ある日の昼休み。
教室内は、お弁当を広げて賑やかに談笑する生徒たちの声で満たされていた。
糸と結月も、それぞれの机を向かい合わせにして、楽しそうに箸を動かしていた。
その時、糸の机の上に置いてあったスマホが、短く震えて画面を灯した。
何気なく目を落とした糸は、そこに映し出された『恭弥』の二文字に、胸の奥で心臓がドキリと大きく跳ね上がるのを感じた。
緊張で少し震える指先で、メッセージを開く。
画面に表示されたのは、『糸、元気か?』という、相変わらず短くて他愛もない一文だった。
ただそれだけなのに。
離れてもなお自分を気にかけてくれているという事実に、糸の口元には、無意識のうちに嬉しそうな笑みがこぼれ落ちていた。
「なんや、糸ちゃん~!」
その様子を特等席でじっと観察していた結月が、ニヤニヤとした意地悪な笑みを浮かべて身を乗り出してきた。
「スマホ見てめっちゃ嬉しそうやん! もしかしてぇ、東京に置いてきた彼氏さんからの連絡やったりして!?」
「えっ!? ち、違う違う! 彼氏じゃないよ!」
核心を突かれたような気がして、糸は顔を真っ赤にしながら全力で首を横に振った。
「えー? ほんまかなぁ? めっちゃ怪しいやんー」
結月はなおも楽しそうにからかってくる。けれど、糸はスマホの画面をそっと伏せると、ローファーの先を小さく床に擦りつけながら、静かに口を開いた。
「……えっとね、実は……東京の幼馴染からなの。時々、こうやって連絡をくれるんだけどね」
そう言って、糸は小さく、ひどく悲しそうに微笑んだ。
「――あ」
その瞬間、結月はからかうような声をピタッと止め、丸い目を驚きに大きく見開いた。
新学期が始まって以来、いつもオシャレで可憐で、お人形さんのように完璧な笑顔を見せていた糸。その彼女が、面と向かって初めて見せた、今にも泣き出しそうなほど切ない表情。
あまりの痛々しさに、結月は小さく生唾を飲み込み、声をワントーン落として慎重に語りかけた。
「……そうなん? でも、なんや、すごく辛そうやで? 糸ちゃん、学校ではいつも笑ってくれてるけど……時々、ふとした瞬間にものすごく悲しそうな顔してるやんか。もしかして東京で、何かあったんとちゃうの?」
真っ直ぐに自分を心配してくれる結月の言葉に、糸はハッとして顔を上げた。
(結月には、そこまで見抜かれてたんだ……)
自分の動揺が伝わってしまったことに驚きながら、糸が大きく澄んだ瞳を向けると、結月は自分が踏み込みすぎてしまったことに気づいて慌てて手を振った。
「あ、ごめん! 私、デリカシーないこと聞いてもうたな……! 聞かんほうが良かったんかな、今のなし、忘れてっ……!」
焦って顔を真っ赤にする親友。
その、どこまでも自分のことを思いやってくれる結月の優しさに触れたとき、糸の頑なだった心の鍵が、すうっと音を立てて外れていくような気がした。
この街にやってきて出会った、今となっては大好きな友達。
東京のドロドロとした傷を、ただ一人で抱えていくのはもう限界だった。
結月にだったら、私のこの醜い過去を話しても、きっと受け止めてくれるんじゃないか。そう、強く思えたのだ。
糸は深呼吸をして心を落ち着かせると、結月の目を真っ直ぐに見つめた。
「……ううん、大丈夫だよ。ねぇ、結月。ちょっとこの後の昼休み、私に時間をくれないかな? ……一緒に行ってほしい場所があるの」
糸の静かな誘いに、結月は驚きながらも、こくりと力強く頷いた。
窓の外からは、夏の訪れを予感させる少し強い風が吹き抜けていく。
東京に、置いてきたはずの初恋の記憶を、糸はついにこの京都の地で初めて他人に打ち明ける覚悟を決めていた。



