君を忘れるための春。


結月は不満げに頬を膨らませ、ムスッとした顔で響矢を睨みつけた。

「なんなん、アップデートって! 聞いてて恥ずかしいわ! ――ほんで? 響矢は何の種目に出る予定なん?」

「んー? 俺は今年、白組の応援団長や! 格好よくバシッと決めて、組の皆を応援したるねん!」
響矢は胸を張り、自信に満ちた不敵な笑みを浮かべる。
しかし、すぐにその表情を柔らかいものへと変え、糸の顔を覗き込んできた。

「せや、糸ちゃん。俺のその晴れ舞台もあることやし……放課後の練習、見に来てくれるんやんなぁ?」

「え、」
いきなりの誘いに、糸は少し驚いて目を丸くした。
東京にいた頃の自分なら、きっと誰かの目を気にして「恥ずかしいからいいよ」と断っていただろう。けれど、頭に手を置いて笑っていた不器用な恭弥とは違い、どこまでもまっすぐに自分を引き上げてくれる響矢の熱が、今の糸には心地よかった。

糸は恥ずかしさを隠すように、少しだけはにかむようにして笑った。

「応援団長だなんて、すごいね。……じゃあ、時間が合ったら見に行こうかな」

「ええっ!?」

隣で聞いていた結月が、今日一番の驚きといった様子で椅子から飛び上がった。あの引っ込み思案だった糸が、響矢の誘いをあっさりと受け入れたのだから無理もない。

一方の響矢は、糸のまさかの返答に一瞬だけ大きく目を見開いた。
それから、本当に嬉しそうに目元を緩めると、まるで世界で一番大切な宝物でも見つめるかのような、ひどく優しくて真剣な瞳で糸をじっと見つめた。

「……おん。ほな、めっちゃ楽しみにしてるわ」

低く、けれど温かい声が糸の胸の奥にすうっと染み込んでいく。
響矢のそのストレートな眼差しに、糸の頬にはまたほんのりと赤みが差したけれど、今回は視線を逸らさずに小さく頷いてみせた。
京都の学校に来てから、糸の顔には、本当に自然な笑顔が増えるようになっていた。

「おい、東雲ー! 次の種目の話し合い始めるぞー!」
廊下からクラスの男子の声が響き、響矢は「おう、今から行くわ!」と短く応えた。

「ほな糸ちゃん、また後でな!」
響矢はひらひらと大きく手を振り、賑やかに廊下へと去っていく。

結月は、その背中が完全に消えるのを待ってから、これ以上ないほどニヤニヤとしたニヒルな笑みを浮かべて糸に急接近した。

「何々~、糸ちゃん! 響矢のやつと、いつの間にそんな仲良くなったん!? 詳しく教えてや~!」

「ええっ!? そんな、特別な何かがあったわけじゃないよ……っ!」
糸は慌てて両手をパタパタと振って顔を赤くした。けれど、少しだけ視線を落とすと、昼休みの渡り廊下での出来事を思い出して、愛おしそうにふわりと微笑んだ。

「ただ……ちょっとね、私が落ち込んでるときに、元気付けてくれたから…?」

その瞬間、結月は「マジか……!」と言わんばかりに口をポカンと開けて固まった。
昨日、屋上で糸の過去をすべて聞き、「これからは恭弥じゃなくて響矢を見てほしい」と言ったのは自分だ。しかし、まさか糸の心の天秤が、すでにこれほど響矢の方へと傾き始めているなんて、完全に予想外の展開だった。

(うわぁ、マジか! 響矢のやつ、ほんまに猪突猛進で糸ちゃんの心の扉こじ開けかけてるやん……!)

結月は驚きに胸を震わせながら、どこか悔しそうに頭を掻いた。けれど、東京の失恋でボロボロになっていた親友の顔に、こんなにも可愛い恋の赤みが戻っていることが、何よりも嬉しかった。

(なんや、親戚としてはめっちゃ複雑で悔しいけど……頑張れぇ、響矢ぁあ!!)

心の中で新しいヒーローに向けて盛大なエールを送りながら、結月は「応援の練習、私も一緒についてくわぁ!」と、糸の肩を抱いて楽しそうに笑った。
初夏の生温い風が、今度こそ糸の過去の未練をすべてさらうように、青空の向こうへと爽やかに吹き抜けていった。