夏休みも中盤に差し掛かり、京都の街は連日、夏祭りの熱気と賑やかな囃子の音に包まれていた。
しかし、花園高等学校の武道場だけは、世間の浮かれた空気から完全に遮断されていた。
秋の全国大会に向けた強化期間に入り、男子剣道部は遠征や試合の連続。主将の東雲響矢は、夏休みの半分以上の時間をこの暑苦しい道場に注ぎ込んでいた。
「あー……。アカン、マジで糸ちゃん不足やぁ……」
稽古の合間の休憩時間。響矢は防具を外した袴姿のまま、冷たい床の上に大の字になって寝転がり、天井を仰いで深い溜息を吐き出した。額の汗が床にぽつぽつと落ちる。頭の中にあるのは、オシャレをして少し恥ずかしそうに自分の名前を呼んでくれた、あの可憐な少女の姿だけだった。
「こら、響矢! あんた、すぐ隣におる私の存在を完全に忘れてるやろ!」
そのすぐ横で、同じく女子部の練習でヘトヘトになっていた結月が、床をバタバタと素足で叩きながら猛抗議の声を上げた。
「干からびそうなんは私も同じやねんからなぁー! 私も糸ちゃんに会いたい! ぎゅうーってハグして都会のええ匂い吸い込みたいわぁー!」
「ちょっと待ったんかい、結月!」
寝転がっていた響矢が弾かれたように上半身を起こし、親戚の少女を鋭く睨みつける。
「糸ちゃんは俺のや! 隙あらば抱きつこうとしとる結月のやない! 女子の権利乱用すな!」
「誰が権利乱用や! 親友の特権や!」
いつものように道場の片隅でギャーギャーと張り合う二人。しかし、そんな彼らの賑やかな「青春」は、そのわずか五分後に完全に打ち砕かれることとなった。
「おい、東雲、乙葉。急な連絡なんやけど、夏祭りの当日に他校との合同強化錬成会がぶち込まれたんや。全員強制参加や、しっかり励みやぁ」
ガラガラとドアを開けて入ってきた顧問の先生から告げられた、無慈悲な一言。
まさか、待ちに待った夏祭りの当日を丸一日部活で潰されるなんて、二人はこれっぽっちも思っていなかったのだ。あまりのショックに、道場に一瞬の静寂が訪れる。
「はぁーーー!? ちょっと先生!! 俺らから年に一度の貴重な青春を奪うとか、さすがに鬼畜すぎるやろ!! 人の心とかないんか!?」
響矢はすぐさま立ち上がり、顧問の先生に向かって全力でケチをつけて猛抗議した。けれど、先生は「うるさい、大将が色気づいてどないすんねん、十年早いわ」と一蹴し、冷酷に去っていった。
結局、覆ることのない現実を前にして、響矢は泣く泣くスマホを取り出した。
自分の教室で宿題をしているであろう糸に向けて、震える指先でメッセージを打ち込む。
『糸ちゃんごめん!! 夏祭りデート、急な部活の練習試合が入って無しになってもーた……最悪やあぁ(泣)』
画面の向こうでわんわんと号泣する犬のスタンプをこれでもかと連打して、送信ボタンを押す。
その頃、自室でスマホのバイブ音を聞き、メッセージを受け取った糸は、液晶画面を見つめたまま、ぽつんとベッドの上に佇んでいた。
響矢からの、悔しさと悲しさがこれでもかと伝わってくる直球な文面。
それをじっと見つめる糸の横顔は、生温い夕方の風に揺られながら、どこか複雑で、今の彼女が何を考えているのか、その表情からはまったく読み取ることができなかった。
東京の凛から告げられた、不穏な現実。
『恭弥が近いうちにそっちに向かうと思う』
夏祭りの当日。
それは偶然にも、恭弥が京都へやってくると予告していた、あの「約束の日」と完全に重なっていたのだった。



