生い茂る木々の大きな影のなか、凛は座ったままの糸を冷たく見下ろしたまま、静かに言葉を紡ぎ出した。
「ずっと、気づいてたよ。恭弥がずっと、私の隣にいても糸のことばかり見ていたのも。糸も、恭弥のことが大好きだったっていうことも。……恭弥と付き合っていた時間はね、本当は私の、ただの片思いだったってことも」
「凛……? ちょっと待ってよ、話が見えないよ……」
糸は驚きに大きく目を見開いた。あまりにも残酷な真実を淡々と告げる親友の言葉に、頭の理解が追いつかない。けれど、凛の独白は止まらなかった。
「でもね、私はずっと、そんな優しい存在の糸に甘えてたんだよ。糸の存在も、その立ち位置すらも、ずっと羨ましくてたまらなかった。恭弥の目にはいつだって糸がいて、いつだって一番に守ってもらえて……。私は、大好きな二人の前で、ずっと『糸のお姉さん』でいなきゃいけないの? 恭弥は、私のことをいつか一人の女の子として見てくれないのかなって……ずっと苦しかった。だから、糸に意地悪をしたの。恭弥の無自覚な優しさにも甘えて……糸から、恭弥を奪い取ったんだよ」
凛はゆっくりと背を向け、公園の中央にある泉の方を向いた。逆光のなかに佇む親友の表情は、やはり何も読み取ることができない。
「何それ……っ!」
糸の胸の奥から、せき止められていた感情が一気に決壊した。
「そんなの、全部凛のわがままじゃん……っ! そうだよ、私は恭弥のことが本当に大好きだった! 今でも忘れられないし、ずっと引きずって、今でも苦しくてっ……! でも、私は凛と恭弥が、世界で一番大好きな二人が幸せならそれでいいって、そう思ってここに来たのにっ……! そんなことって、あんまりだよ……っ!」
堰を切ったように、大粒の涙が糸の白い頬を伝ってとめどなく溢れ落ちる。
都会で何度も何度も押し殺してきた本音の叫びが、初夏の公園に激しく響き渡った。
すると、泉を眺めていた凛が、ゆっくりとこちらを振り返った。
その顔には、先ほどまでの冷徹な影はどこにもなく、どこか憑き物が落ちたような、ひどく穏やかで優しい笑みが浮かんでいた。
「……やっと、本音で話してくれたね」
「え……」
涙を流したまま、糸はベッドの上で固まるように、その場に呆然と自失した。
「ごめんね、糸。今言ったこと、半分は嘘で、半分は冗談なの。だって、こうでもしないと、糸は絶対に本音を答えてくれなかったでしょ?」
凛は少しいたずらっぽく小首を傾げてみせた。
その瞬間、糸はハッと気がついた。凛は自分を憎んでいるわけでも、奪い取ったことを誇示しに来たわけでもない。自分の気持ちをすべて吐き出させるために、わざと憎まれ役の悪者を演じて、頑なだった糸の心の鍵をこじ開けてくれたのだと。
「あー、スッキリしたっ!」
凛は両手を大きく広げて、初夏の突き抜けるような青空を見上げた。
「糸ったら、京都に行ってから電話しても全然本音を教えてくれないんだもん! 何も言わずに黙って遠くに行っちゃった、バカな糸への、私からのちょっとした仕返しだからねっ」
凛はクスリと、いつもの優しいお姉さんの顔で笑った。
糸は手の甲で何度も何度も涙を拭ったけれど、今度は悔しさと、それ以上の愛おしさで、さらに涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「ごめん……ごめんね、凛っ。私、なんで一人で勝手に逃げ出して、離れちゃったんだろう……。大好きな凛と、恭弥とちゃんと正面から向き合えばよかったっ……!」
激しく泣きじゃくる糸の華奢な身体を、凛は一歩近づいて、自分の細い両腕で力いっぱい抱きしめた。
「本当だよ、バカな糸。一人で格好つけて、お姉ちゃんぶって我慢しちゃってさ」
凛の温かいぬくもりが、糸の震える背中を優しく包み込んでいく。凛は糸の耳元で、クスッと困ったように笑いながら、最後の秘密をそっと打ち明けた。
「あのね、糸。恭弥はね、昔からずっと、糸のことが大好きだったんだよ。あいつ、自分の気持ちにはほんと鈍感だからさぁ……。振る方の身にもなってよね、まったく、参っちゃったよ」
凛の流した、少しだけ寂しくて、だけど本当に綺麗な涙が、糸の肩を静かに濡らしていた。
凛と本音で和解した今。糸の心の中にあった、あの長年引きずり続けた『三角関係の呪縛』が、初夏の風のなかに優しく融けて消えていくようだった。



