず心臓がぎゅっとした。

「……っ」

 思わず半歩踏み出しかけたけれど、それ以上は進めなかった。
 彼の姿が見えたからだ。

 大人たちの隙間から目が合いそうになった瞬間、気づけば身体を引っ込めていた。

 さっき縮んだ心臓がばくばく激しく打って、息苦しくなってくる。
 傘の()を握り締める手の感触もとっくにない。

 塀に隠れたまま、ただ立ち尽くした。
 強く唇を噛んで目を瞑る。
 合わせる顔なんてない。

(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……)

 伝えるはずだった言葉を心の内で何度も唱えた。
 何度も何度も繰り返しながら、こらえきれずに咽び泣く。

 ごめんなさい。
 何もかもわたしが悪い。

 わたしのせいで、彼は────。



     ◇



「……い、羽衣(うい)

 はっと目を開けると、湿ったような重たい空気で息が詰まった。

 いつもと変わらない朝のバスの中。
 だけど、降りしきる雨の雫が窓を叩いていて、気が滅入りそうなほど薄暗かった。

 車内は人であふれ、いつもより酸素も薄く感じられる。

「大丈夫か? 何かうなされてたけど」

 隣に座っている(りょう)が心配そうに覗き込んでくる。
 わたしはとっさに笑顔を浮かべた。

「大丈夫、大丈夫。ちょっと……夢見てただけ」

 夢というよりも記憶だった。
 雨の日は、いつも決まってあの頃を思い出す。

 きっと、彼と最後に会った日が雨だったからだ。