君を忘れるための春。



意識の底で、糸は果てしなく長い夢を見ていた。

それは、まだ何も知らなかった保育園の頃の、恭弥と凛と自分で過ごした、あのひだまりのような日々の記憶だった。

まぶしい初夏の光が降り注ぐ砂場で、小さな恭弥が少し照れたように微笑みながら、まっすぐに言葉をくれた。

『俺は、糸が大切で、大好きだよ』

嬉しくて胸がドキドキした。けれど、差し出された糸の手をぎゅっと握りしめたまま、恭弥の身体は一瞬にして、高校生のそれへと大きく成長していく。

『糸。お願いだから、俺から離れていかないで――』

恭弥は泣きそうな、ひどく悲しい顔をして糸を見つめていた。
どうしてそんな顔をするの、と問いかけようとしたその時、恭弥の背後から、陸上部のユニフォームを着た凛が静かに現れた。

「っ……!」
糸は心臓が凍りつくような衝撃を覚え、咄嗟に恭弥の手を激しく突き放した。

「凛、違うの……っ! これは違うの! 恭弥は、凛のことが好きで……二人は付き合ってるんだからっ……!」

言い訳を捲し立てる糸を、凛は静かに見つめていた。お姉さんみたいに優しかった彼女の表情は、今は不気味なほど何も読み取れない。
やがて、凛はゆっくりと顔を上げると、これまで一度も見たことのないような、冷ややかな軽蔑の目を糸へと向けた。

『糸の、嘘つき。恭弥とは、ただの幼馴染だって言ったじゃない……っ!』

「違う、私は……そんなつもりじゃ……っ」

親友からの容赦のない拒絶に、糸の目から大粒の涙がポロポロと溢れ出す。

「違うの、凛、聞いて……! 私、私は、本当は恭弥のことが――」

必死に本音を叫ぼうとした、その瞬間だった。
突き放された恭弥が、傷ついた目で糸を振り返った。

『糸……なんでそんなこと言うんだよ。俺のこと、嫌いになったのか……?』

「え……? 違う、恭弥、違くて……!」

恭弥はそれ以上糸の言葉を聞こうとはせず、寂しげに背中を向けると、凛と手を繋いで遠くへ去っていこうとする。二人の距離が、みるみるうちに離れていく。

「待って! 恭弥、行かないで! 違うの、恭弥っっ!! 私は……私はっ……!!」

引き裂かれるような悲鳴をあげながら、糸はハッと目を開ました。

「――ぁ、っ」

視界に飛び込んできたのは、見慣れた東京の景色でも、あの夕暮れの教室でもなかった。薄暗い、静かな部屋の天井。
覚醒した瞬間、額にひんやりとした冷たい氷嚢の感覚が伝わってきた。
まだ夢の名残で呼吸が浅く、胸が激しく上下している。

「糸ちゃん? ――大丈夫か?」

すぐ隣から、低くて、少し掠れていて、だけど心底心配そうな、引き締まった声が聞こえてきた。

糸がおそるおそる首を動かすと、ベッドの脇のパイプ椅子に腰掛け、カッターシャツの襟元を緩くした響矢が、心配している眼差しでこちらを覗き込んでいた。