君を忘れるための春。

「ごめんなぁ糸ちゃん! ちょっとミーティング遅れるし行ってくるわぁ~!」

「うん、いってらっしゃい!」

そんなある日の昼休み。
結月はいつものように、毎月一回行われる部活のミーティングのために、慌ただしく教室を飛び出していった。
糸は優しく手を振って親友を見送ると、食べ終えたお弁当箱を綺麗に鞄へと仕舞う。

一人になって静かになった席で、なんとなくスマホを開き、SNSのタイムラインを眺めていた、その時だった。

手の中で、スマホが短く震えた。
液晶画面に浮かび上がった文字を見て、糸の心臓がドキンと嫌な音を立てて跳ね上がる。画面には『恭弥』の二文字。

メッセージ通知を開くと、そこには『ごめん糸。今電話できる?』という一文が添えられていた。

いつもは他愛もないLIMEのやり取りだけだったのに、いきなり電話なんて。何か急用だろうか。
少しの驚きと、それ以上の胸騒ぎを覚えながら、糸は周囲を見回した。昼休みの賑やかな教室のなか、他の生徒たちの目がある場所で電話に出る勇気はなかった。

『ちょっと待ってね』と手早く返信を打ち込むと、糸はスマホを握りしめ、教室を出て静かに話せる校舎の渡り廊下へと急いだ。

渡り廊下につき、誰もいないことを確認してから、すぅとはぁと深く息を吐き出して呼吸を落ち着かせる。そして、意を決して通話ボタンを押した。

液晶画面が通話中に切り替わり、耳元から懐かしい、あの少し低くて優しい声が響く。
たったそれだけで、京都の眩しい日常のなかに隠していたはずの胸の痛みが、軋むように蘇りそうになった。

『久しぶり、糸。急に電話してごめん』

「うん、大丈夫だよ。久しぶりだね。……でも、なんだか元気ないみたいだけど、どうしたの?」

スピーカー越しでもはっきりと伝わってくる、どこか沈んだ、生気のない恭弥の声。
面倒見がいいお兄ちゃんタイプで、いつも自分の前では強がって、太陽みたいに笑っていた彼のそんな弱々しいトーンに、糸は自分の傷も忘れて反射的に心配の声をかけていた。

恭弥は電話の向こうで、力なく少しだけ笑った。

『……はは、やっぱ糸には何でもバレちゃうか。実はさ、最近あんまり、凛と上手くいってなくてさ』

「え……」

予想もしていなかった言葉に、糸は大きく目を見開いた。

『それで……なんかさ、急に糸の声が聞きたくなって、気付いたら連絡してた』

受話器の向こうから、恭弥の切なげな吐息が耳元を揺らす。
その瞬間、糸の頭の中は真っ白になり、激しい動揺が全身を駆け巡った。

彼等の前から逃げて、私は透明マントみたいにひらりと去って、これからは二人だけの絶対的な世界を作って幸せになるはずの恭弥と凛が。
あんなに仲良くしていたに、私が取り持った二人の恋。
それが、上手くいっていないって、一体どういうこと……?

「……え? 凛と……? それは……どういうことなの、恭弥」

冷たくなったスマホを両手で強く握りしめながら、糸は掠れる声をなんとか絞り出した。