君を忘れるための春。

ひらひらとした藍色の浴衣を纏い、小気味いい下駄の音をアスファルトに響かせながら、糸は京都の古い神社の祭りへと向かっていた。

夕暮れ時の境内へと続く参道は、すでに多くの出店と、夏の夜の訪れを待ちわびる大勢の人々の熱気に包まれている。
どこか浮き足立つような囃子の音が遠くから響くなか、糸の心臓だけは、緊張と不安で張り裂けそうなほど激しくドクドクと脈打っていた。

人混みをかき分けるようにして、少し足早に待ち合わせの鳥居の前へと向かう。
そして――広がる視線の先に、その人は立っていた。

「糸っ!! 久しぶりっ」

こちらに気づいた恭弥が、ぱぁっとひまわりが咲いたような明るい表情を浮かべ、大きく手を振った。

東京にいた頃と何一つ変わらない、糸がずっと、世界で一番大好きだったあの太陽のような笑顔。
数ヶ月ぶりに生で見るその眩しすぎる姿に、糸の胸の奥は、ぎゅうっと切なくて苦しい感覚に一瞬にして締め付けられた。
離れてようやく癒えかけていたはずの初恋の記憶が、彼のその笑顔一つで、容赦なく引きずり戻されていく。

「恭弥……っ。久しぶり、会いたかったよ!」

糸は今度こそ嘘偽りのない、心からの笑顔を浮かべて声を弾ませた。
誰の顔色を窺うでもなく、ただ純粋に恭弥に会いたかったという本音を、ようやく自分の言葉で伝えることができたのだ。

恭弥は駆け寄ってきた糸の前に一歩踏み出すと、彼女の浴衣姿をじっと見つめ、どこか照れくさそうに微笑んだ。

「糸……なんだか、東京にいた頃より、ずっと綺麗になったね」

「っ……!」

不意に投げかけられた直球の言葉に、糸の胸はドキリと激しく跳ね上がった。
京都での新しい出会いに備えて、必死にお洒落を磨いてきた。それが、かつて自分を一人の女の子として見てくれなかった恭弥の瞳を、こんなにも優しく揺らしている。

「そう、かな……? ありがとう、恭弥にそう言ってもらえるなんて、すごく嬉しい」

糸は恥ずかしさを隠すように、ほんのりと頬を赤らめてはにかんだ。

「ほら、はぐれないようにしようぜ」

恭弥はそう言って、照れ隠しのようにいつものお兄ちゃんぶった笑顔を浮かべると、糸の小さくて細い手を、自分の大きくて温かい掌でぎゅっと包み込むように握りしめた。

懐かしい洗剤の匂い。子どもの頃からずっと、自分を守ってくれていた確かな体温。
二人は指先を絡ませ、繋いだ手を解かないまま、色とりどりの提灯の光が灯り始めた神社の祭りへと歩き出していった。

初恋への精算、そして凛の残してくれた言葉。
恭弥の隣で溢れそうになる幸せを感じつつも、糸の頭の片隅には、あの暑苦しい道場で今も死に物狂いで竹刀を振っているはずの、彼の姿が残っていた。